第5話 手を取り合って
草木も眠る深夜、私は再びヴィクトールの元を訪れた。
生傷が増えたヴィクトールは、苦し気な息を吐きながら眠っている。いや、気絶しているのかもしれない。
「ヴィクトール、起きて。私よ」
申し訳ないけれど、起きて貰うしかない。声をかけると、ヴィクトールは赤い瞳を開いた。
「お前……また、来たのか」
「うん、あの、大丈夫……?」
って、何言ってるのよ。大丈夫なわけないじゃない。
「これぐらい平気だ」
あなたも何を言っているのよ。
「とりあえず、お水飲んで」
「ん……」
お水を口元へ持っていくと、素直に飲んでくれた。これからたくさん走るし、喉は潤わせておかないとね。
「今日はいつもより荷物が多いな?」
そう、ここを抜け出すためだ。
「ええ……あのね、ヴィクトール、大事な話があるわ」
「なんだ? 改まって」
ヴィクトールからどんな返答が返ってくるか不安で、心臓がドクドク早鐘を打っている。
グズグズしている暇はない。早く言わないと、いつまたここにヴォルフ公爵が来るかわからない。
「私、今日こそここを出ようと思うの……! あなたも来て!」
「!」
ヴィクトールは、赤い目を大きく見開いた。
「ヴォルフ公爵が、あなたを殺そうとしているわ。ここに居たら、殺される。どうか私と一緒に来て!」
どうか、素直に同意して……!
彼の長い睫毛が揺れる。動揺しているらしい。
「……わかった」
「本当に!?」
「ああ、行く」
ヴィクトールの私に対する態度が軟化していると感じていたし、きっと一緒に来てくれることに同意してくれるんじゃないかとは思っていたけれど、内心不安だったから嬉しい。
「だが、これはどうするんだ?」
ヴィクトールが手足を動かすと、手枷と足枷に引っ張られ、鎖がジャラジャラと音を立てる。
「それなら任せて。いいものがあるわ」
私は荷物の中から、鎖を切るはさみを取り出した。これが一番重かった。これが終わったら捨てていこう。
「よくそんなものがあったな」
「ふっふっふ、武器庫の隅に置いてあったのよ。えーっと、鎖を挟んで……と」
武器庫にあった鎖で練習してきたので、使い方もバッチリだ。手足の鎖を切り、ヴィクトールをようやく自由にしてあげることができた。
久しぶりの自由を手に入れたヴィクトールは、手や足を回し、ググッと背伸びする。
「走れそう? 足は折れていない?」
「ああ、大丈夫だ」
手枷と足枷は付いたままなのが気になる。重そうだ。
「手枷と足枷、そのままでごめんね。本当は鍵を見つけられるのが一番よかったんだろうけど、なかなか見つけられなくて……」
警備の兵は持っていなかったから、きっとヴォルフ公爵が持っているのだろう。さすがにあの人の部屋に侵入する勇気はなかった。
「構わない。家に帰れば、外せる」
「重くない?」
「平気だ」
「そう。……あ、そうだ。これを履いて。これから歩くから、裸足は危険よ」
お兄様のお古の靴を拝借してきた。
「ん」
ヴィクトールは素直に靴を受け取って履いた。
「サイズは大丈夫みたいね。じゃ、行きましょうか。こっちよ」
とうとう、この時がやってきた――。
私はヴィクトールを連れ、隠し通路を出た。
ヴォルフ公爵邸は高い塀に囲まれていて、正門と裏門には見張りの兵がいる。
彼らは決まった時間に塀の周りを見回りするが、もちろんその時間も把握している。今は大丈夫な時間だ。
私は正門と裏門の間にある木の裏に回った。
「こんなところに来てどうするんだ?」
「ここから出るのよ」
塀の前に置いてある大き目の石を退かし、土を払う。そこには木の板が置いてあり、それを剥がすと子供一人が出られる穴が開いている。
「こんな所に穴が……お前が掘ったのか?」
「そうよ。すっごく苦労したんだから。行くわよ」
私よりもヴィクトールの方がやや身体が大きいけど、問題なく入れるはずだ。
今は見張りの兵は来ないとわかっていても、待ち構えられているんじゃないかって恐怖と不安で胸がいっぱいになる。
でも、この恐怖と不安に負けていては、残酷な未来にゴールしてしまう。
勇気を出すのよ。私!
狭くて息苦しい穴を進み、ようやく外に出ることができた。
やった……!
続いてヴィクトールが出て来た。
「こんな穴、よく掘ったな」
「そうでしょう?」
得意気に言ってみせると、鼻を指で撫でられた。
「泥付けて、何、格好つけてるんだよ」
あ……ヴィクトールが笑ってる。笑った顔、可愛い……! 推しの笑顔、尊い!
「う、うるさいなぁ……」
……と、早くここから離れなくちゃ。
「行くわよ! こっち!」
ヴォルフ公爵邸は、森に囲まれている。西の方角に向かって進めば、小さな町があるから、そこで辻馬車を拾えばいい。
ヴィクトールはそこからさらに西の方角へ進んでいけば、シュヴァルツ公爵家領に辿り着ける。私は東の方角へ進んで港に出て、そこから隣国へ出発っていうわけ。
後は森の中で肉食の野生動物に気を付けることと、ヴォルフ公爵家の追っ手が来ないことを祈るばかりだったのだけど――。
人生は上手くいかない。想定よりも早く追って来た。抜け出したことに気付かれたらしい。
「いたぞ! ヴィクトールとアメリアだ! 絶対に逃がすな!」
い、いやーーーーっ!
私はヴィクトールの手を掴み、必死に走った。
後ろに松明を持った兵が近付いている。
こっちは全速力で走っているのに、大人の足、そして鍛えている男の足には敵わない。どんどん間が詰められていた。
誰か……誰か、助けて……!
ヴォルフ公爵にいたぶられている時、何度も誰かに助けを願った。
誰も来てくれないってわかっているのに、どうしてこういう時になると考えちゃうんだろう。
するとヴィクトールが私の手を振り払った。
「ヴィクトール!?」
「お前は行け。俺はここに残る」
「……は!? 何言ってるの!?」
「俺がおとりになる。その間にお前は逃げろ」
「そんなことできるわけないでしょ! 行くわよ!」
そんなことができるのなら、もう、とっくに一人で逃げてるっての!
私はヴィクトールの手を掴み、また走り出す。
「……っ……どうして俺を助けようとする!? 敵対している家の……っ……跡取り息子だぞ!? 助けても、いいことなんて何もない……むしろ生きていることで、お前の脅威になるかもしれない……っ……なのに、どうして……っ」
「……っ……そんなの関係ない!」
息が苦しくて、話すのがきつい。だから、短い言葉になってしまう。
「放っておけないの! 助けたいの! ただそれだけ! いいから黙って走りなさいよ!」
振り返る余裕なんてないから、ヴィクトールがどんな顔をしているかわからない。でも、私を握る彼の手に、ギュッと力が込められたのがわかった。その手はとても熱い。
「ちょこまかと逃げ回るな!」
その時、足に痛みが走った。
「きゃあ……っ!」
追いかけて来た兵が、私の足に何かを投げて来たらしい。私はヴィクトールを巻き添えにし、その場に転んでしまった。
「う……」
長い時間拷問を受けてきたヴィクトールは弱りきっていて、立ち上がることができない。私も足に怪我をしてしまったみたい。同じく動けない。
「さあ、戻るんだ」
じりじりと間を詰められる。
敵は一人だ。でも、屈強な男が相手。非力な子供二人じゃどうしようもない。
「……っ……こ、来ないで……」
だからって、諦められない。戻ったら酷い目に遭う。
この場を乗りきる方法は何かない……? 何か……。
目に入ったのは、持ってきた荷物から飛び出した宝石類だった。
わ、私の宝石ちゃん! これからの資金! でも、それは命があってこそのものよ!
私は宝石を鷲掴みにし、男の頭めがけてぶん投げた。
ゴンッ!
私の日頃の行いがいいからか、宝石は見事男の頭にヒットして、鈍い音を立てた。
「んぐっ!」
男は変な悲鳴をあげ、頭を押さえてうずくまる。
やったーー!
「ヴィクトール、頑張って立って! 逃げるわよ!」
「う……ああ……」
くぅぅ……足が痛い。でも、なんとか立ち上がれるってことは、折れてはいなさそう。
ヴィクトールを支え起こすと、身体が熱いことに気付く。
手が熱いと思ってたけど、熱出してるんじゃない!? しかもかなりの高熱……!
「ガキが、調子に乗りやがってぇぇ……っ!」
復活、早くない!?
走り出そうとした時、男が手を伸ばして私の髪を鷲掴みにした。
「きゃあ……っ!」
私の支えをなくしたヴィクトールは、再びその場に崩れ落ちた。
「やめろ……っ! そいつに、乱暴なことをするな……っ! やるのなら、俺をやれ……っ!」
「ヴィクトール……」
「焦るなよ。こいつの後は、お前だ」
男が握りこぶしを作るのを見て、私は反射的にギュッと目を瞑った。
殴られる……!
「わ、私は、ヴォルフ公爵家の娘よ! たかが兵のお前が私を痛めつける? 笑わせないでよ! 私を傷付けたら、あんたの首が飛ぶわよ!」
精いっぱいの怖い顔をして睨み、怒鳴りつけると、男が笑う。
「そのヴォルフ公爵様からのご命令だ。もうお前はどうなってもいい。死体になってもいいから、とにかく捕らえて公爵様に差し出せとのことだ」
あのくそ公爵~~……!
男は頭皮の痛みに歪む私の顔をジロジロと見る。
「……にしても、本当に綺麗な顔立ちをしているな。殴るのは勿体ない。少し楽しませて貰ってからでもいいかもしれないな」
…………は?
どういう意味かと思っていたら、男が空いている方の手で私のドレスの胸元を乱暴に掴んだ。破こうとしているのだと気付き、言葉の意味を悟った。
「……っ……やめろ! 子供相手だぞ! 正気か!?」
ヴィクトールも気付いたらしい。
子供相手に、何を考えてるのよ! このド変態……!
「い……っ……いや! いやいやいや! 絶対に嫌……! 離せ――……っ!」
男の手を掴んで暴れるけど、ビクともしない。
「暴れると余計に酷くするぞ」
舌なめずりする男を見た瞬間、全身の血液が沸騰するような感覚が訪れた。
どうして私が、こんな思いをしないといけないの? いつも、いつも、いつも……。
次の瞬間、私の身体の中から真っ黒な靄が固まった縄のようなものが勢いよく飛び出してきて、男を締めあげた。
「え……」
な、何これ……。
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