入院病棟の怪
第1話 夏の匂い
初夏の太陽に包まれた校舎が賑やかで開放的な空気を放出している。
リノリウムの廊下や階段の踊り場、昇降口。
あちらこちらから聴こえる生徒たちの明るい笑い声に触発されたかのように、あたしの心も眩しい光に向かって走り出しそうだった。
とうとう明日から夏休みだ。
あたしにとっては中学生になって初めての夏休みが始まる。
あたしの名前は
どこにでもいるごく普通の十三歳……と言いたいところだけれど、少し普通とは違うところがある。
まずは、アンバランスなこの体型。
身長が百六十三センチもあって、なのに体重が四十二キロしかないんだ。ひょろひょろのガリガリで、自分でもエノキダケみたいだって思う。たまに会う親戚の叔父さんには、「相変わらず
この身体のいいところは、とにかく軽いから走ったり飛んだりがしやすくて、バスケ部の練習にはもってこいってところかな。
それ以外は嫌な事ばっかり。男子よりデカいせいでたまに揶揄われるし、服を買うにも、背丈に合わせればいいのか身幅に合わせればいいのか、母親も毎回困ってるくらいだし。
それに、初潮だってまだこない。
早い子は小学校四年生くらいからもう始まってるって聞くのに、保健の先生にそれとなく相談したら、「成宮さんはもう少し食事量を増やしてお肉をつけなさい」って言われたんだけど、自分じゃかなり食べる方だと思うんだけどな。部活帰りの夕食がカレーライスなら、三皿はペロリだし。
あと、普通と違うところは、クラスに本当の友達がいないことかな。
中学生になってもう一学期も今日で終わるのに、そういう友達はできなかった。一応グループには所属してるけど、それは同じ小学校出身の子たちが何となく集まってできたグループだから、みんな手探り状態でどこか遠慮し合いながら、それでもひとりぼっちになりたくなくて一緒に居るのが伝わってくる。
それってなんか居心地が悪い。
でもしょうがないよね。
あたしも同じだもの。
あたしは元々、積極的に人の輪に加わるのが苦手で、だから今のグループのリーダー格の子があたしに声を掛けてくれたおかげで、グループの一員になれた。
居心地が悪いからってグループを抜けるなんてできない。みんな悪い子じゃないのは知ってるし、今更ひとりぼっちになんてなりたくないしね。いくらなんでも惨めだもん。
でも、だからこそ、明日からの夏休みが、あたしは楽しみでしょうがなかった。
北海道K市にある殆どの公立中学校は、今日が一学期の終業式だ。
ある理由から、夏休み中に行われる部活動に参加できないのは少し残念だけれど、毎日読書し放題、絵だって描き放題だし、夏には怪奇特集番組だって、お祭りだってある。
楽しいことだらけだ。
あたしはいつもより重たい指定カバンを肩に掛け直し、足取りも軽く廊下を進む。
まだ午前中の明るい日差しが窓枠にぶつかってキラキラ弾けている。
開け放たれた窓から風にのって聞こえてくる音色は、吹奏楽部が最近よく練習している女性アーティストの曲だ。その曲を小さく口ずさみながら昇降口に向かって歩いていると、背後から呼び止められた。
「成宮、ちょっと」
振り向くと、クラス担任の
部活の先輩の話によると、年中ワイシャツの上にくたびれた白衣を着用し続けているという痩せぎすな理科教師の青木は、まだ四十代半ばだと言うのに頭頂部に残された頭髪は僅かばかりで、口の悪い生徒からは陰で『青ハゲ』と呼ばれている。もちろんあたしもそう呼んでいる。
その青ハゲがぼそりと言った。
「成宮おまえ、
「はぁ?」
担任からの突然の問いかけに思わず眉根が寄ってしまう。廣安というのは同じクラスの女子生徒の名前だった。
「なしてそんなこと聞くん——」
ですか?と返そうとしたその時、ふと鼻先をかすめる匂いに意識が持っていかれて、次の言葉が喉奥に引っ掛かる。
あたしは匂いの出所を探して視線を宙に彷徨わせた。
青木が怪訝な
匂いの出所はすぐに見つかった——青木だ。
目の前に立つ青木からは、普段の彼からは嗅いだことがない線香の匂いがしていた。
『線香の匂いがするところには〝死の影〟がある――』
オカルト系の漫画で読んだことがあるそのネタは、漫画だから所詮フィクションのように思われがちだけれど、あたしは
これは本物の怪現象だということを。
あたしには霊感なんてない。けれど保育園の頃から何度もこの線香の匂いに遭遇していた。
もっとも小さな頃はお線香なんて知らなかったから、「あれ、どっかで線香花火の匂いがする」なんてのんきに思っていたのだけれど。
通遠路の交差点でふっとその匂いを感じた数日後、その交差点では交通事故が起こった。近所の駄菓子屋の店内にその匂いが充満していたかと思えば、後日、店のシャッターに忌中と書かれた紙が貼られていたり。その文字が読めなくて親に尋ねたら「不幸があったんだよ」と教えられた。
不幸。そう、線香の匂いがすると不幸が起こる。
今、目の前にいる青木の身には、恐らく不幸が訪れようとしている。
でもだからって、あたしに何ができる?「身辺に気を付けて」とでも言えばいい?
無理でしょ。そんなこと言った日には、担任から「おかしな生徒」認定されるのがオチだ。
だからあたしは、青木には何にも告げず、そのまま夏休みに突入して、そんなことはいつの間にか忘れてしまっていたのだった。
続
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます