錬金術師を探して

Cir

第1話




 錬金術師が人口約三千人の都市、ビュルツハイムを一夜で消した・・・

 教皇庁に届いたそんな噂話を耳にした時、司祭のヨハン・アプスはその馬鹿馬鹿しい荒唐無稽さを思わず鼻で笑い、手にしていた銀杯の水を飲み込んだ。

 しかし少し経つと、真顔に戻り、首を傾げた。

 今は神聖ローマ帝国内で農民が大規模な反乱を起こし、領主である諸侯たちと戦っている真っ只中。ビュルツハイムと具体的に名が挙がっているということは、そこで実際に何か、大きな戦闘やら放火やらがあった可能性もなくはない・・・ 

 しかし同時に疑問がよぎった。

 仮に何か大変なことが起きたとして、なぜ錬金術師のせいにする必要があるのだ? どっちの陣営が、どういうつもりでそんな噂を流したのだろうか。農民側か、諸侯側か、それとも・・・

 アプスが考えを巡らせていると、ノックの音がした。

 教皇庁での世話役の司祭、グロヴィウスが入ってきて部屋の人たちに会釈する。そしてアプスの方へ歩み寄り、耳元で囁いた。

 アプスはびくっとし、共にその場を出た。左右に道を空けた多くの衛兵とすれ違いながら、急ぎ足で向かう。

 二階中央の入り口に着くと、自分は道を案内しただけ、とグロヴィウスが離れた。

 奥の壇上の玉座を一瞥する。もちろん、あの方はまだいない。

 恐る恐る玉座の前まで進み、ひざまずき、謁見を待った。

 しばらくして、右側の扉が開き、徐に誰かが入ってくる。

 装いからして、あれが、教皇クレメンス7世。

 だが不思議なことに、他には誰も入ってこない。

 彼一人がゆっくりと歩き、玉座に腰を下ろす。赤い法衣に金の刺繍が施され、指には赤いルビーの指輪が輝いている。

「ようこそ」と口を開く教皇。

 深くお辞儀をして「聖下、お目にかかれて光栄です」と答える。

 幾つかのお決まりの挨拶を交わすと、教皇がさっそく本題を口にした。

「急遽来られた経緯は他の者から聞いているが、ヴュルツブルク司教は間違いなく無事なのかね?」

「はい」と司祭。「農民たちに城が包囲される寸前、私のお仕えするヴュルツブルク司教コンラッド・フォン・テュンゲン様は城を離れました。ハイデルベルク城までお供しましたので、確かにご無事です」。

 そこで息が乱れたので、整え、すぐに付け加える。「フォン・テュンゲン様から私は、緊迫した状況を教皇聖下にお伝えし、ご支援をお願いするようにとの命を受け、このように戦火を潜り抜けて参りました」

 教皇は軽く頷いた。

「そのこともグロヴィウスから聞き、先ほど大司教プッチらと話し合った。支援についてだが、神聖ローマ帝国内のカトリック系の諸侯にヴュルツブルクへの援軍を要請することにしよう」

 アプスは再び深くお辞儀をし、感謝の言葉を述べながら、これで司教に託された任務を果たした、と安堵した。

「ところで、私からも要望があるんだが」と教皇。

「あ、はい。仰せ付けください」とアプスは答えながら、やはりタダというわけにはいかないか、と心を構えた。

「無名の錬金術師によってビュルツハイムの全ての建物と人が丸ごと消えた、という噂は聞いているかね?」

「あ、はい。耳にしたばかりですが」

「少し遠回りになるとは思うが、ハイデルベルク城に戻る途中、ビュルツハイムに寄って真相を確かめてもらいたい」

 アプスは戸惑いながらも、はい、と答えた。

「もし火災や洪水によってではなく、本当に消えていたなら、その錬金術師を探し出して、生け捕りにし、ここに連れてきてくれたまえ」

「は、はい・・・わたくしの力の限り」と答えながら、司祭は不思議に思った。まさかそんな錬金術師が本当にいるとでも思っているのだろうか・・・ それに、仮にいたとして、何故ここへ・・・?

「無論、私の命令だと他言してはならない」と、教皇は付け加えた。「また、捕まえた際にその者が錬金術師だと周りに言いふらしてもならない。身なりをきれいにし、目立たないようにして連れてくること」

「はい、承知致しました」と答え、司祭は頭をよぎった疑問をぶつけてみることにした。「もし可能でしたら、そのご意向をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 教皇が首を横に振りながらまた口を開く。

「よく考えなさい。今、二人だけなのには理由があるのだよ」

「あ、大変失礼致しました」

 なるほど、側近にも秘密ということか・・・

 他に幾つかの言葉を交わした後、教皇は出ていき、次いでアプスもその場を後にした。

 昨日着いたばかりなのに、明日また出発・・・ しかもわけのわからない任務を背負わされて。そんな錬金術師などいるものか・・・

 アプスは心の中でため息をつきながら、二階の窓から垣間見えるローマの街並みを眺めた。

 連なる木々と建物が西日を眩しく照り返していた。






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