第3話 忌夜へのカウントダウン

 それから数日。

 手術もつつがなく終了し、術後の経過も順調で、抜糸が済んだら予定通り退院とのお達しが出た。

 病院内探検も順調だった。

 最上階の展望レストランから地下の霊安室まで、ひと通りお散歩気分で覗き歩いた。

 さすがに霊安室は扉の前まで。地下にあるせいか気分の問題か、なぜかその空間だけやたらと空気が冷え切っていて若干ビビってしまったのは内緒だ。


 それから、いちばん気になったのは一階に発見した喫茶店だった。一階にあるのは売店とか理容室くらいだと思っていたら、奥まったスペースに喫茶店があるじゃないか。店名は『リズム』——うう、入ってみたい。

 ショーウィンドウにディスプレイされた白いコーヒーカップと無造作に配置された珈琲豆は、よく分からないけれど大人っぽくてイカしてる。

 本物さながらの食品サンプルのスパゲッティナポリタンに、マカロニグラタン。エビピラフにミックスピザも素敵だ。クリームソーダ。チョコレートパフェ!

 夢いっぱいの喫茶『リズム』だったが子供ひとりで入店できる筈もなく、後ろ髪を引かる思いで病室へと戻った。


 310号室前の廊下で、ちょうどトイレに立った同室のおばさんとすれ違い、軽く会釈する。

「おかえり〜。一階はどうだった?」

「外来なまら混んでました」

 あたしは行き先がバレてるなと思いつつ、適当にはぐらかす。

 最初はどうなることかと心配していた同室の入院患者さんたちとのコミュニケーションだが、なんとか挨拶やお天気の話題くらいはできるようになっていた。

 それというのも、ひとりおしゃべり好きのおばちゃんが居たからだった。


 あたしの隣で窓際のベッドは五十代のおばちゃんで、左脚を骨折して長期入院とのことだった。ギプスを巻かれ高い位置で固定されている左脚が痛々しい。

 このおばちゃんがなにかと気にかけてくれて、よく話しかけてくれるのだ。

「若い女の子が入ってくれたお陰で、病室が華やかになったべさ」

 そう言って朗らかな笑顔を向けてくれた。

 あたしは華やかとか、そんなタイプとは真逆なんだけど、まぁ悪い気はしない。


 おばちゃんの向かい側、窓を背に右のベッドは今すれ違った三十代のおばさん。母親より少し若いくらいで、シャープな顔立ちの美人さんだ。左手を怪我しており、手首から先が包帯でぐるぐる巻きになっている。あたしと同時期に退院できるそうだ。


 それからおばさんの隣のベッドであたしのお向かいさんは、八十代とも九十代ともつかないお婆さんだ。一日中着用している病院のパジャマから覗く手足に包帯や怪我の痕は見当たらない。なので、どこが良くないのか分からない。

 挨拶はするが基本的に口数が少なくて一日の大半はカーテンで覆ったベッドの上で過ごしている。


 そんな四人が集まった310号室——この部屋に問題があったのか、それとも偶々だったのか。

 その日、思い出したくもない、恐怖の一夜が始まろうとしていた。


 夕食後、あたしは夏休みの宿題に取り掛かった。多少、術後の痛みはあるものの右腕自体は動かせるので、読書感想文を書き上げたあたしは、ふと終業式の日のことを思い出していた。

 ——廣安と仲いいのか?

 青木の声が耳に蘇る。

 廣安聖子  せいこ——あたしのクラスメイトで、抜けるような白い肌と大きなタレ目、それと笑った時に両頬にできるエクボが印象的な、アイドル系の美少女。


 そんな聖子は、本物の不良少女だった。

 柔らかい茶髪。でもそれはひと目見れば地毛だと分かる。けれども可愛い顔によく似合う明るいショートボブは、案の定、上級生の女子生徒たちの反感を買った。

 聖子は当然のように目をつけられて何度かを食らっていた。それでも一向に気にする素振りも見せず、おまけに一年生ながら長いスカートを引き摺り堂々と校内を歩く姿は、恐いもの知らずに見えたし、本音を言うと少しだけ恐かった。

 一学期もゴールデンウィークまでは休みなく出席していた聖子だったが、連休が明けてからは休みがちになり、終業式も当然のように遅刻して来て、通知表をもらってホームルームが終わるや否や、もうその姿はどこにもなかった。


 そんな子と、住む世界がまるで違うあたしが仲良く見えるのか。

 実際のところ、狭くて浅い人間関係しか構築できないあたしと、教室でも特別視されている聖子は、よくふたりで話したりしていた。

 と言っても聖子が教室に居る間だけだったが。

 話すきっかけは単純に背の順で前後になったから。あたしが女子のいちばん後ろで、聖子が二番目。最初に話しかけてきたのは聖子の方だった。

「成宮あやちゃんてゆぅの?デッカいね!どこ小?あたしのこと、セェコって呼んでね。S小出身だよぉ」

 舌足らずに喋る美少女が親しげに接してくれて、あたしは内心で舞い上がった。

 程なくして他のクラスにも素行不良な女子生徒たちが現れて、気づけば聖子もその子たちとつるむようになっていたが、教室内ではあたしに対して気さくに話しかけてくれるのは、相変わらずだった。


 本当は聖子がどう思っているのかは分からない。あたしを構うのは単なる気まぐれ、暇つぶし程度なのかも。

 でもあたしは、聖子と友達になりたいってずっと思っていた。

 ——青ハゲのヤツ、よく見てやがる。

 青木。クラス担任。白衣の理科教師。

 寂しい頭髪。飛び出た頬骨に青白い肌。

 ——線香臭かったな。

 その夜あたしは、久々に嫌な予感を抱えて眠ることになった。

 

 


  続

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