献杯

山田あとり

おまえに


 やっと尋ねあてたボロアパートは行ってみるともぬけの空だった。だが住人のジジイの行方は簡単に割れた。入院しているそうだ。

「借金の取り立てならあきらめな。絞っても何も出ねえよ」

 とうに諦めきった顔で教えてくれたのは大家だ。家賃を滞納されジジイを追い出そうとした矢先に病院に逃げられた不運な男。

「さっさと死んでくれりゃ荷物を売り払うんだが」

「死にそうなのか」

「今日にも。と思ったがなかなか死なねえ」

 ひひひ、と笑うが別に悪気があるわけではない。すぐに真顔になって大家は言った。

「おっんだ方が楽ってことも多いさ」

「まったくだ」

 俺は不愛想に同意して踵を返した。その入院先に行ってみよう。俺は借金取りなどではないが、あいつには会っておきたい。預けたままの物がどうなったのか訊かなければならなかった。歩き出してつぶやいた。

「――おまえ死ぬのか、病気なんかで」

 一緒に仕事をしていた頃には殺しても死ななそうだったあいつが。

「まあ還暦越えたけどな。俺だってジジイになった」

 俺たちは同い年だ。それでも自分が死ぬのは想像つくのに、あいつは死なないような気がしていた。

 二人して危ない橋を渡っていてもあいつは飄々としていた。俺が腹に風穴開けて失血と痛みで冷や汗と脂汗のコンボを食らってた時にはヘラヘラと俺を引きずって闇医者に担ぎ込みながら自分だってあばらが折れていた。いわしたのが大腿骨だったらお前を捨ててたぜと笑顔でのたまいやがったのでとりあえず殴った。殴れるぐらい元気ならほんとに捨ててきても大丈夫だったじゃねえかと言い返された。そんなわけあるか。

 だがその後だ。なんとか復帰した俺に同じく復帰したあいつは一本の瓶を差し出した。

「これ割り勘な」

「なんだそれ」

「俺たちの生まれ年ワインってやつ。ジジイになった頃飲もうぜ」

 そんな小洒落た事をどこの漫画で読んだんだか知らないが勝手に買って割り勘を押し付けられて腹が立った。

「ジジイになるまで生きてるわけねえだろ」

「生きてんじゃね? 俺たちならさ」

 無責任に受け合われて財布からさっさと金を抜かれたあのワインは俺にも半分権利があるのだ。こうして見事ジジイになった俺たちはあれで乾杯しなくてはならない。あいつは下手こいて組織に追われワインを預かったまま姿をくらましていたが俺の手からは逃げられないんだ。ざまあみろ。

「――痩せたな。別人かよ」

 病院の大部屋に突っ込まれていたあいつはすっかり人相が変わっていた。もちろん俺にはあいつだとわかるが。

「なんだおまえか。これは変装だ、決まってんだろ」

「へらず口はいい。死ぬ前に言え。あのワインはどこだ」

 尋ねると呆れ顔をされた。

「そんなもんのために来たのか。俺の部屋にあるさ」

「律義に持って逃げてたやつに言われたかねえぞ。アパートの鍵よこせ」

「おまえなら扉でも窓でも破れるだろ」

「やるか馬鹿野郎」

 こんなことのために微罪を犯すまでもない。わずかな荷物からあいつが取り出した鍵を持って俺はアパートに戻った。部屋の中はむっと空気がこもっていて基本あいつの匂いなのに昔と少し違っているのはきっと加齢臭だ。悲哀を感じつつ言われた通り冷蔵庫を開けて俺は絶望した。電気が止まってる。薄々そんな気はしてたんだ。メーター動いてる気配がなかったからな。

 この暑い部屋の中で食材の腐ったのと一緒に保管されていたワイン。どうなってるのか空恐ろしいが瓶をつかんで俺は病院に舞い戻った。そして顔を出した病室のベッドは空だった。あいつの荷物も見当たらなかった。

 白い制服を着た女がシーツをひっぺがしている。出て行きしなにあいつの偽名が記された名札を病室のドアから抜いた。俺は知らぬ顔で廊下を通りすぎた。

 死んだのか。今の間に。飲もうぜと言ったワインを置いて。

「昔はそんなせっかちじゃなかったろうが……」

 ひとりごちた俺は不機嫌に自分の家に帰った。ワインは持ったまま。共同所有者がいなくなったのならこれは俺がどうにでもしていいはずだ。

 ドンとテーブルに瓶を置き、栓抜きをポケットから出した。病院で使う予定だった携帯用栓抜きでコルクを抜――こうとしたら割れた。盛大にため息をつきながらほじくり取ったコルクは欠片がワインに落ちてしまった。

 なんでこんな物、独りで飲まなきゃならないんだ。あいつは最初から飲むつもりなどなかったろうに。

 これは俺たち二人がジジイになるまで生き延びる、まじないみたいなものだったんだろ? だから死ぬまで持っていた。

 だが俺は今、このワインを飲みたい。あいつがまだこの世にいるうちに。魂はどうだか知らないが体は霊安室にあるはずだ。せめて酌み交わした気分にさせろよ。

「――」

 何か言ってやろうかと考えたが、あいつに言う事など何もなかった。ワイングラスなんかじゃないただのコップになみなみ注いで口をつける。

 それは、びっくりするほど不味かった。


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献杯 山田あとり @yamadatori

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