Day31 またね

 サマーブルーム境町。

 今はもうないアパートの名前だ。

 あたしはあの部屋が好きだった。家賃は安くて、古いけれど設備はちゃんとしてたし、近くに雰囲気のいい喫茶店もあった。あたしにとっては思い出の場所だ。

 いやなこともあったけど、あの部屋に住んで、ほんとうによかったと思っている。


 今、あたしはべつのアパートに住んでいる。ともだちが近所にいるから、ここに引っ越してきた。

 サマーブルーム境町の隣人、つまり201号室に住んでいた人が今実家に戻っていて、その人のおうちの近くなのだ。ともだちが彼女のところにいるので、あたしも毎日行くことにしている。そこに行くとみんながいるから、サマーブルーム境町の、あの懐かしい部屋に戻ってきたような気分になる。

 今日もちゃんと行ってきた。隣人はあまり元気がなくて、目だけがぎらぎらしていて、でもこれから元気になるかもしれない。

「またね」

 あたしが言うと、彼女はおびえたような顔でこっちを見る。

 外に出る。暑さはもうピークを過ぎている。これから空がだんだん暗くなる。夜になる。お仕事に行かなければ。前は辛いと思っていたけど、今はぜんぜん思わない。なにも感じない。もうきっと、なんだってできる。

 隣人のベランダに、黒い人影が何人も立っている。

「またね」

 声をかけて手を振ると、二人くらいはこっちを向いてくれる。


 サマーブルーム境町の跡地はもう、空っぽだ。

 取り壊し前のお祓いが効いたから?

 ちがう。

 みんな、もうこっちに来ている。


 あたしはアパートに帰る。玄関のドアを開け、中に入り、仕事着に着替えるためにクローゼットの扉を開ける。

 髪の長い、青いワンピースを着た女が、あたしに背中を向けて立っている。


【了】

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ゆうれいやしき ~文披31題~ 尾八原ジュージ @zi-yon

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