わたしの飴

 ちとてんしゃん。

「飴え、飴でございます」

 声がして夜凪はそちらを向いた。

 棒手振りだ。木箱を取りつけた天秤棒を肩に担ぎ、夕方の街をゆらりゆらりと歩きながら、ちとてんしゃん、と器用に鉦を鳴らしている。

「飴え、飴はいらんかねえ」

 細い竿が立ち、墨で「わたしのあめ」と書かれた旗が閃いていた。

(私の飴?)

 妙な名前だ。

 夜凪が怪訝な表情で見ていると、棒手振りの男が立ち止まった。夜凪と目が合う。

「おにいさん、飴はいらんかね」

 ちとてんしゃん。

 声をかけられた夜凪は男に近寄った。

「幾らだい?」

「一個一文だよ」

 男が言う。嫌に乾いた声に聞こえた。

「おくれ」

 夜凪は一つ買い求めた。

 男は天秤棒を下ろすと、箱の中から棒に刺さった鼈甲飴を出して、夜凪に渡した。

「はい一文」

 夜凪は銭を渡した。早速、飴を口に入れる。

「旨い」

 最初はただ舐めていたが、夜凪は途中から飴をばりばりと嚙み砕いて、あっという間に食べ終えた。

「違う種類もあるよ。もう一個いかがかね。一文だよ」

「おくれ」

 夜凪はもう一本買い求めた。今度は晒し飴だ。丁寧に練られて真っ白で、夕焼けに染まっているのがなかなかいい。

「これも旨い」

「他のもあるよ」

 飴売りの男は次に金平糖を出した。懐紙に五、六個ほど包まれたそれは、真っ赤な色に染まっている。

「こんなものまで扱っているのか」

 夜凪は感心した。金平糖は高級菓子で、ここらでは廻船問屋が長崎から買い付けたものが日本橋の大店で売られているくらいだ。

「これは幾らだ?」

「一文だよ。他にもあるよ」

 男は次に有平糖を出した。これも南蛮渡来の高級な菓子で、庶民はまず買えないものだ。

「さすがにこれは高いだろう」

「一文。全部、一文で買えるよ」

「本当か! 買うよ」

 夜凪は両方買い求めた。食べかけの晒し飴を口から出して、金平糖を一つ食べた。上品な砂糖の甘みと甘い香りが鼻に抜けた。

 次に有平糖だ。こちらも実に旨かった。歯を当てるとさくりと心地よく噛み砕け、中から花のようないい香りが溢れてきた。

 まさに甘露。この世のものとは思えない旨さ。

「特別に、こんなのもあるよ」

 飴売りはもったいぶった動きで箱の蓋を開ける。

 そこにあったのは飴細工で、その形は、本物と見まごうほどに見事な曼殊沙華だった。

「すごい」

 夜凪は飴細工の曼殊沙華を見た事がない。題材がどうとかよりも、ただただその繊細な仕上がりに見惚れてしまった。

「まさかこれも――」

「これだけは二文だよ」

 さすがに一文では買えないか。そうだとしても破格の安さだ。

 それに――今までの飴はどれもこれも旨かった。この曼殊沙華の飴も、実にかぐわしい甘い香りを漂わせている。

「これも――」

 と、銭を出そうとしたその瞬間。

「夜凪さん、こんなとこで何してるんですか?」

 と、声が聞こえ、夜凪は振り向いた。

「お己代さん」

 風呂敷包みを抱えたお己代がそこにいた。

「どうしたの、こんなところで一人で。もう暗くなる頃合いなのに」

「一人?」

 夜凪は首を傾げた。

「いや、俺は飴売りに……」

「飴売り? どこにですか?」

「ん?」

 夜凪が視線を戻すと、飴売りはどこにもいなかった。

 それどころか、夜凪が買い求め、手に持っていたはずの飴も金平糖も有平糖も、何もかも消えていた。

「……え?」

 さすがの夜凪も戸惑った。

 飴売りの姿も、影も形もどこにもない。消えてしまった。己代に呼ばれるその瞬間まで、確かに夜凪の目の前にいたはずの飴売りが。

 それどころか、夜凪が食べたはずの甘い味の余韻も消えていた。

「いや、飴をね、買ったんだよ。一個一文で、いろんな種類があって」

「はあ。それはどこですか? もう全部食べちゃったんですか?」

「いや、食べきっていなくて……それで、最後にとっておきだって、曼殊沙華の飴細工を見せられて」

「ぼったくりではないですか? 最初に安いの見せて売って、最後にどおんと高いの売り付けるみたいな」

「いや、一個一文だったんだ、曼殊沙華だけ二文で――」

 夜凪はそこまで考えて固まった。

 飴が一個一文。四個買った。五個目は曼殊沙華で二文。全部合わせて――。

 六文。

「六文で一個ずつ飴を買った? 嫌だ、飴買い幽霊のお話みたいじゃないですか」

 あはは、と己代は笑うが、夜凪は背筋がぞっとした。

 六文。三途の川の渡し賃。――わたし?

(まさか)

 突飛な発想だとは思った。でもそう考えてしまった。

 ……俺は三途の川の渡し賃を飴売りに払っていたのだろうか。

 ならば、もし曼殊沙華の飴を買って、合計で六文を払っていたら――。

(俺は彼岸に連れていかれてしまっていたのだろうか?)

 この世のものではないから、あんな天にも昇るような心地で、甘く旨かったのだろうか。

 そもそも――。

 あの飴売りは生者だったのか?

(ああ、そうか)

 夜凪は唐突に理解した。

(俺、また見えねえものを視ていたのか)


 ちとてんしゃん。飴え、飴売りでござい。

 渡しの飴え、いらっしゃあい。

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あやかしがたり 涼月琳牙 @Linga_Ryogetsu

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