雲を飼ふことにしてみた美しき変幻自在のいきものとして

「美しき変幻自在のいきものとして」「雲を飼うことにしてみた」そうである。

「うつくしき」「いきもの」というのが良い。
いきものは美しい。犬も猫もトカゲもヘビも人間もも美しい。ただみんな「美しい」よりは「可愛い」と言いたがる。
生き物の美しさは鉱物に似ていると思う。
細胞が美しく配列され緻密に組み上がっているのだ。
なにもランダムで乱雑なのが有機的・生物的なのではない。いきものは美しい結晶体だ。

「美しき変幻自在のいきものとして」は中々出てこない表現だ。「美しき」から「いきもの」までが遠く、スルッと連想できないからだ。

「雲」を「いきもの」になぞらえた上で「美し」さを見付けた点にこの歌のただならない力がある。
一見シンプルながらも「雲をペットにしたら可愛いだろうな」程度のよくある思いつきに留まっていない。もっと深いところでモチーフを追求している。
それがこの歌の勝因である。