第2話 放っておけない!

 ヴィクトールの身体は、傷だらけだった。


 きっとヴォルフ公爵に痛めつけられたのだろう。



 結局私は、ヴィクトールを見捨てて逃げることができなかった。



 だって、誘拐される前なら逃げたわよ!?


 でも、目の前で誘拐されているって知ったら、放っておけないじゃない。


 だって、推しだし……!



 ということで、作戦変更することにした。ヴィクトールも一緒に連れて逃げる!


 牢の鍵は見張りの者から拝借しておいたわ。



「誰だと聞いている。口が利けないのか?」



「えっと、私は、アメリア……」



 ヴォルフ家の者だってわかったら、嫌われちゃうわよね。家名は伏せておこう。



「アメリア……ヴォルフ公爵家の四女か」



 え、もしかして、全員の名前を覚えてるの!?


 うち、十人兄弟姉妹なのに、すごすぎ……。



「何の用だ。父親に続いて、お前も俺を拷問しに来たのか? 本当にヴォルフ公爵家は悪趣味な趣味をしているな。反吐がでる」



 ヴィクトールはキッと私を睨みつけた。


 怒りに燃えた赤い瞳、決してお前には屈しないという意思を感じる。



 誘拐された時の彼の年齢は、私と同じ十二歳だ。


 敵地で拷問されて、今後どうなるかわからないのだから、子供のヴィクトールが怖くないはずがないのよ。


 でも、それを感じさせない態度、さすがヒーローだわ。カッコいい!


 って、そんなこと言ってる場合じゃない。



「違うわ! 私、そんなことしない! 私は……」



 入口の方から悲鳴が聞こえてきて、ギクリと身体が引き攣る。



「お、お許しください! 旦那様!」



「そんなに眠いのなら、永遠に眠らせてやる」



「ぎゃああああああ!」



 耳を塞ぎたくなるような悲鳴が聞こえ、その後はシンと静まった。


 眠らせた見張りが、ヴォルフ公爵に見つかって殺されたのだろう。



 私のせいだ……。



 ここでは使用人が殺されることは、日常茶飯事だった。この十二年間で、ヴォルフや兄弟姉妹たちに殺された者は数えきれないほど。



 そんな異常な光景を毎日見ていると、自分でもどうかと思うけど慣れてきてしまった。誰か殺されても「また、殺されたのね」と軽く思うぐらい。



 でも、自分のせいで誰かが死ぬのは、未だに慣れない。



 初めて死んだのは、侍女だった。


 私がまだ五歳になる前のこと。


 力を秘めていると期待され、大事にされていた私の顔に、お世話中に誤って傷をつけてしまったことが原因で、ヴォルフ公爵に殺された。



 他にも同じようなことで、たくさん……。



『申し訳ございません! どうか、お許しください……!』



 死んだ人たちの命乞いする声が、耳から離れない。



 コツコツと足音が近付いてくるのに気付き、ハッと我に返る。



 ま、まずい……!



「……っ……おねがい、私がここに来たことは、内緒にして……っ」



 私は壁際に隠れ、息を殺した。


 前髪に風がかかって、ふわふわ動く。



 え、なんでこんなところから風が?



 壁に触れてみると、グッと沈みこむ。


 もしかしてこれって、隠し扉ってやつ? ここから逃げられるかも!



 さらに壁を押し込もうとしたら、ヴォルフ公爵がヴィクトールの前で足を止めた。



 今、動いたら、バレちゃうかも。



 私は壁から手を離し、息をひそめる。



「ふん、鎖に繋がれている姿が良くお似合いだ。公子様」



「外道が……」



「あれだけ痛めつけられても、まだそんな目を向けられるのか。さすがだな。どこまで強気でいられるか楽しみだ」



 クククッと楽し気な笑い声をあげ、葉巻に火をつけた。



 う、臭……っ! ただでさえ黴臭いのに、余計に臭くなったわ。私、葉巻とか煙草の匂いって苦手なのよね~……。



「…………ところで、今、ここに誰かいなかったか?」



 …………っ!



 ビクッと身体が引き攣る。



 なんでわかるの!? 野生動物並に鋭いじゃない!



 ここで見つかったら、私、また……。



 過去にヴォルフ公爵から受けた暴力を思い出し、血の気が引いた。


 ヴィクトールにとって、私は誘拐犯の娘で敵だ。知らないふりをしてくれるはずがない。


 脂汗が出て、身体がガクガク震える。



 やっぱり、一人で逃げればよかった……!



「……知るか。知っていたとしても、貴様などに話すわけがないだろう」



 え……!? 嘘、庇ってくれた? どうして?



「いい度胸だ」



 ヴォルフ公爵は牢の鍵を開き、鎖に繋がれたヴィクトールを殴り始めた。



 やめて……!



 身体がガクガク震え、その様子を見ていることしかできない自分が情けない。


 ヴィクトールの綺麗な顔は見る見るうちに腫れ上がり、身体中が赤黒い痣だらけになった。



 初めは楽しそうに殴っていたヴォルフ公爵だったけれど、ヴィクトールがうめき声一つあげないので、飽きてきたらしい。


 火のついた葉巻をお腹に押し付けたところで、牢から外に出て行った。



「今日はこれぐらいにしておいてやろう。明日は俺の息子たちに可愛がって貰うといい。俺と違って手加減を知らないから、楽しみにしておくことだ」



 返り血を顔に付けたヴォルフ公爵は、鍵を閉め直してその場を後にした。足音が完全に遠ざかったのを確認して、ヴィクトールの傍へ行く。



「大丈夫……!?」



 声をかけても、ヴィクトールは返事をしてくれない。



「……どうして、私がいるって言わなかったの?」



「お前が言うなと言ったんだろ」



 お人好し過ぎでしょ……!


 私が味方側の人間ならまだしも、敵側の人間なのに庇うって……。



 やっぱり、一人だけで逃げなくてよかった。この人を放っておくことなんてできない。



「それで、俺に何の用だ」



「あ、あのね……」



「用がないのなら、さっさとどこかへ行け。目障りだ」



「ある! あるわ……あのね、何を言っているのかと思うかもしれないけれど、聞いて欲しくて……」



「回りくどい言い方をするな。さっさとしろ」



 だって、緊張するんだもの……!



 私は深呼吸を繰り返し、ヴィクトールの赤い目を真っ直ぐに見つめた。


 本気だと伝わるように、真っ直ぐ、真剣に……。



「あのね、私と一緒にここを逃げましょう!?」

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