震える心

 トリオが指摘するとおり、この頃の慎也からは人を拒絶するような、鋭さと硬さがなくなり、常に優しい表情をたたえるようになっていた。


 慎也の変化に気付いたのは仲良しトリオだけではない。クラスの女子たちもひとり、またひとりと気づきはじめていた。


 再び告白大会となったのだが、慎也の断り文句が「好きな人ができたから付きあうことはできないんだ。ごめんね」へと変化し、クラスは天国から一気に阿鼻叫喚の地獄へと様変わりしたのである。


 その光景をみせられ、さすがのトリオたちも無視することはできない。


「瀬名川……おまえはモテすぎる。可愛いマオちゃんだけでなく、これだけ女子に好かれているなんて、羨ましいよ」

「あやかりたいねぇ」

「そんなことはない」

「モテる男の余裕は嫌味だな」

「いや、だって、好きになって欲しい人は、俺のことをそういう風には思っていないから」

「…………」

「…………」

「…………」


 慎也の言葉にトリオは驚愕の表情を浮かべる。


「ええ――!」

「ええ――!」

「ええ――!」


 トリオの悲鳴が教室中に響き渡る。


「いや、いや、待て、待て、待て。そんなことはないだろう?」

「そんな喜劇があってたまるか!」

「本人に確認……いや、告白してみたのかよ?」


 これ以上クラスの女子を刺激しないほうがよいと判断したトリオは声を潜め、顔を寄せ合って会話を続ける。


「確認も、告白もしていない……」

「…………」

「…………」

「…………」


 思い詰めたような表情で溜息をつく慎也を、トリオたちは呆然と見つめる。


 さっきまでにこやかだったのに、なにやら表情に影がさしている。

 しかもその表情がなんとも色っぽくて、同級生とは思えないくらいに大人びていた。


 模試の順位がよくても、偏差値が高くても、しょせん彼らは高校二年生。

 経験が圧倒的に少なく、どういう言葉を発してよいのかわからず、一同は沈黙してしまう。


 瀬名川なら選びたい放題だと思っていたのだが、彼は彼でなにかを抱えているようだ。


 妹のことについては色々と教えることができたが、恋愛についてはほとんど未経験だ。

 せいぜい、自分が好きだった女の子に告白して、即座に手ひどく振られた経験くらいしかない。しかもその言葉が「わたし、瀬名川くんが好きなの」である。


「……その、まあ、オレたちではイロコイにはあまり力になれないとは思うが、話くらいは聞いてやるからな」

「がんばってくれ」

「ああ。頑張るよ」


 タイミングよく始業のチャイムが鳴ったので、トリオたちは話を切り上げてそれぞれの席に戻っていった。





 授業開始のチャイムが鳴ったが、教師はまだ教室にやって来ない。

 なんとなく教室内がざわついている。


 いや、ざわついているのは桃乃の心の中だった。


 この会話、いや、慎也の今までにない表情から桃乃は知ってしまう。

 これがいわゆる女の直感なのだろう。


 瀬名川慎也は、血の繋がっていない妹に恋をしている――。


 慎也が妹の話しをするときは、とても楽しそうで嬉しそうだった。声も弾んでいる。

 メッセージのやりとりを行っているらしく、休み時間にスマートフォンの画面を見るたびに、慎也の顔は喜びに輝いている。


 そんな幸せそうな慎也の姿を見るのは辛かった。

 どうして、その感情を自分に向けてくれないのか、とても腹が立った。


 桃乃は唇を噛みしめ、下を向く。

 身体がブルブルと震えている。

 今、自分がどんなに醜い顔になっているのか、鏡を見なくても歪んだ表情は想像できる。

 誰にもこの顔は見られてはいけない。

 嫉妬で胸が張り裂けそうになり、思わず大声で叫びたくなる。


 桃乃は耐える。


 いつ、いかなることがあっても、悠然と、毅然としているのが、市川桃乃だ。


 才色兼備で皆からは信頼され、美しい微笑を浮かべて、君臨するリーダーが市川 桃乃のあるべき姿だ。



 自分の方が、慎也のことをよく知っている。

 ずっと慎也のことを見ていた。


 なのに……。

 なのに……。


 慎也に会って一年もたたない年下の小娘が、慎也の心をあっさりと奪ってしまったのだ。


 自分が欲しくて欲しくてたまらなかったものを。

 がんばっても、がんばっても、手に入れることができなかったものを。


 あの貧相な容貌の小娘が、桃乃が今まで大事にしていたものを無残にも破壊したのである。


 許せなかった。

 許せるはずがない。


 どす黒い感情の扱いに困惑しているなか、桃乃の心に『声』が囁きかける。


 まだ終わっていない……と。

 まだ、取り返すチャンスは残っている……と。


 慎也はまだ妹の気持ちを知らない。

 ふたりは兄妹だ。

 慎也の性格なら、それが足枷になって、次には進めないはずだ。


 そして、慎也は桃乃が『慎也のことを好きだ』ということをまだ知らない。


 ならば、まだ桃乃にもチャンスはある……と、『声』が心の隙間に入り込んでくる。


 その悪魔の囁きような『声』は桃乃の『天啓』となり、桃乃の壊れかけた心に救いの手を差し伸べたのであった。




 春になった。

 慎也と桃乃高校三年生へと進級し、慎也の妹――瀬名川真緒――が入学してくる。




 そして、あの悲劇の日を迎えるのであった。

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怖がりな魔王様は異世界に召喚されて溺愛されまくる~イケメンたちに囲まれて元の世界に帰れません~ のりのりの @morikurenorikure

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