第6話「卒業アルバム」

放課後には何とか歩けるだけの元気を取り戻していた私は、図書室で体を休めながらも過去に製作された卒業アルバムを読み漁っていた。


養護教諭のあの一言から掴み取った糸口を、どうしても離したくない気持ちが抑えきれなかった。


念のため、目星をつけていた年度から五年分さかのぼって見てみたけれど、それは今からちょうど三十年前にあたる『1994年度』のアルバムの中に記録されていた。


―3年E組


担任:藍川あいかわ 幸子さちこ(英語)


今では存在しないE組の、まだ二十代前半とおぼしきその担任教師は、背筋をぴんと伸ばしてキリリと前を見据えていた。


右の口元に置かれた印象的なホクロ、綺麗に切りそろえられた清潔感のあるヘアスタイル、今と変わらないどこか影のある表情から、すぐに同一人物だと認識することができた。


林田はやしだ幸子―旧姓・藍川幸子は、今年から再びここ都立小名木川おなぎがわ高校に赴任して教鞭を執っている英語教諭で、今は私たち一年生を受け持っている。


1994年度を最後に異動してしまったのか、それ以降の卒業アルバムにその名前が姿を現すことはなかった。


そしてもうひとつ、これだけは正直なところ噂話とか、長い時間を経て出来事が歪曲された嘘であって欲しいと願っていたこと。


けれども現実は、まざまざと圧倒的な存在感を放ち『故人』として、その名前をアルバムの中に刻み込んでいた。


こんな残酷なことが許されて良いのだろうか。


(故)山之内やまのうち 春太しゅんた


集合写真の中で、最後列の一番左端に位置しているその人物は、緊張して引き締まった表情をして写るクラスメイトたちとは対照的に、満面の笑みを浮かべていた。


のどかから聞いた三十年前に起きた凄惨な事件が、現実に起きたことなのかもしれないと思うと、冷房の効いた室内で冷えきってしまった体でも、アルバムを捲る手はじわじわと熱を帯び始め、背中には汗が滴り落ちていった。


また熱中症になってしまったかのように、脈がどくどくと強く波を打ち、ぐるぐると視界が回るように目眩がして呼吸困難に陥りそうになっていたけれど、聞き慣れた優しい声が私を現実に引き戻してくれた。


すじめちゃん、お待たせ…もう体は大丈夫?」


静寂な図書室内を気遣う囁くような呼び掛けに答応して、咄嗟にアルバムを閉じ、何事も無かったかのように顔を上げてそれに応じた。


「のどか…」


カラカラに乾いた喉で振り絞るように出した声を聞いて、のどかは少し心配そうな表情を浮かべていた。


彼女には保健室で抱いた『ある疑念』を理由に、二年生四クラス分の時間割を入手してもらっていた。


「やっぱり、理ちゃんの言った通りだったよ」


それだけ言えば分かるといった様子で、のどかは二年A組とB組の時間割だけ私に手渡してくれた。


「ありがとう…」


綺麗にマーキングされたその時間割は、疑念を正確な事実として私の目の中に投げつけてきた。


月曜二限:体育

水曜三限:体育

金曜六限:体育


非常ベルが鳴動する時間帯…窓際の席に座っていながら今までどうして気付かなかったのか。


避難した後にも、体操服を着た集団を毎回視認していたハズなのに、異常として認識できていなかった。


でもこの事実は、私の考察をより難解なものへと押し上げてしまった。


佐伯さえき先生が事を起こしている理由、林田先生の不可解な行動、三十年前との関係、断定は出来ないけれど恐らく実行犯は二年A組もしくはB組の生徒の誰かであること…


神経を研ぎ澄ませようとして耳を塞ごうとした瞬間、のどかは新たな情報をパンパンになっていた私の脳内に押し込んできた。


役に立つか分からないという前置きをして。


「先輩から聞いたんだけどね…佐伯先生って林田先生の教え子なんだって」


教え子…アルバムの中で満面の笑みを浮かべている、今は亡き山之内さんの顔が蘇ってきた。


私がいま解決しようとして動いていることは、普通なことなのだろうか。これは普通でありたい私が、普通に過ごすために必要なことなのだろうか。


他人の過去に土足で踏み入って行くようなこの感覚は、普通という自己満足の仮面を被った、異常な振る舞いであるように感じ始めていた。

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(仮称)理の推理 和奏 澄 @wakana_sumasu

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