お試し堂はじめます! ~幸せを運ぶカフェへようこそ~

鳥尾巻

お試しします?

 五月晴れの空の下、一台のキッチンカーが川沿いの道を走っていた。黄色の車体にはレトロな書体で「お試し堂」と書かれている。

 咲坂さきさか樹里じゅりは、鼻唄を歌いながらハンドルを切り、河川公園の広場に乗り入れた。今日はクラフト系イベントのフードコーナーに出店する予定だ。既に受付は他の出店者が列をなし、順番が来るまで時間がかかりそうだ。

 茶色の髪をお団子にまとめた樹里は、大きな目を輝かせて楽しそうに会場を見渡している。小柄で童顔な樹里は今年で27歳になるが、そうしていると歳より更に幼く見える。

 助手席に座ったセミロングの黒髪に眼鏡の中原なかはら万智まちは、歌の途切れた頃合いを見計らい、呆れたように樹里に声をかけた。


「相変わらず呑気だねえ、樹里は。もういっぱい並んでるじゃない」

「大丈夫、時間には間に合ったし場所はもう決まってるんだから」


 楽観的な樹里とは対照的に心配性の万智は女子校時代からの親友である。文化祭で模擬店をやった時に仲良くなった彼女とは、意見の食い違いでぶつかり合うこともあるが、いつも忌憚のない意見を述べてくれるかけがえのない存在だ。

 共に調理師の専門学校を経て、数々の飲食業界で実地で学びカフェを立ち上げた。好きな料理を仕事にすることと、自分達の店を持つことは彼女達の学生時代からの夢だった。

 一口にカフェと言っても、立地条件や客層などによってコンセプトも違い、メニュー開発の為の料理人を雇うのは人件費がかかる。そこで外部委託という形で飲食店メニューの開発を請け負い、客に格安で料理を提供しながらデータを集めていくのが「お試し堂」だ。ビジネス街のランチ事情や、住宅地のファミリー層の嗜好などを探るのに、移動できるキッチンカーはうってつけと言える。

 オーニングやメニュー看板の用意をする樹里の傍らで、万智は手帳を眺め、確認に余念がない。


「今回のクライアント様はファミリー層向け発酵料理のお店だったよね」

「うん。今日のランチは赤味噌牛そぼろと白味噌鳥そぼろのお弁当、豆腐白味噌ポタージュと赤蕪赤味噌ポタージュ。デザートなんだっけ?」

「テキトーだなあ」


 渋面を作る万智に、樹里はふんわりと笑って見せる。


「へへっ、なんとかなるっ。なんでもお試しでしょ」

「いつもそれだ」

「万智は心配しすぎ! さあ、『お試し堂』開店でーす!」


 新メニューは好評で、昼過ぎまで客足は続いた。ようやくピークを過ぎた頃、樹里は紙ナプキンの補充をしている万智に話しかけた。


「万智、お客さん引いたから先にお昼どうぞ」

「分かった。お先」


 黒いカフェエプロンを外しながら万智が車から出て行くと、入れ違いに男性と小さな女の子がやって来た。

 背の高い男性は紺のジャケットに少し衿のよれた白シャツ、ジーンズに青いスニーカーという何の変哲もない服装だが、優しそうな切れ長の瞳と整った顔立ちが目を惹く。女の子は、長い髪を二つに結び麦わら帽子を被っている。父親と思しき彼とよく似た目鼻立ちで、水色のワンピースと同じ色のスニーカーを履いていた。


 その日、近野こんの直人なおとは4歳になる娘の恵茉えまと一緒に、近所の大きな河川公園に出かけた。ちょうどイベントが開催されていて、物珍しさも手伝いあちこちのテントを覗いているうちに、お腹が空いたという恵茉の為にフードコーナーにやってきたのだ。

 30歳で結婚し、妻を亡くして4年。頼る親類もなく男手一つで大切に育てて来た娘はあまり我儘を言わないが、最近は仕事が忙しくて遊んであげられなかったのでGWはいい機会だった。

 一人親支援制度や家事代行サービスを頼りながら、これまで無我夢中でやってきた。手のかかる乳児の時期を過ぎて日に日に自分と妻の面差しに近づく恵茉の成長を見守るのはこの上ない喜びだ。

 ようやく自分のことも少しずつ考えられるようになってきた頃、上司に再婚を薦められ、気乗りしないながらも婚活を始めた。フルの勤務から半分在宅に切り替えることを薦めてくれた上司には恩義もある。

 今日はそこで知り合った女性を誘ってみたが、彼女は用事があるとのことだった。時々恵茉同伴で会うこともあるが、仕事を優先したいらしい彼女は子供が苦手なようである。恵茉の反応が良くないのも気にかかる。


「パパ、えまも見る」


 小さな手に袖を引かれ、物思いから返った近野は急いで恵茉を抱き上げた。


「注文いいですか?」

「いいですか?」

「はい! いらっしゃいませ!」


 父親の真似をする恵茉の可愛らしさに樹里は自然と笑顔になる。女子校出身で料理一筋だった樹里は、奥手で男性が少々苦手なのだが、彼は優し気な容貌で安心感がある。近野は興味深そうにメニューを指差す。左手の薬指に光る指輪を見て、きっと良き父、善き夫なのだろうな、と樹里は思う。


「このお試しっていうのは?」

「当店はその日のメニューをお試しで提供しております。本日は赤味噌牛そぼろと白味噌鳥そぼろのお弁当です。ポタージュも赤白選べます。白味噌と赤味噌のソフトクリームもあります」

「ソフトクリーム!」

「デザートは後でね。お弁当全部食べられる?」

「られる!」

「お子様向けのミニサイズもあります」

「えま、とりがいい」

「じゃあ、鶏のミニと牛をください」

「ありがとうございます!」


 樹里は手早く弁当を袋に入れ、おしぼりとカトラリーを添えて代金を受け取った。親子が仲良く連れだって近くのベンチに座りお弁当を広げる姿を眺めて和む。2人とも丁寧に両手を合わせ、所作や食べ方も綺麗で好感が持てる。

 それからしばらく訪れる客の相手をしているうちに、昼休憩を終えた万智が戻って来た。


「ただいま」

「ん。美味しいのあった?」

「鶏ケバブサンドとオーガニックカレーとプリンと和牛フランクと、まあ、詳細は手帳に書いたから後で見て」

「食べたねえ」


 万智は細いがよく食べる。樹里は笑いながらエプロンを外し、河川敷の芝生の上を歩き始めた。せっかくなので他の商品を試しておきたい。研究の為もあるが、樹里は食べることも大好きなのだ。

 涼しい川風と午後の日差しに目を細めていると、後ろから声を掛けられた。


「さっきのお店の方ですよね?」

「え?」


 振り返ると、先ほど店を訪れた近野親子が立っていた。近野は一歩進み出て、樹里に頭を下げる。


「ご馳走様でした。どちらもとても美味しかったです」

「ありがとうございます」

「あなたが作ったんですか?」

「はい、友人と2人で」

「そうですか……」

「どうかされました?」


 何かを言い淀む近野に、問題でもあったかと樹里は少し心配になる。


「こんなこと言ったら失礼かもしれませんが、妻の味にそっくりで感動しました」

「いえ、光栄です」

「いきなり重い話で恐縮ですが……、妻は四年前に亡くなりまして。娘に母親の味を教えてあげられたようで嬉しかったです」

「そうなんですか」


 近野の目にうっすら光るものを見つけ、樹里の胸は締め付けられる。すると黙って2人の話を聞いていた恵茉が、樹里に近づいてその手をきゅっと握った。


「とっても美味しかった」

「うふふ、ありがとうございます」


 樹里は恵茉の目の高さまでしゃがみ、小さな顔を覗き込む。帽子の下から覗く前髪が汗で乱れているのに気づいて直した。


「可愛い髪型だね」

「えま、自分でできるの。お姉ちゃんも可愛い」

「ありがとう」


 近野は恵茉をにこやかに見守りつつ、躊躇いがちに樹里に話しかける。


「よかったらあのレシピを教えていただけないでしょうか。いや、やっぱり図々しいですよね」

「うーん、あれはお教え出来ないんです。でもケータリングもやってるので、他の物ならお宅に伺って教えながら作れます」

「本当ですか? 最近婚活を始めたんですが、マッチングした方もあまり料理が得意じゃないらしくて。僕も作りますけど、レパートリーが少ないし、恵茉には不評なんですよね。不器用だから髪も上手く結べなくて、保育園に行く前は大騒動ですよ」


 苦笑いする近野を見て、樹里はなんとかしてあげたいと思う。困っている人を見ると放っておけない性質なのだ。


「私、子供と遊ぶの得意なんです」

「なんか分かります」


 大らかな性格の樹里は訪問先で子供と仲良くなることも多い。思いつきだが、一人親家庭でシッター代わりに子供と遊びつつ、料理を教えられるかもしれない。


「ふふっ、私で良かったら、お試しします?」

「え?」

「お姉ちゃん、うちにくるの? えまも髪おだんごしたい」

「パパが呼んでくれたらね」


 ポカンとする近野に、いつも持ち歩いているショップカードを渡す。そろそろ戻らないと1人で店を切り盛りしている万智が痺れを切らしている頃だ。樹里は恵茉の頭をひと撫でして近野に頭を下げた。


「連絡お待ちしてます」

「え、ちょっと」


 止める間もなく去る樹里を呆然と見送り、近野は手の中に残されたカードに視線を落とした。お試しとは? と首を捻る。婚活中と言ったから立候補するということだろうか?




「やだ、そんなことあったんですか?」


 あの後予約の電話が入り、万智と2人で訪れた近野宅にて誤解が判明した。今日は恵茉のリクエストでクッキーと夏に合うお手頃価格のレシピを伝授しに来ている。お試し堂を気に入ってリピーターになった近野の家に何度か訪れるうち、雑談に紛れた打ち明け話に万智がケラケラ笑った。


「昔からそうなんです。天然ていうか言葉足らずっていうか」

「そんなに笑わないで」


 樹里は恵茉の髪を結いながら少し膨れる。近野は照れた笑みを浮かべ、バツが悪そうに頬を掻く。


「いえ、僕も変な勘違いしてお恥ずかしい」

「でも近野さん婚活中なら、このままお嫁さん候補になっちゃうのもいいかもね」

「何言ってんの! 失礼でしょ」

「樹里さんみたいにお若い方と僕じゃ釣り合いませんよ」

「そこまで年齢差あります?」


 真っ赤になる2人を見比べ、万智はニヤニヤした。何かを思いついた顔で恵茉に声を掛ける。


「あ、買い忘れあったー。恵茉ちゃん、私と買い物行かない?」

「いく!」

 

 恵茉は樹里と万智にとても懐いている。すぐそこの店なら、と許可を得て2人は出かけて行った。調理の続きをしながら、樹里は内心嵌められたと思っていた。常に下準備は完璧な万智が食材を忘れる訳がない。彼のことは嫌いではないが、あんな話の後で2人きりは気まずい。


「あの」

「お先にどうぞ」

「近野さんからお先に」


 お互い同時に声を発し、譲り合っていると、玄関の方からチャイムが聞こえて来た。

 樹里はこれ幸いと調理に専念したが、対応に出た近野がなかなか戻ってこない。何か言い争うような声も聞こえてくる。心配になって様子を見に行くと、そこにはロングのワンピースを着た女性が立っていた。高いヒールを履いて姿勢よく立ち、いかにも仕事が出来そうな美人である。彼女はエプロン姿の樹里に気付き、目の前の近野を睨みつけた。


「こんな若い子家に連れ込んで、私と天秤にかけてたんですか?」

「へっ? いえ、私は」

「あー、彼女はですね」

「もういいです! 義両親なし持ち家ありならめんどくさくなくて安定してると思ったのに! 丁度良かった、ほんとは子供なんて嫌いだし」


 眉を吊り上げ一方的に捲し立てた彼女は、そのまま足音荒く立ち去った。半開きのドアを閉め直し、近野は力なく笑う。


「あはは、変なとこ見せちゃいました」

「すみません、私のせいで誤解されましたよね」

「樹里さんのせいじゃありません。僕が優柔不断なのがいけないんですよ。彼女とは価値観が違うようだし、ずっとお断りしようと思ってたんです」


 樹里は落ち込む近野を促して居間に戻った。程よく冷めたナッツとチョコのクッキーを盛り付けた小皿をそっと出す。


「お試しします? 甘いもの食べると落ち着くんです。珈琲もどうぞ」

「ありがとう」

「恵茉ちゃんには内緒ですよ」


 ソファに向かい合って座り、クッキーを口に入れる近野を見守った。サクリと音を立てた焼き菓子は、口の中でほろほろと崩れ甘く溶ける。特別な慰めの言葉はなくても、2人の間に優しい時間が流れていく。最後までゆっくり味わった近野は、意を決したように樹里の顔を見つめた。


「さっきのことで分かりました」

「?」

「僕はあなたに惹かれています。お試しじゃなくて本当にお付き合いしていただけませんか?」


 不意に跳ね上がる鼓動と、高くなる体温。俯き逸らした視線の先に、指輪の跡が残る左手。

 玄関から恵茉の声が聞こえる。答えた声は微かだが、真っ赤に染まった首が縦に振られるのを見て、近野は嬉しそうに微笑んだ。


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