第33話 交渉の駒を求めて

「落人」

「はっ」

「その伏兵どもの場所はどのあたりだろうか」


 俺から落人に問いかけられた言葉の意味をすぐさま理解したのは道房であった。

 落人からの返答を得るよりも先に「危険でございます!」と叫ぶ。

 しかし落人はそのような言葉に尻込みするような性格では無く、割り込まれたことを徳に気にした様子も無く標的がいるであろう方角を指で指し示す。


「村の東にある竹林に身を潜めながら村の様子を見ておりました。現在足止めをしておりますが、如何いたしましょうか?」

「そうだな…」


 俺は身を乗り出す道房を最初に、続けてその隣に並ぶ家臣らを見ながら一考する。そして多少の危険を承知で、これからの動きについて全員に告げた。


「これより先遣隊の救援を行う。目標は海賊どものみであり、先にも申したように島民らへの手出しは一切許さん。出来るか、新左衛門」

「かしこまりました。遠目に見ても海賊と島民を区別することは出来ましたので、兵らによく言い聞かせれば、そして混乱を招くような奇策があちらになければ容易にその命を果たすことが出来るかと」

「よし。島民はあくまで戦意を折るだけに留め、海賊どもは完全に制圧せよ。むやみな殺生は望まぬ。頼むぞ」

「かしこまりました!」


 佐助が頭を下げたが、一方で口を挟んだ道房はまだ何か言いたそうにしていた。佐助が素直に頷いたこともあまり納得していない様子である。

 しかし俺たちにはあまり時間が無い。栄衆の足止めがいつまで機能するかなど分からないゆえ、続けて時真へと目を向ける。


「藤次郎、お前がこれより先の指揮を執れ。ときに栄衆を使って、中との協力を謀るのだ。我らが目指すところは先ほど新左衛門に言うたとおり。その結末をお前が導け」

「…私にそのような大役を」

「出来るはずだ。海を渡る前に爺より色々と託された藤次郎であればな」


 一色家3代に仕えた爺は歴戦の将であった。歳を重ねるごとに将としての能力を発揮できなくなったが、父上の代には一色家当主が出陣する戦を勝ちに導くために軍師として戦場を多方面から支えた男である。

 そんな爺の教育を施された時真が、その跡を継げぬはずがない。俺はそう信じていた。


「…かしこまりました。今できる精一杯をこの一戦で示したいと思います」

「よし」


 前線を張る佐助の命は時真に委ねられたと言っても過言ではない。佐助もまた時真に強い視線を送っていた。

 一方で次は自分だと分かっている道房はさらに神妙な面持ちになっている。果たして何を命じられるのかと。

 だがそんな顔をする男を俺から切り離せば、いったい何をしでかしてくるかなど分からない。三遠国境の戦いにおいて、石巻山を下山する俺を快く見送ってくれた道房はここにはいないようである。


「三郎」

「はっ」

「俺の興味に従え」

「きょ、興味でございますか?」


 俺の言葉がよほど想定外であったのか、あっけらかんとした様子で俺を見ていた。だがそれでも俺から発せられる言葉を一切聞き逃さぬと、視線だけはしっかりと俺を捉えている。


「報せによれば海賊どもは最初から島長の包囲に動いていたという。ならば島民が火薬を用いて俺たちを待っていたのか?」

「それは…。火薬の扱いに関しては疎く」

「そうだ。島民だって戦わぬ限りは火薬の扱いに疎いはず。一歩間違えれば村自体が灰になりかねぬのだから、そのような危険なものの取り扱いを任せるはずがない」

「火薬を仕掛けたのは海賊であったと?」

「もし村に火を放とうとしていたのであれば、それも海賊であろう。島民が自分たちの住まう場所に火を放てるはずがない。いくら海賊どもが何かしらの見返りを提示していたとしても、どうしたって躊躇う気持ちが出てしまうものだ」


 そんな連中に背後を任せることなど出来ない。

 だから限りある戦力の中であっても、火薬を用いた伏兵は海賊であると想像できる。ここまで全て外れている俺であるが、事これに関しては絶対的な自信があった。間違いなく伏兵は海賊であると。率いられているのが島民であっても、それを指揮しているのは絶対にそうだと言えるだけの自信がある。


「伏兵となれば少数で行動しているはずだ。そちらの方が捕縛しやすい」

「捕縛して如何されますか?」

「なに、奴らがしていることと同じだ。使える者であれば、この神高島での戦を終わらせるための交渉に使うだけよ。島民と戦わずに済み、尚且つ俺たちも兵を失わずに済む。何よりも長らく屋敷に閉じ込められている彦五郎らが心配であるからな。少しでも早く敵方の攻勢を止めてやらねば」

「たしかに彦五郎殿は荒事が苦手でございますので。きっと今も気が気でない思いで屋敷に立てこもっておられることでございましょう」


 そういえば、と佐助が大声で笑った。

 水治奉行として海の荒くれものとはやり合っているのに、戦となるとてんで駄目になる。戦に出たことも数回程度であるとのことで、同様にほとんど戦経験の無い時真をゆうに下回るほどだ。

 佐助の言葉に周囲の者たちが「早く救ってやらねばなりません」と乗り気になり始めている。いや、元々乗り気ではあった。しかし難しい戦であることがどうにも足を重くさせていた。相手はただ戦に巻き込まれただけの島民であり、この戦に正義など何もない。相手は浮浪の海賊であるがために、手柄という手柄にもならぬし、俺も討ち取らずに捕縛せよと命じていたから余計だろう。

 そのような無理やり士気を上げさせたような状態であったからこそ、佐助の一言は効果てきめんであった。


「そんな不安そうな者に背中を守ってもらっても藤次郎も安心できぬはず。ならば自分で背後は警戒していた方がましだと内心思うのではないか?」

「…」


 道房の視線による問いかけに時真はじゃっかん慌てたように視線を逸らした。それは無言の肯定であると受け取ったらしく、軽くショックを受けていた。もちろん時真の態度にではなく、自身が戦中だというのに弱みを晒したことにだ。道房はずっと一色家の盾として多くの戦で父上の背を守ってきたのだ。そのため盾としてのプライドがある。

 今それを否定されたわけだ。ショックでないはずがない。


「まぁそういうことだ。俺とともに行動していれば安心も出来るであろう」

「それはたしかにそうでございますが」

「それに」

「それに?」

「守りの戦はこの先出番が無い。新左衛門よりあちらで目立つことは出来ないだろう」


 この言葉に道房と、そして名を挙げられた佐助のこめかみ辺りがピクリと跳ねた。


「俺とともにくれば、少なくとも新左衛門の活躍を後方から眺めているだけにはならぬ。そうは思わぬか、藤次郎」

「た、たしかに。これより向かう先の地形を考えれば、我らが広く横に展開することは難しいかと。となれば、この陣形を維持した場合は三郎殿に活躍の場はなかなか巡ってこないやもしれません」

「俺も同意見だ。おそらく今の話を聞いて、より一層やる気を出した新左衛門は万が一にも手柄を手放すことはしないはず。俺とともに来い、三郎。戦を終わらせる一手を打つということは、最大の戦働きと誇ってもよいものだ」


 これまでずっと道房は佐助の陰に隠れてきた。決してその働きが佐助に劣っていたわけでは無いが、やはり戦の花形はどれだけ敵を討てるか。つまり先鋒を担う者たちになってしまう。

 いくら一色家の盾としてのプライドがあったとしても、一色家中における武闘派の一角としては佐助ばかり目立っては面白く無い。

 実際のところは爺も父上も、佐助に細かいことを言っても理解できないだろうととにかく突撃の役目を与えていただけなのだがな。しかしそれを言ってしまうと佐助が年甲斐も無く傷つくと思って、本人には一切その事実を伝えていない。

 まぁ当人も戦働きが出来て満足しているようであるから、今後もあえて伝えるようなことはしないがな。


「これはあくまで俺からの提案である。伏兵は俺と栄衆に任せると言うのであれば、そのまま包囲された屋敷に向かうことも1つ。俺はそれを批判せぬし、止めようとも思わぬ」

「殿に付き従います」


 間髪空けずに道房は答えた。すっぱりと決断できるあたり、やはり道房は良く分かっている。これで道房の下につく者たちも安心して伏兵狩りに出ることが出来るというものだ。

 まぁ以前にも道房らは伏兵狩りをやっていたがな。


「よし。ならばここで兵を分ける。まずはお前たちが陣を引き払い、丘上の島長の屋敷へと迎え。連中の目がそちらに釘付けになれば、村に身を隠していた俺たちも行動を開始する。落人ら栄衆はその間だけ持ちこたえよ。おそらく一色本隊が村から出たと知れば、伏兵隊も栄衆を振り切って逃げようとするだろうからその足止めに動くのだ」

「はっ」

「先に行け。すぐに追いつく」

「場所の案内が出来るものを1人残しておきます。その者をお使いくだされ」


 落人は姿を消し、代わりに随分と小さな忍びが1人現れた。いったいいくつなのか。本当は聞きたくなってしまったのだが、栄衆は一色家に仕えているとはいえ秘密主義で俺たちですら知らないことが多数ある。

 それを詮索するのはマナー違反であるため、グッと我慢して「よろしく頼む」とだけ伝えておいた。


「新左衛門、藤次郎。お前たちもそろそろ支度をせよ」

「かしこまりました」「ははっ」


 2人はそれに従う者たちを伴って陣を出る。

 すぐさま命を受けた者たちが陣の撤去をはじめ、いかにもこれから動き始めると敵方に知らしめるようにわざとらしい陣払いを行っていた。

 さすがは時真。よくわかっている。


「さて、俺たちも行動を開始するとしよう。まずは兵を分散して家屋に身を潜ませ、ついでに火薬が他に無いかの確認だ。あと一切の火を禁じよ。寒いとは思うが暖をとることも許さぬ」

「敵方に察知されることと」

「火薬に火が移ることを避けるためだ。あの量の火薬が爆発すれば、たとえそれが俺たちのいる家屋でなくとも、跡形も残らぬ勢いで爆発する。そうなると助かりようもないでな」

「改めて兵らには厳命いたします」

「それとついでに火薬を村から港へと運び出したいのだが…。いや、それは後でよいか」

「敵方に見つかると伏兵を看破したことが知れ渡ってしまうからでございますか?」


 片されていく床几から立ち上がった道房は俺の脇に立つ。

 俺も改めて兜の緒を締めて移動の支度を整えていたのだが、前がずり落ちてこないかの確認も込めてその問いに首を振ってみた。

 特に緩みは無いようで一安心だ。


「敵兵に看破されることはもうよい。俺たちが伏兵を看破していようがそうで無かろうが、連中は屋敷の包囲を続けるであろうし俺たちも気にせず次の行動に出る」

「ならば」

「せっかくの火薬だぞ?しかも金を払わずに手に入れた。海の傍に早々と持って行き、湿気にやられては大変ではないか。以降使い物にならなくなってしまえば、せっかくの拾い物が台無しになる。この辺りは海の風がなかなか届かぬゆえ、状態を保っておくにはちょうど良い。この騒動の終わりが見えた頃に浜へと運び出そう。それまではどこかに保管しておくべきであるが、その場所だけ目星をつけておいてくれ」

「そういうことでございましたか。かしこまりました。すぐに保管できそうな場所を探してまいります」


 そう言って道房が陣だった場所から離れたのは、俺の傍にはすでに護衛役である昌秋がぴたりと張り付いているからだ。


「手柄を挙げたかっただろうか?」

「伏兵であろうが、海賊であろうが手柄は手柄でございます」

「そうだな。俺も同感だ。もっと言えば一色家に仇成すのであれば海賊であろうが、島民であろうが、伏兵であろうが手柄だ」


 俺に刃を向けた島民であるのだから、全て殺してしまうという選択肢だって当然1つのものとして存在する。事に当たる者がそういった過激な考えを持ち、躊躇いを知らぬ者であればそういった結末だってあったかもしれない。

 だが俺はそのような結末は望まない。あちらがそれを望まない限りは。

 決して自暴自棄でこのような行動をとっていないということは分かっているのだ。ゆえに奴らに機会を与えてやりたい。

 だがそのためにはまず俺たちがどのような形であったとしても勝つ必要があり、決して譲歩する必要が無いほどに完勝しなければならない。

 少ない兵力を分散させたのも、完勝のための駒を集める必要があるからだ。


「そう怖い顔をするな。お前たち兄弟はすぐ母上に報告に走るゆえ、迂闊なことは口走ることが出来ぬ」

「御方様は我ら兄弟を非常に可愛がってくださいましたので」

「そのようだな。あれだけ父上に厳しかった母上が、なぜか主水には甘い」

「特に兄上は気に入られていたようでございますので。亡き殿の愚痴もよく溢しておられたと兄上は申しておりました」

「らしいな。俺も一度だけそういった話を聞かされた。主水は良い子であるから、それを手本として生きなさいと」


 そう言うと、昌秋は明らかに「プッ」と吹き出す様な笑いをする。

 俺が顔を歪めると、昌秋はすぐさま取り繕ったように真剣な面持ちで手を横に何度も振った。


「俺も父上に似てしまったらしい。母上の言うように主水のようになっていたら、どれほど可愛がられたであろうか」

「今でも十分可愛がっておられます。御方様は殿の御出陣に関して毎回反対をしておられます」

「それは過保護というのだ。俺くらいの歳であれば、もっと戦に出ていてもおかしくはあるまい」

「他家のことは他家。一色家のことは一色家でございます」

「ならばこれだけは聞かせよ」

「なんでございましょうか」

「父上の初陣はいつ頃であった。以降、どれほどの戦に出た」


 そう問いかけると、昌秋は困ったと言いたげなほどに両眉を落とす。本当に困っているのだとすぐに分かった。

 だが俺が「冗談が過ぎた」と言おうとしたところで昌秋が先んじて口を開いた。


「そういったことはやはり氷上の爺様に聞くべきでございましょう。俺にはわかりかねますので」

「…まぁそうだな。父上の元服はもう何十年も前のこと。そのようなことを左兵衛に聞くこと自体間違いであったな」


 ぺこりと頭を下げた昌秋は逃げるように家屋へと引っ込んでいった。

 俺もそろそろ実を隠すとしようか。そろそろ母上にも伝えねばならぬ。…きっと俺の決断を悲しまれるであろう。下手をすれば縁を切られるやもしれぬ。

 そんなことはとうの前に覚悟を決めていたはずなのだが、昌秋と話をして急に父上と母上が仲睦ましげに話しておられる景色が浮かんできた。

 多くの犠牲の上に今の一色家を築いたことを思えば、果たして先祖含めて誰が喜んでくれるのであろうか。

 嫌なことを考えてしまったな。一色家はこれまで良くも悪くも上を目指さなかった。主のために必死に尽くしてきた。それが一色家の家風であったのだろう。

 それをぶち壊そうとしている別の世界線を知る俺、な。


「殿?まだここにおられたのでございますか?そろそろ身を潜めませんと」

「もう戻ったのか、三郎」

「ちょうどよい場所を見つけましたので。厳重に守らせて、今発見された火薬を運び込ませております」

「それでよい。俺もそろそろ行くとしようか」


 考えるのは後だ。

 今は独立云々関係なく、この騒ぎを終わらせることだけを考えなければ。どちらにしても俺たち一色家は商人に愛想を尽かれると終わりなのだからな。

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東海の覇者、桶狭間で没落なれど ー異伝ー ~天下を統べた男の軌跡~ 楼那 @runa-mond

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