水平線

あの先へ

 外に飛び出したふたり。強い水流に飲まれてしまった。揉みくちゃにされ、どちらが上で、どちらが下か海彦うみひこは判らなくなっていた。

 意識がもうろうとする中で見たのは、自分を抱えてミツヒメが必死に泳ごうとしている姿。


 ――何故そんなに必死なのか?


 ようやく周りの状況がハッキリしたときに飛び込んできた。生き残ったコバンがこちらに向かってくるところだ。気がついた海彦も、負けじと足をばたつかせた。だが、かえって彼女の邪魔をしているだけかもしれないと気付くのには時間が掛かった。


 ――ダメだ!


 そう思った瞬間、化けフカとは別の黒い影が現れた。

 潜水艦・和邇わに号だ。

 コバンに向かって突っ込んでいくと、側面から投網のようなものを打ち出した。投網はふたりを抱え込むと、スルスルと艦内に引き込む。


 ――助かったのか……


 和邇号に入ると、蓑亀号と同じように気密室に入れられた。しばらくすると、その部屋の海水が抜かれていく。

「おふたりとも、いつまで抱き合っているつもりだ」

 完全に海水が抜けたところで、山彦やまびこが入ってきた。

「でしたら、これを解いてくださいまし」

 ミツヒメは文句を言ったが、まだ投網の中でふたりは抱きついたままだ。というか、身動きが取れない。

 海彦に至っては耐水服を着たままだ。

 他の船員数名でふたりの捕らえた投網を外した。先にミツヒメを抱え上げられて、用意された車椅子に座る。

「お前は何をやっている」

 海彦は山彦に言われたようだが声が遠い。恐らくいつまで耐水服を着ているのか、と指摘しているのだろうが、どうやって脱ぐのかよく解らない。声も聞こえていないかもしれない。首を振っても瓶と耐水服が固定されているために、その動きは伝わっていないようだ。

「耐水服の脱ぎ方が解らないんではないですか?」

「そうなのか? ハハハァ!」

 ミツヒメの指摘にヤマを笑い出した。

 海彦はまた窮屈で息苦しくなってきた。


 ――笑い事ではない。何とかしてほしい……


 山彦が何か首元でやるとようやく瓶が外れる。

「もうゴメンだ」

 と、海彦は床にへたり込む。

 開放されてようやく息が付けた気になった。息は装置で出来ていたのかもしれないが、圧迫されて気分が悪い。

「大丈夫ですか?」

 ミツヒメがへたり込む海彦の様子を心配してか声をかけた。

「あっ、いや、俺は大丈夫です。あなたは?」

 海岸で助けたときとは違う。海彦は彼女の身分を知ったので、少し恐縮してしまった。

「問題ありませんわ。助けてくれて感謝しています。しかも、2度も」

 と、ミツヒメは微笑んで見せた。

「いえ、俺も助けていただきました。感謝しています」

「そんなことありませんわ。わたくしの所為で命まで落としかけたと聞きました。

 大変申し訳ありません」

「いえ、頭を下げてもらうことのとは……」

「そんなことございませんわ。

 龍王の娘として、お礼をしなければわたくしの気がすみません」

 ふたりでズッとそんなやり取りを続けている。

「ゴフォン……いい加減にしたまえ。艦長がお呼びだ」

 咳払いをしてヤマはふたりの問答を止めた。


 ※※※


 和邇号の操舵室に着いた頃には、ふたりを襲おうとしていたコバンは排除されていた。

 どんな武器を使ったのかは解らないが、身体をくの字に曲げて海底へ沈んでいくのが見える。

 残ったのはあの化けフカだけだ。

「艦長、ありがとうございます!」

 海彦はお礼を言わなければと思っていた。自分と山彦の勝手な行動を見抜いていて、それを許していたことに。

「よい。若気の至りなど誰だってある」

 艦長は背を向けていたが、それ以上は言わなかった。

 それよりも、

「副長は相変わらず、詰めが甘いようだな」

 艦長が言っているのは蓑亀みのがめ号のことだ。未だ化けフカの口から離れていなかった。

 こちらから見えるのは、化けフカの口を塞ぐ蓑亀号と、その後ろの隙間から霊亀れいき号の姿も見え隠れする。喉の奥から引っ張り出されたのであろう。

「さてと、いかがしたものか――」

 艦長は扇をパタパタと開閉している。

「2隻で押し合っては?」

 海彦は、ふと思いついたことを艦長に提案したが、

「それでは、また化けフカに食いつかれてしまう。いっそうのこと、殺すか――」

 対策を決めたのか、艦長はパタンと扇を閉じた。

「前部射出室に連絡。自走機雷2本、装填し射出口を開放」

『――承知』

「前の方には当てるなよ。自走機雷の発射せよ!」

『――承知!』

 艦長の命令の下、前方から自走機雷が2本、放出された。

 そのまま真っ直ぐ海中を突き進み、化けフカの腹と尾ビレに命中する。その衝撃で潜航艇2隻は吐き出された。だが……。

「何と! 2本も食らっても生きておるか!」

 化けフカは生きていた。和邇号に向かってくる。

 艦長が驚くと言うことは、今まではそれで退治できたのであろう。

「自走機雷4本、装填! 準備次第、発射せよ!」

『――承知!』


 ※※※


 化けフカ退治に計6本の自走機雷が必要だった。

 潜水艇・蓑亀みのがめ号と霊亀号も回収に成功した。だが、この戦いでいろいろと消耗もしたし、潜水艦・和邇号も応急修理だけで駆けつけたことから、艦長は修理と補給のために母港に向かうという。当初の目的通りであるが、波の下の都、竜の民の都竜宮に。

「それはどこにあるのですか?」

 海彦の質問に艦長はその場所をはぐらかした。ただ「この先の北の方だ」とだけ答えた。

 そう言われても、今の場所が解らない。

 当分、潜水しないというので、海彦は和邇号の上甲板じょうかんぱんにあがった。

 鉄の舟の中は息がつまる感じがして、落ち着かないのもある。

「あれはどこだろうか――」

 水平線の彼方に薄らと黒い土地が広がっているのを目にしていた。


 ――前は紀伊か、土佐と言っていたが……今度はどこなのだろうか?


 あの化けフカ達の戦闘で方向感覚が分からない。

「今は薩摩あたりかな」

 ふと、横に山彦がやってきていた。

「薩摩? それはどこだ?」

「ああ、地図を見せる約束だったな」

「確か、そんな約束をしたか。あの時は化けフカに襲われてしまったけれど――」

「どうするんだ? 俺達と一緒に来るのか?」

 そう問われても、海彦はまだ決めかねていた。

「副長は覚悟がなければ来るな、というが……正直、俺は覚悟が決められない」

 ミツヒメが竜の民の都に海彦を呼んだ目的はほぼ達成された。結局、彼女が自らやってきたのだから。

 そして、ときがゆっくり流れるという都のことは……その点に関してはもう吹っ切れていた。どうせ知り合いなどいないし、帰る場所がない。行く場所もないし、記憶を無くした兄はいることだし、ここの人達と共にするのもいいかもしれない。

 しかし、謎の敵は気になる。だが、少々の危険は覚悟の上だ。

 それを覚悟しろ、と副長は言っていたのかもしれない。

「これから向かう先はどこなのだ?」

 再び海彦は艦長にはぐらかされた質問した。

 山彦は和邇号の行き先を指さした。水平線の彼方、薄らと黒い土地が消えている場所があった。

「――その先、あの水平線の向こう。波の下に竜の民の都がある」

 海彦は指さされた方角を見たが、水平線が続いているだけだった。



〈了〉

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人魚と内緒話~海洋冒険奇譚『水平線の彼方へ 』 立積 赤柱 @CUBE9000

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