最終話 紅の鬼女

 山賊〈猪千〉――。


 千秋亡き後、その名は輪国中を席巻し、やがて圧政に苦しんでいた庶民たちにとって英雄と呼ばれるようになった。

 なぜなら、〈猪千〉を率いる頭がたった一人で公家の大家である三原家を壊滅させたからだ。またその数か月後には信野の有力大名を斬殺し、その独裁に終止符を打った。


 英雄にして革命の先駆者たちを率いる頭の素性を知る者は、誰一人としていない。

 その人物を見た者、あるいは頭に関する噂を聞いた者たちは口々にこう言う。


 中性的な声をしているから、性別が分からない。

 奴は常に般若の面を被っている。

 その冷徹で無情な戦い方は、まさに鬼の如し。血に塗れ過ぎたがゆえに、狂わされた者だ。


 しかし、そんな風聞をもろともにせず、紅葉は義の刃を振るい続けた。

 その際、頭としての威厳や〈猪千〉の沽券を保てるよう、紅葉はあえて素顔を隠し、声音も女性だと悟られないように低くしていた。言葉遣いも男勝りな口調に変え、鹿野呉葉という女性の片鱗を一切感じさせないように努めた。


 その結果、彼女は次から次へと国の要となる者たちを葬り去る大犯罪者として、幕府から指名手配されるに至った。





「これほど美しい女でありながら目を見張るほどの戦闘能力を持つお前を、簡単に殺めてしまうのは惜しい」


 御庭番に入れ。そうすれば、仲間たちの命は助けてやる。


 紅葉が頭となって一年。

 ついに、将軍が直々に連れて〈猪千〉を捕らえにやってきた。

 信野大名と同じく、ある地方でも悪辣と評判の大名がいたのでかの者を囮にし、紅葉たちを待ち伏せていたのだ。


 案の定、〈猪千〉の面々は不意打ちを受けて御庭番や幕府武士に拿捕だほされてしまった。


「お前の決断次第では、仲間の首が全て飛ぶ。果たしてそれでもいいのだろうか」


 眼前の若き将軍は、面を取られて苦悶の表情を隠せない紅葉を心底嘲笑うかのように、口の端を吊り上げている。


 青髪に三白眼。一見、将軍だとはわからない着流し姿に紅葉も最初は驚いた。

 どこぞの侠客と思しき風体だったが、仮にも輪国の統治者――得も言われぬ覇気が内外から滲み出ていた。それは、心身ともに並の武士を凌駕するほどの強さに達していた紅葉でさえ畏怖を覚えてしまったほど。


 だが、今は畏怖よりも憎悪や憤怒の情が己の胸を搔き乱す。

 両腕を拘束され、膝を大名屋敷の床につかされた紅葉は歯噛みした。


「紅葉!」

「姐さん!!」


 千萩を筆頭に、仲間たちが案じの声をかける。

 本当は今すぐにでも自分が大立ち回りをして仲間を逃がしてやりたいところだが、生憎、敵方には〈神器〉所有者が何人かいる。

 〈水〉や〈毒〉、〈夢幻〉など、あらゆるものを司る神の権能を扱える者たちに、一般人に過ぎない自分たちは足元にも及ばない。


 それに、将軍自身も〈神器〉である刀を所持していた。


「早く答えろ。地獄絵図を見たくなければな」


 しびれを切らしたように、将軍こと花川かがわ嵐慶らんけいが決断を迫る。


 ――このままじゃ、皆が……。


 悪しき大名たちを束ねる天下人に恭順するか、己の矜持に従うか。

 どちらかなど、既に決まりきっていた。

 他にこの状況を打破する解決策が無いか、探していたに過ぎない。だが、万事休す。手の打ちようが無かった。


「……私を、御庭番に入れてください」

「賢明な判断だ」


 嵐慶は約束通り、仲間たちを解放した。そのまま〈猪千〉を解散させるよう、紅葉に告げる。


「今日をもって、〈猪千〉は解散する。各自、自由に生きろ」


 この命に従わない者は、私が直々にその首を落としてやる。


 本当はそんなこと言いたくないのだと、仲間たちは分かっていた。

 だからこそ、彼らは涙を流しながらその厳命を聞き入れた。

 彼女に縋れば、足を引っ張ってしまう。彼女の決意を無下にしてしまうから。


「ああ、そうだ。お前も一緒に来い」

「は……?」


 どうやら嵐慶は千萩も気に入ったようで、同行するよう言いつけた。

 千萩は愕然としつつも、紅葉を傍で守れるのだと改心し、ついていくことにした。


 以後、紅葉と千萩は将軍直轄の隠密組織として暗躍することとなる。


 




 第一楽章『緑葉』は典雅かつ繊美な旋律から始まり、

 第二楽章『黄葉』では不吉で物々しく、不穏な音色に変貌する。

 第三楽章『紅葉』を迎えると、力強く雄壮な調べが儚くも哀切な曲調へと昇華され、やがて終焉を告げる。



 『錦秋』は、まさに鹿野紅葉の人生そのものだ。

 だからこそ、魅かれずにはいられない。




 紅の鬼女が抱いた、冷酷かつ暴力的な激情と美しくも切ない想いに――。

 

 


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錦秋 ~紅の鬼女~ 海山 紺 @nagigami

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