第2話 熱に浮かされて
「ねえ、陽葵。僕にメ、メイクを教えてくれない……?」
「はあ?」
これは……夢だろうか。陽葵にメイクのやり方を教わりに行って、そして星夏への恋心を自覚した中学三年生の頃の夢。
「なに、急に。意味分かんないんだけど」
「だ、だから……! メイクを教えてほしいの!」
「いや、だからなんでよ」
「星夏が……」
「星夏兄がなに?」
「星夏がこの女優さん可愛いって言ってて」
そう言って僕は、陽葵にスマホの画面を見せた。
画面には何かの映画のワンシーンだろうか、白いワンピースに身を包み、ショートカットの髪を押さえながら浜辺に立つ女性の姿が映っていた。
「あー、
「うん、それでね。それを聞いたときに、なんかすごい胸がなんていうか……そわそわ? して……」
「ほほう」
「星夏が今まで女の人に可愛いって言ってるの見たことなかったし、なんか初めて見る顔してたし……」
「ようするに嫉妬ね」
「それは……どうか分からないけど。それでね、僕も星夏にあの顔させてやりたい! って思って。だからメイク教えてくれない?」
「ようするに梓は星夏兄のことが好きってことね」
僕は数秒間ポカンと口を半開き、思考が停止していた。それからその停止していた思考を取り戻すように急速に頭が回り始め、僕は大きく首を横に振った。
「いや、いやいやいやいやいやいやいやいや」
「めっちゃ否定すんじゃん」
「いやいや、だって僕も梓も男同士だし、親友だし……!」
「想像してみてよ」
陽葵が身をのりだし、僕の耳元に息を吹きかけるように呟く。
「星夏兄と付き合って、手を繋いで一緒に歩くの」
「手……」
そう言えば小学校高学年になったころから、もう繋いでいない。
「デートでは、手を繋いだままたくさんの場所に行くの。そして別れ際には家の前でハグされて……」
「デート……ハグ……」
まるで催眠のように、陽葵の言葉が僕の脳を反芻する。
「好きだよって言われて、最後にはキスをされるの」
「好き……キ、キス…………!」
「どお?」
「な、なんかすごい胸がドキドキする……」
「ふふ、梓。今すっごい恋する女の子って顔してる」
「え、えー……!? 僕、星夏のこと好き……なのかな……?」
「じゃあ、逆に考えてみてよ。星夏兄が梓とは全く関係ない可愛い女の子とイチャイチャしてるの。どう思う?」
星夏が他の女の子とイチャイチャしてるのを想像して……猛烈な不快感が胸に突き刺さった。
「そっか……僕、星夏のこと好きなんだ」
そう自覚した瞬間、頭の中は星夏のことでいっぱいになった。
初めて会ったときのことから、仲良くなった日、ほんの最近のことまで、星夏と過ごした日々が頭の中に流れ込む。
そんな星夏を思い出す度に、僕の胸は愛おしさでいっぱいいっぱいになった。
「それで梓はあたしにメイクを教えてほしいんだったよね?」
「あ、う、うん。そういえばそうだった」
「いいよ、教えたげる。でも条件付き」
「条件……?」
「星夏兄に告白すること。付き合うことになっても、振られても、今の関係には戻れないかもしれないけど、しっかりと梓の思いを星夏兄に伝えること。すぐにとは言わないからさ」
「告、白……」
今の関係には戻れない……確かにそうかもしれない。というか、現時点で僕は星夏のことを親友ではなく好きな人と見てしまっているから、もう既に戻れないところまで来ているのかもしれない。
それでも表面上は取り繕うことができる。
でも陽葵は取り繕わず、しっかりと自分の気持ちと、そして星夏に向き合えと言った。
星夏は僕に告白されたらどう思うんだろう。
僕たちは男同士で、親友。
星夏は僕に告白されるなんて望んでいないだろう。これから先何年後も、今の関係のまま続くものだと思っている。
でも僕は気づいてしまった。自分の中の恋心に。
そして僕はこれからもずっと星夏の一番近くにいたい。
でも、もし星夏に恋人ができたら、僕は星夏の一番ではなくなってしまう。星夏の隣にいるのが僕じゃないのがもう耐えられない。
ならもう答えは出ているではないか。
僕は星夏と付き合いたい。
ずっと一緒にいたいし、結婚は……できないけど一緒に暮らしたり……。
でも振られて距離が離れるのは嫌だ。
なら、答えは一つ。
星夏に僕のことを恋愛的な意味で好きになってもらうしかない!
「分かった。告白、する……! いつになるかは分からないけど、可愛くなって星夏が僕のことしか目に入らないくらいメロメロにさせてやる!」
「そうこなくっちゃっ!」
陽葵のこの言葉を最後に僕は目を覚ました。
◆◇◆
重たい目蓋を開けると、夕方特有の赤い日差しが部屋に差し込んでいた。
そうだった。今朝起きたら熱があって学校を休んだのだった。
せっかく星夏にアプローチをかける決心がついたと言うのに、さっそく空回りしたのだった。
さっきまで見ていた懐かしい夢も、昨日のことがあったから思い出したのだろう。
もうあれから一年も経ったのかと、感慨に耽っていると、ふと、身体が汗がじわっと溢れだしてくるような感覚があった。
「……暑い」
まだ5月だっていうのに。
枕元のスマホを見ると、時刻は5時すぎを示していた。
布団を持ち上げ、半身を持ち上げるとサイドテーブルにラップのかかったリンゴが置いてある。
両親は仕事だし、陽葵は部活のはずだ。
いったい誰が……そう思い部屋中を見回すと、ベッドにもたれ掛かるように座る好きな人の姿。
「星夏……?」
その背中に向けて声をかけるも、反応は返ってこない。
「どうしているの?」
異なる問いかけにも応じることはない。
「もしかして、寝てるの……?」
確かめるために、僕は星夏の二の腕を人差し指でつついた。
僕とは比べ物にならないほど、筋肉質でがっしりとした腕。血管もぷにぷにしていて、つついていると楽しくなってきちゃって、ペタペタと星夏の腕を触っていた。
「おっきい……」
そして僕の手は、僕とは比べ物にならないほど大きな星夏の手の平にまで辿り着いた。
「お、起きないと意地悪しちゃうぞ……?」
あれほど腕をペタペタ触られても起きることのない星夏の手を、僕は指を絡ませるように握った。
「ふふ、おんなじ男の子なのにぜんぜんちが~う」
星夏と最後に手を繋いだのは小学校高学年のころだから、あれから成長しているのは当然だ。しかし、ここまで差がついているとは。
僕は握っている手にギュッギュッと力をいれたり、抜いたりを繰り返し、しばらくしたら少し名残惜しい気持ちを感じながらも、手を離した。
そして今度は人差し指を星夏の頬に向けて──。
「えいっ」
ぷにっとつつく。
「意外とやらかぁ~い」
頬をぷにぷにとつついたり、鼻にちょこんと触ってみたり、星夏の唇にそっと触れて、その指を自分の唇と重ねてみたり。
きっと熱のせいだろう。
僕は今、客観的に自分がどんな醜態をさらしているのかを認識できていない。頭がもわもわとしていて、ろくに働いていない。
そんな働いていない僕の頭は、更なる醜態を重ねるべく、とんでもないことを考え付いた。
星夏の耳元に唇を近づけ、息を吹き掛けるように呟いた。
「────」
これは予行演習。
いずれ来る本番に向けて、僕は星夏に愛の言葉をささやいた。
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