第4話 入院病棟の怪

 深夜、突然の光に目が覚めた。

 光源を探ると枕灯がなぜか点いていて、あたしは慌ててスイッチに手を伸ばす。

 カーテンから明かりが漏れて、隣のベッドのおばちゃんを起こしてしまわないかとひやひやしながら電気を消した。

 床頭台に置かれた目覚まし時計の文字盤が『02:14』を表示していて、思わずギクリと眼を見張る。横隔膜のあたりがぎゅうっと引き絞られて苦いモノが食道から迫り上がってきた。

 慌てて視界を覆うように薄い布団をかけ直す。

 ヤバい。丑三つ時じゃんか!

 なんでこんな時間に突然電気が——そう思ったその時。


 ――コンコン。


 深夜の入院病棟の扉が、密やかにノックされたのだった。

 

 初め、看護師の巡回だろうと思われたはとても小さな響きで、聞き逃してしまいそうなほどにひっそりとした音だった。


 ——コンコン。


 そのノック音を意識した途端、あたしはなぜか違和感を覚えて扉に視線を向ける。


 コンコン。


 看護師さん、だよね?コレ……。


 コンコン。

 コンコン。


 ノックの回数が増えた。音も大きくなっているようだ。


 コンコンコン。


 ——何かおかしい。

 なして入って来ないの?そんな強く叩いたらみんな起きちゃうべさ。


 コンコンコン。

 コンコンコンコンコン。


 まるで急かすかのように素早いノック音が響いて、あたしは慌てた。

 もしかしたら開けて欲しいのではないか。

 開けた方が良いのではないか。


 あれ?巡回ってそんなだったっけ?

 看護師が静かに入って来て、さっと懐中電灯で中を確認していくモンなんじゃ?

 それに、もっとなんて言うか……。


 あたしは扉をじいっと見据えたまま、違和感の正体を探った。


 コンコンコン!コンコンコン!

 コンコンコン!コンコンコン!


 今やノック音は病棟中に響き渡っているのではないかと思うほどに大きく打ち鳴らされている。


 ヤバい。なにこれ。ヤバいヤバい!

 目と鼻の先にある扉から視線が剥がせない。

 ノックの主が痺れを切らして扉を開けてしまったらどうしよう。

 ——いや、違う。

 違う違う、もしかしてこの音、……?


 あたしが違和感の正体に気づきかけたその時だった。


 ——バン!!


 背後の窓ガラスが、何者かの手によって一際強く打ち鳴らされたのだった。


「ヒッ!」

 喉の奥から悲鳴が漏れて、あたしは反射的に口を押さえた。頭まで布団を引っ張り上げて背中を丸める。

 

 バンバンバンバン!

 ドン!ドン!


 間違いない。もう間違えようがなかった。

 誰かが窓ガラスを外側からめちゃくちゃに殴りつけている。

 白い遮光カーテンの向こう、更に窓ガラスを隔てたその向こう側に立つ人影を想像して、身体中の産毛がぶわりと逆立つ。

 ありえない。ここは、この310号室は三階にあるのに。なのに——


 バン!ドンドンドン!


 やめてぇッ!!


 あたしはきつく目を瞑り、肩で耳を塞ぐようにしながら布団の端をギュッと握り締めた。まるで拠り所のように、この手だけは離してはいけないような気がしていた。


 ——ゔゔ、ゔ……。


 その時、微かな呻き声が耳元をかすめた。

 どこか暗い場所で、苦しそうに喉を絞っているかのようなその声音に、あたしは薄く目を開けた。


 誰かがうなされている?あたしみたく目を覚ました人がいるのかも。


 ドンドンドンドンドンドン!

 バンバンバンバン!ドンドンドン!


 その人にもが聞こえてるんだべか。

 このわけわかんない、おっかない——


 ゔゔゔ……ぅぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛


 地の底から響いてくるような不気味なその声は、男とも女ともつかず野太くひび割れ、鼓膜を貫通して脳味噌をギリギリと引っ掻いた。


 違う違う!

 気持ち悪い。こんなの、生きているヒトの声じゃ、ない。


 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛

 ドンドンドン!!ドンドンドン!!

 ぐぅあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!

 ドン!ドン!ドン!バンバン!バン!!


 今や割れんばかりの怒号と破裂音が病室内に吹き荒れていた。

 あたしは再度、ぎゅうっと目を瞑る。

 そうすれば、現実を直視しないで済むとでも言うように。

 けれどそれは大きな間違いだ。そんなことをしたって何の解決にもならない。


 分かってる。そんなの分かってるけど、じゃあどうしたらいいの?!

 嫌だよ、どうしよう、こんなのやだ!

 もうやだぁッ!!


 がぁあ゛あ゛あ゛ッッ!!!


 禍々しくどす黒い咆哮が放たれた次の瞬間——

 

 ゴォンッ!!!


 窓ガラスが一際激しく鳴り響き——そして、辺りにしんと静寂が訪れた。

 唐突に始まった怪奇現象は、始まった時と同じくらい唐突に終わりを迎えたのだった。


 どれくらいそうしていただろうか。あたしは力み過ぎてゴチゴチに強張った肩甲骨を無理やり動かし、布団から亀のようにのそりと首を少しだけ伸ばして、薄目を開けて恐る恐る辺りを伺った。

 真っ先に視界に入ったのは緑色に光る時計の文字盤。

 『02 : 15』——眩しい光で目覚めたときに確認した時間は『02 : 14』だった。永遠に続くかと思う程に恐ろしく長かったあの時間が、たったの一分間の出来事だったなんて。


 ああ、そうか——幻だ。

 あたしの錯覚だ。

 すべて幻聴だったのだ。


 そう納得しかけたその時、ぐらりと視界が揺れて、あたしは意識を手放した。



  続

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