第2話 非日常のはじまり
「成宮さんのベッドはここね。荷物置いたらお部屋で待っててください。後で血圧計りに来ますからね」
「はい、よろしくお願いします」
看護師の説明に母親が応えて、さっそく荷物を解きにかかる。
「洗面道具は棚のここに入れたからね。着替えとタオルはここ。聞いてんの?」
「ん〜」
床頭台に入院生活に必要な物を仕舞い込んでいる母親に適当な返事をして、あたしはベッドの上に大きめのスポーツバッグをボスンと下ろした。
ぐるりとその白い部屋を見渡す。
大きな窓は風通しのために開けられているが、当然ベランダはなく転落防止用の柵でガードされている。
四床のベッド。そのひとつひとつがカーテンで仕切られ、小さなプライベート空間を作り出していた。カーテンに人影が淡く揺れて、静かな室内ながら自分以外の入院患者の存在を実感させる。
そう、ここは入院病棟だ。
これがあたしが夏休み中の部活に参加できない理由——あたしは今日からここに入院する。
とは言え、去年も同じ病棟に入院した。今回で二度目だ。そのせいか、なんとなく懐かしさのような空気を感じる。
そんなあたしを他所にテキパキと動いている母親が、古い目覚まし時計をゴトリと置いた。
文字盤に蛍光塗料が塗られていて、暗闇でも光って時刻がすぐに分かるタイプで、便利だとは思うが十三歳が持つには恥ずかしくて友達には見られたくない代物だった。
まぁね、お見舞いに来てくれるほど仲のいい友達なんていないし、別にいんだけどさ。
去年はバレーボール部の部員を中心に誰かしらお見舞いに来てくれたな、なんて思いながら、あたしは自分の荷物を整理し始めた。
小学校時代バレーボール部に所属していたあたしは、六年生になってすぐの部活中にちょっとした事故から右腕を骨折するという怪我を負ってしまった。その時に運ばれたのがこのN総合病院で、骨折箇所をボルトで留める手術を受けた。
それから数週間入院し、退院後も通院する こと一年間。未だ右腕に埋まったまんまのボルトを外す手術を受けるため、あたしは中学初の夏休みにN総合病院の三階フロア——整形外科病棟を訪れていた。
今日から二週間程度の入院生活が始まる。
それにしても大きな病院にはいろいろな施設があるらしい。今回の入院は二回目だが、前回はとにかく右腕が痛く、ギブスもガッツリ巻かれ動きにくいこともあり、殆どベッドで過ごしていたのだ。
その分、今回は病院内を探検をしようと思っている。
担当医からも術後は運動不足解消に、なるべく動くようにとも言われていることだし。
思えば不思議なほど入院や手術に対する不安や緊張感などはまるでなかった。
逆になんだか楽しみな感じ。
そう思いながら自分のバッグからノートに原稿用紙、ペンケース、文庫本などを取り出す。
「よし!」
ベッド周りに必要な物をセットして、入院用に新調した部屋着にも着替えて、自分の居場所が出来上がった。
3階の310号室。四人部屋。病室の扉を背に、向かって右側の一番手前のベッドが今日からあたしの城だ。
気づくと母親が、他の入院患者さんたちに挨拶をしている声が聞こえてきた。
会話する声の印象から、みんな結構年上の人たちっぽいと思った。二週間程度の入院だし必要以上に仲良くすることもないのだけれど、誰とも会話すらせずに過ごすのはちょっとな。
退屈凌ぎの文庫本は二冊。あっという間に読み切っちゃいそう。
これじゃ毎日、病院内探検に出かけなきゃ。
そう決意を新たにしたところに、「おねえちゃん!」息を弾ませて、小学校二年生の妹が父親と一緒に病室に入って来た。一階の売店でお菓子をいっぱい買ってもらったらしく、ぱんぱんになった袋をふたつ、ガシャガシャ鳴らしている。
「こっち、お姉ちゃんにあげるね」
袋のひとつをベッドに置くその顔は艶々としていて、ピンクに上気した頬が水密桃のようで可愛らしい。
「ありがと!しのちゃん」
あたしは妹の頭をひと撫でして、父親にも「サンキュ」と、ちょっとぶっきらぼうにお礼を言った。
最近のあたしは、なんか父親に対して素直になれないというか、気まずいというか……。
なにかあったわけじゃないんだけどなぁ。
これが思春期ってヤツかと思うと余計に恥ずかしい。
「あんまり食べ過ぎるなよ。特に今夜は、九時以降は絶食なんだからな」
「分かってるって!」
父親に釘を刺されてちょっとカチンときたあたしは、必要以上に大きな声で返事をしてしまった。
「あんたたち、静かにしなさい」
と、そこへ、挨拶回りを終わらせた母親がカーテンをめくって顔を出し、小声であたしと父親を嗜めた。しまった、ここは病室だった。
あたしたちはふたりして、慌てて口をつぐんだけれど、妹の「しのは全部食べるよ」発言に思わず吹き出してしまい、笑いを堪えるのに必死になってしまったのだった。
——この時のあたしは、普段とは全然違う特別な生活、非日常が始まるのがきっと嬉しくて、だからこんなにも浮かれ気味だったのかもしれない。
続
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