第3話 アイラブユーは突然に

 梓の女装を知った翌日。学校に向かうために俺は、いつものように梓の家の呼び鈴を鳴らすと、中から出てきたのは中学の制服を身にまとった陽葵だけだった。


「あれ、梓は?」

「熱だからお休み」

「昨日普通に元気そうじゃなかったか?」

「昨日はしゃぎすぎたの。星夏兄が梓に可愛いって言ったから舞い上がっちゃって、責任とってよね」

「責任?」


 そう尋ねると、陽葵は俺に鍵を差し出してきた。


「あたし今日部活あるし、お母さんも仕事だからさ、星夏兄が学校終わったら梓のこと看病したげてよ」

「看病はもちろん行くけど、それにしても鍵って……。セキュリティどうなってんのさ」

「星夏兄だからだよ。忘れたら梓が寝込みを襲いに行くから」

「梓が安静に休めるようにするためにも、絶対に行くよ」

「うむ、それでよい」


 胸を張り、偉そうにしている陽葵から鍵を受けとる。

 正直、こうして信頼されていると実感できるのは悪い気はしない。とはいえ、他人にこうして簡単に家の鍵を渡すのは本当にやめた方がいいと思う。


 それから俺は陽葵と二人で歩く。

 俺は最寄りの駅へ、陽葵は電車には乗らないものの、中学の場所が駅と方面が一緒のため、途中まで同じ道だ。

 十分ほど雑談を交わしながら歩き、駅前で陽葵と別れた。

 それから電車に乗って三駅。電車から降り、数分歩くと見えてくるのが、俺と梓の通う名京大学附属名京高校だ。


 私立らしく、大きく、そして綺麗な外観。

 グラウンドには人工芝が敷き詰められていたり、敷地内には校舎の他にもさまざまな建物が並んでいる。

 敷地が広いためか、校舎へ向かうのにも時間がかかる。4月の頃はこの広い敷地も新鮮に映っていたが、今はもうめんどくさい気持ちの方が強い。

 

 校舎に辿り着くと、下駄箱に下履きをいれ、スリッパにはきかえる。

 下駄箱からすぐのところにある階段を三階まで登り、廊下を少し歩くと俺と梓のクラスである1-Bが見えてくる。

 俺は教室に入り、窓側の一番前にある俺の席に着くと、右隣の席に座る友人、佐々木遥斗ささきはるとと他愛もない雑談を交わし、やがて予鈴がなった。

 予鈴が鳴り終わってからしばらくすると、担任の教師である七種真奈美さえぐさまなみが教室に入ってきて朝礼を始める。


 数分連絡事項をつらつらと話し、七種が教室から出ていくと、それと同時に生徒達は周辺の人たちと会話を始め、教室内が騒がしくなる。

 かくいう俺も、一限の授業の準備をしつつ、遥斗との会話に興じていた。

 そして一限の授業の開始を報せるチャイムが校内に鳴り響いた。


◇◆◇


 六限を終え、下校の時間となった。

 下駄箱で上履きからスニーカーへと履き替え昇降口から外へ出る。部活動へと向かう生徒を眺めながら、長い校門への道のりを歩く。

 ポケットの中に手を突っ込み、今朝陽葵から受け取った梓の家の鍵があることを確認した。


 思えば今日は一日中、梓のことを考えていたように思う。

 それは昨日のことがあったからか、この後のお見舞いのことを考えてか、多分どっちもだろう。


 昨日のことは、正直すごく驚いた。

 梓はなにかと俺のことを慕ってくれていて、俺に対してなにかを隠している素振りなど今まで見せてこなかったから。

 梓が何を思って女装を始めたのかは分からないけれど、とても似合っていたように思う。

 元々陽葵によく似て可愛らしい容姿をしていたし、華奢な体型、その上メイクなんてしていたのだから可愛いのは当然といえば当然なのかもしれないが。


 正直、これから俺は梓に対してどう接するべきか悩んでいた。いや、今まで通りに接しようとは思っていたが、それができる自信がなかった。

 だから、今日梓が休みだと知って少しほっとした。

 それでも頭の中は梓のことばかり。

 昨日の梓の一挙手一投足全てを思い出すことが出来るくらいには、俺の頭は梓に侵略されていた。


 そんなことを考えながら、駅近くにあるスーパーでゼリーやスポーツドリンク、リンゴなどを購入し梓の家に辿り着いていた。

 もし梓が寝ていたら起こしてしまうと思い、呼び鈴は鳴らさず鍵を差し込んだ。

 

 玄関に上がると、家中を静けさが包み込んでいる。一応確認にと、梓の部屋をノックするも返事はない。恐らく寝ているのだろう。

 それから俺はキッチンへと向かい、勝手に使うのもどうかと思い、スマホで包丁とまな板を使う旨の連絡を陽葵にすると、すぐに『どうぞー』と返信が来た。

 

 先ほど買ったリンゴを袋から取り出し、まな板の上に置いて六等分に切り分ける。

 それを皿の上に盛り付け、スーパーの袋と共に梓の部屋へと向かう。

 階段を登り、再び梓の部屋の扉をノックする。なおも、返事はなかったものの、今度は静かに音を立てないように部屋にはいった。


 部屋に入ると、梓の規則正しい寝息が聞こえてくる。

 ベッドのサイドテーブルに先ほど切り分けたリンゴと、スポーツドリンクなどが入った袋を置いて、梓の顔を見る。


 恐らく熱はもうかなり引いているのだろう、とても穏やかな寝顔だ。

 しかし俺は、そんなベッドで寝ている梓の姿を見て、昨日の梓の姿と重ねてしまった。

 俺の胸の中に渦巻く汚い欲望を心の中で殴り付け、梓が視界に入らないようにベッドにもたれ掛かるように腰を下ろした。


 看病を承ったからには途中で帰るわけにもいかないし、梓が目を覚ましたときに一人で寂しく感じないようにここにいようと思った。

 でも、梓を見ると嫌な欲望が沸き上がってくるし、なんなら寝息ですらちょっと危ない。


 だから俺は極力意識しないように目を閉じ、中間テストの範囲である英単語を必死に頭の中で唱えた。

 俺の誤算は、昨晩梓のことばっかり考えていたせいであまり眠れていなかったこと、そしてそのつけが今になって訪れたこと。


 俺は看病に来た身でありながら、眠りに落ちた。


◆◇◆

 

「──────ぜんぜんちが~う」


 意識が覚醒し始めると、最初に感じたのは手への違和感だった。

 具体的には何者かに手を握られている。


 それから数秒。徐々に意識がはっきりしてきて、後ろのベッドで梓が動く度に衣擦れの音が聞こえてくる。

 そして梓が、俺の手を握りながらあげている楽しそうな声も、はっきりと聞こえる。

 

「えいっ」


 梓に声をかけようと、口を開こうとすると、今度は梓の人差し指が俺の頬をつついた。


「意外とやらかぁ~い」


 俺の耳元で、はしゃぐように上がった梓の声に、俺はどう対応したらいいのか迷う。

 今更起きたなんて言いづらいし、この様子だと、梓は意識がはっきりしていないように感じる。なんというか呂律が回っていない感じだ。


 なんて迷っているうちに梓の指は、俺の鼻や唇にまで触れた。

 というか、梓はここまでベタベタと顔に触れられて俺が起きないとでも思っているのだろうか。


 せっかく梓に対して劣情を抱かないように、俺の視界に梓を映さないようにしているというのに、こうもベタベタと触られると、否が応でも梓の存在を意識してしまう。

 そんな劣情を自身の中から追い払うように頭の中で格闘していると、耳元に梓の顔が近づく気配がした。

 梓の艶かしい吐息が、俺の鼓膜を震わせる。

 そして、梓の口から俺の耳元に言葉が紡がれる。


「好きだよ」


 音にも鳴らないような小さな囁き。それでも確かにその言葉は俺の耳へと届いた。

 分かっている、梓は友達として俺のことが好きだと言っているのだろう。

 しかし、昨日のことを思い出すと、もしかしたら梓は恋愛的な意味で俺のことを好きなのではないかと思えてくる。

 そんなことあるはずがないのに、俺と梓は親友なのに。


「梓、今のは……?」


 それでも聞かずにはいられなかった。

 どれだけ考えても俺の中に答えなどはないのだから。今聞いてしまわないときっと家に帰ってからもずっと梓のことを考えてしまうから。


 言葉を口にだした後、いつまでも返答のない背後に視線を向けると、そこには再び眠りについた梓の姿。

 そんな梓の姿を見て不完全燃焼な気持ちを抱えつつも、まさか起こすわけにもいかないので、これ以上尋ねることなどできなかった。


 俺は一度梓から離れ頭を冷やそうと、もう温くなってしまったリンゴを冷蔵庫へと運ぶために立ち上がった。


◇◆◇


 言っちゃった! 言っちゃった!?

 意識が覚醒してきて、先ほどまでの自分の行動を思い返すと顔から火が出そうになるほどの羞恥心が沸き上がってきた。

 せめてもの救いは星夏が寝ていたことか。


 ──そう思っていたのに。


「梓、今のは……?」


 え、え!? 起きてたの!? いつから!?

 な、なんて誤魔化そう……。

 星夏に嘘はつきたくない。でも、今はまだこの気持ちを伝えるときではない。

 だってまだ星夏のことをメロメロにしていない。今告白したところで、きっと振られてしまう。

 そうやって、頭の中であたふたと迷っている間に、星夏がゆっくりとこちらへ振り向いてくる。そして僕はとっさに目を閉じた。

 所謂狸寝入りというやつだ。


 それから星夏は僕が寝ていると思ったのか、リンゴを手に部屋から出ていった。

 そしてその後、星夏が再びこの部屋に戻ってくることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る