【新編】翠嵐の頃
皐月あやめ
プロローグ
現在――七月
「うへへ……。カワユス……」
相方さんから送られてきた愛猫おふたりの画像があまりにも萌え萌えで、思わず涎が垂れてくる。
ティッシュで口周りを抑えながら辺りを窺うが、誰がいる訳でもない。
この四人部屋の病室に、今はわたしひとりだけが入院している。開かれた扉の向こうには看護師の姿すらない。もしも担当看護師に聞かれていたなら、頭の病を疑われて整形外科病棟から特別な病棟に移されてしまうこと必至だっただろう。
でもこんなに可愛い画像を観たら誰だって我慢なんてできないに決まっている。
方やキッス顔、方やお尻のドアップなのだ。
SNSにアップするのでさえ勿体ない、お宝画像だ。ヒャッホウ!
わたしは両方の画像をしっかりと保存し、相方さんにハートマーク満載の心のこもったお礼文を返信した。
『キモ』
即レスのそのひと言に、無事退院したらぶん殴ってやろうと心に誓う。
令和になって数年が経つ夏晴れのとある金曜日、わたしは都内にあるN総合病院の整形外科病棟に四泊五日の入院をするためにやって来た。
ここ数年、利き手である右腕が痺れたり、手首や指先に強張りが生じたりしてなんとも不便な生活を強いられていた。
腱鞘炎か、それとも持病の頸椎椎間板ヘルニアが悪さしているのか。通院している個人の整形外科の医師に相談したところ、末梢神経の専門医を紹介され受診し、電気を流す痛い検査をしたのが先月の初め。
結果、
利き手が今以上に使えなくなっては生活に支障をきたすどころではない。
全身麻酔の手術は怖いが初めてではないし、術後は二週間程、腕を動かしてはならなくて、その後もリハビリがあるので家事も仕事もままならないし、最近始めた趣味のウエブ小説も暫く書けなくなるなどのデメリットがあるが、わたしは相方さんと相談して手術を受けることにした。
N総合病院の六階、整形外科病棟の605号室に午前中に入った。ちょうどひとりの患者さんが居たがわたしと入れ違いで退院して行った。
なので信じられないことに、四人部屋の病室には現在わたしひとりしか居ないのだ。
扉を背に左右にふたつずつ並んだ、カーテンで仕切られた四床のベッド。その右側のいちばん奥、窓に面した明るい空間がわたしの暫くの居場所となった。
愛猫の画像を堪能したわたしは少しだけ窓を開け空気を入れ替えると、二十年以上昔、地元北海道でもN総合病院の整形外科病棟に入院していた頃のことを思い出していた。
今となっては懐かしくも怖ろしい、あの忌夜の出来事。
あの日もこんな夏の暑い日で、そうそう、夏休みに入ってすぐの事だった。
中学一年生。まだ青く瑞々しくも荒ぶる青春の始まり。
忘れたくても忘れられない、翠嵐の頃——
続
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