これは「砂糖水の悲しみ」だ

砂糖水の悲しみ、というもの存在を感じています。
例えば、出かけたいのにどうしてもカギが見つからなかったり、
デートに遅れたせいで彼女を泣かせてしまった後の港の遊園地だったり、
ケーキ屋のケーキを自分のために手に入れてひとしきり貪り食ったり、

私はそういうもののことを「砂糖水の悲しみ」と呼んでいます。

この作品には、誰も加害しない、誰も巻き込まない、誰も犠牲者にしない、
苦しみや闇を欲するためにキャラクターのアイデンティティ以上に
キャラクターの境遇を穢さないし、ストーリーの本筋にかかわりのない
残虐なことはしない。悪の側から見た勧善懲悪とでも言いましょうか・・・。

欲する 与えたい 罪と罰を 最低限適切に与える力。
こういったことはなかなかできることではありません。

私は理不尽な人の恐怖の顔を見たいし、困惑が絶望に変わるさまも大好きです。
「なんで、なんで、なんで、私が!!?!?」快感です。


しかし・・・作者様はこれだけ文字数を重ねてもそういう踏み外しはなさらなかった・・・。


負けた。完敗です。優しい闇はまだまだあなたには敵わないと思いました。

そんな優しい作品だったからこそ、アネモネの鉄格子も
デュランの下の床に流れる赤い液体も、



すべて「砂糖水の悲しみ」に見えた…



いや、「甘い蜜の泉」かもしれません。


シアハニー・ランデヴ。

シアハニー・ランデヴ。

シアハニー・ランデヴ。


私にキャラクターの死の看取り方を教えてくれて、ありがとう。

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