最終話 おれもぶべちょぶぶらちょになるんだろうか?

 バイトからの帰り道。考え事をしながら歩いていた。

 根芝もぶべちょぶぶらちょになった。次はたぶんおれの番なんだろう。


「やだ、やだ、やだ……」


 ぶべべべべべべぶぶぶぶぶぶべべべべべべべべぶぶぶぶぶぶべべべべべぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ――

 とうとう、ぶべちょぶぶらちょがそばにいないときでも、ぶべちょぶぶらちょの鳴き声が聞こえるようになってきた。


「くそ、くそ……」


 家に帰ると、即行でパソコンを立ち上げる。7ちゃんねるを開いて、有名人を叩きまくってストレスを発散する。


「ぶべべべべべ! ぶぶぶぶぶぶべべべべべぶぶぶぶぶぶぶ! ぶぶぶぶぶべべべぶぶぶぶぶぶぶぶべべべべべべぶぶぶぶぶぶ!」


 ぶべちょぶぶらちょがそんなおれを見て、嘲笑うかのように鳴く。


「うるせぇっ!」

「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶべべべべべべべべべべべべべ! べべべべぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ! べべべべべべぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ!」

「ちっ……」


 アイツの鳴き声をかき消してやろうと思って、テレビをつける。ニュースだった――

『今日、午前十時ごろ、ミュージシャンの東父岡あじおかじゅんさんが自宅で首を吊っているのを知人が発見しました。心配停止状態でまもなく死亡が確認されました。死体の傍らには遺書があり、そこにはネットに溢れている自身の悪口に耐えられなかったことが自殺した理由だと書かれており――』

 ニュースキャスターが聞き取りやすい声で述べる。


「え……」


 そいつは、おれが7ちゃんねうでさんざん誹謗中傷したやつだった。

 結婚しているのにもかかわらず、浮気をしていたことでスキャンダルになった有名ミュージシャンだ。爆発的な人気を誇っていたが、スキャンダル発覚後はそれがうそだったかのように批判されまくっていた人物だ。

 え、え……?

 え、自殺……?

 ネットの悪口が原因で?

 ま、まさか、お、おれのせいなのか?

 おれのせいで死んだのか!?

 い、いや、ちがう、おれのせいじゃない、ネットで悪口を言われたぐらいで、自殺するやつが悪いんだ。お、おれは悪くない。悪くない……。

 だ、第一、叩いてたのはおれだけじゃない、たくさんいる、た、たとえおれが悪かったとしてもおれだけの責任じゃない。

 おれだけの責任じゃ……ない。


「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶ! ぶべべべべべべべべべべべべべべべべ! ぶべべべべべべべべべべ! ぶぶべべべべべべべべ!」


 ぶべちょぶぶらちょが、かつてないほど大きな声で鳴いている。


「う、うるせぇ」

「ぶぶぶぶぶべべべべぶぶぶぶぶベベ! ぶベベぶぶぶぶぶぶベベ! ぶぶぶベベぶベベぶ! ぶぶぶぶぶぶベベぶぶぶぶ!」

「うるせぇうるせぇうるせぇ」

「ぶぶぶべべぶぶぶぶぶぶベベ! ぶベベベベベベベベベベぶぶぶぶ! ベベベベベベぶベベぶぶベベぶ! ぶぶぶベベベベぶベベベベベベぶぶベベベベベベベベ!」

「お、おれは悪くねぇ、おれは悪くねぇ、おれは悪くねぇ」

「ぶべぶべぶぶぶべぶぶぶ! ぶぶぶベベベベベベベベ! ベベベベベベベベベベベベ! ぶぶぶぶぶベベベベベベぶぶぶぶベベ!」

「お、おれは、悪く、ねぇ……」

「ぶぶぶぶぶぶぶぶ! ベベベベベベベベベベ! ぶぶぶぶぶぶぶぶぶ! ぶベベベベベベベベベベベベベベベベベベベベ! ぶぶぶベベベベベベぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶベベベベベベベベベベベベベベ!」


 ぶべちょぶぶらちょは笑ってる。おれを見下した目で。責めるような目で。くだらないものを見るような目で。

 ああ、そうか、

 わかった。

 ようやくわかった。

 おまえ……おれを責めていたのか……。いままでずっと……。


           *


 次のゼミの日――


「お、おい、顔色悪いぞ? 大丈夫か?」

「ああ……」


 陽一に心配された。こいつに心配されるということは、そうとう顔色が悪いんだろうな。

 寝不足と精神的な疲労で体がだるい……。


「おはよう」


 南波留が講義室に入ってきた。


「「おはよう」」 


 今日はこの三人だけのようだ。寂しいゼミになってしまったもんだ。


「ねぇ、二人とも知ってる? 東父岡純が自殺したって。ネットの悪口が原因だって」


 南波留が興奮した調子で言う。

 おれが叩いて叩いて叩きまくった有名人だ。

 冷や汗が流れてくる。おれは自分の行いを擁護するように言う。


「し、知ってる。叩かれて当然のやつだったな。浮気ばっかして。奥さんがいるのに、女遊びが激しかったらしいじゃないか。クズだクズ」

「なんだと!?」


 陽一が顔を怒りで赤くして、胸倉を掴んでききた。

 な、なんだ急に?


「たしかによくないことをしたかもしれない。だけど、だけどな、あの人はきっと根はいい人で……じゃないと、あんなにいい曲は作れねぇよ。あんなに心に響く演奏は出来ねぇよ……叩かれて当然? ふ、ふざけんなよ……」

「な、なんでおまえがそんなに怒るんだよ、自分の悪口を言われたわけでもないのに。しょ、しょせん他人だろ」

「ざ、ざけんな……お、おれは、あの人のファンなんだよ。大ファンなんだよ」

「ファン? あ、あんなクズのファンなのか? べつにいいだろ。クズにクズって言って、なにが悪いんだよ」

「クズだと? あ、あの人をクズと呼ぶんじゃねえっ!」


 激昂して、拳を振り上げる陽一。

 殴られる!?

 思わず目をつぶってしまう。


「陽一くんやめろっ!」


 南波留の声が部屋に響いた。

 いつまでたっても殴られないのでおそるおそる目を開けると、南波留が陽一の腕を掴んで殴るのを止めていた。


「陽一くん……暴力はダメだよ」

「南波留……おれを止めるな。こいつを殴らないと、殴らないと気がすまねぇっ!」

「気持ちはわかるよ。ぼくも東父岡純のファンだったから……。でも、ダメだ。押さえて押さえて……」


 顔を赤くしておれを睨んでいる陽一。南波留が手を離せば、おれを殴ってきそうだ。彼はそんな陽一をなんとか押さえている。

 陽一の腕を掴みながら、南波留はおれを見ると、


「那谷屋くん、謝ろう」


 謝罪を要求してきた。


「な、なんでだよ、べつに陽一の悪口を言ったわけでもないのに……」

「那谷屋君、悪口を言われて傷つくのはさ、それを言う対象だけじゃないんだよ。その人の家族とか親友とかその人を好きな人とかが、その悪口を聞いたらどう思う?」

「……それは……」

「ぼくは家族や親友や好きな人の悪口を聞いたら、嫌な気持ちになるな。那谷屋くんだって、好きな人の悪口を聞いたら怒るでしょ?」

「……ああ、そうだな」

「でしょ? だから、謝ろう」

「……ごめん」

「……ま、許そう」


 不満げながらも陽一は許してくれた。


「南波留も東父岡のファンなんだろ? ……ごめん」

「いいよ、べつに。これから気をつけてくれたら」


 朗らかに笑う南波留。

 心の広いやつだ。それに比べておれは……おれは……。

 ああ、ようやく気づいた。自分が、とんでもなくひどいことをしていたことに。多くの人を傷つけていたことに。

 悪口を言って傷つくのは、それを言う相手だけじゃない。あたりまえのことだ。でも、そんなあたりまえのことに気づかなかった。

 クズにクズと言ってなにが悪い。みんな悪口を言っているから自分も言う。そんなふうに悪口を言うことを正当化していた。、多くの人を傷つけているのに、その行為を正当化していた。

 ネットで悪口を言うことによって、どれだけ多くの人をおれは傷つけていたんだろう? 

 傷つけた人の数を想像して、ぞっとした。

 ああ、おれって、最低だ。最低の、クズだ。

 クズだ……。


          *


 それから7ちゃんねるでだれかを叩くのをやめた。やめるようになって数週間後、バイトが終わって家に帰ると、ぶべちょぶぶらちょがいなくなっていた。それから一週間経っても、一ヶ月たっても、あいつは現れなかった。

 ああ、やっぱり、あいつは、おれを糾弾していたんだな。

 おれだけじゃない、美斉津のことも三廻部のことも根芝のことも、きっと責めていたんだろう。

 たぶん、誰かを傷つけているのに、正当化したり醜い言い訳をしたりしているようなやつのところに、あいつは現れるんだろう。

 そして、反省するまで鳴き続けるのだ。「ぶぶぶベベベベ」と。あの見下した目で……。

 結局、あいつの正体が、なんなのかはわからないままだ。だけど、べつにいいかと思えた。いなくなったんだし。

 それに、あいつはおれに大切なことを教えてくれた。あいつがこなかったら、おれはたぶんもっと多くの人を傷つけていただろう。

 おれの家にいたあいつは今、どこにいるんだろう?

 なにをしているんだろう?

 またどこかで、だれかを糾弾しているんだろうか?

 きっと、そうなんだろうな……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぶべちょぶぶらちょ 桜森よなが @yoshinosomei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画