第4話 苦痛の代わりに得た信頼



「ここで何をしていると聞いている」



 身体がガクガク震え、変な汗がぶわりと出る。



「そ、それは……」



 歯まで震えて、歯がガチガチいって上手く話せない。というか、何を言ったらいいのかわからない。


 どんなことを言っても、暴力を振るわれるのは目に見えている。


 震えながら起き上がると、足元に持ってきた荷物が散らばっていたことに気付く。



 ま、まずい……。



 私の荷物を見て、ヴォルフ公爵は何をしていたか悟ったらしい。



「……なるほどな。こいつが飲まず食わずでも平気でいられた理由がわかった。まさか、お前が原因だったとはな」



 ヴォルフ公爵は私の髪を掴み、無理矢理立たせた。



「痛……っ」



「やめろ……っ!」



 ヴィクトールが声を荒げる。まさか庇って貰えるなんて思っていなかったから、衝撃を受けた。



 自分を誘拐した犯人の娘なのに、心配してくれてるの?


 さすがヒーロー、慈悲深いわ……!



「お前はどれだけ俺を苛立たせれば気が済むんだ? この俺の娘として生まれたくせに、能力を持っていない出来損ない癖に、俺の邪魔をするとはいい度胸だ」



 恐ろしい顔を近付けられ、思わずギュッと目を瞑る。



「お、お許しください……お父様……」



「貴様に『お父様』などと呼ばれたくない。不愉快だ」



 私だって呼びたくないわよ!



 首を絞められ、苦しさのあまり手足を動かす。



「うぅ……っ」



「また、躾が必要だな」



 ああ、もうこうなったら、早く終わるのを祈りつつ、ヴォルフ公爵の気が済むまで待つしかない。


 覚悟したくないけれど、覚悟を決めるしかない。誰も助けてなどくれないのだから。


 ヴォルフ公爵は私の顔は避け、服で隠れている場所を殴っていく。



「う……ぐっ……うぅ……っ」



 拳がめり込むたび、声が漏れる。口の中に鉄の味が広がった。



「やめろ! 自分の娘だろ!? どうしてそんなことができるんだよ! 人でなし……! やめろ! やめろって言ってるだろ!」



 私が殴られている間、ヴィクトールは声を上げ続けた。


 さすが私の推し、優しいのね。あ……気が遠くなってきた。上手くいけば、気絶できるかもしれないわ。


 経験上、気絶できた方が楽だ。



 ああ……早く終わって……。



◆◇◆



「……うっ」



 痛みで目を開けると、自室の天井が見えた。


 どうやら上手いこと気絶できたらしい。



「うぅぅ……っ」



 あまりに痛くて、身体が起こせない。骨は折れてなさそうだけど、しばらくはまともに動けなさそう。



「はぁ……まずいことになっちゃったわ……」



 地下牢の警備はより厳しくなった。それでも隠し通路の存在を私が知っていることに気付いていないらしい。通路は塞がれていなかった。



 動けるようになってから、私はすぐに地下牢へ向かった。


 時間はみんな眠っているであろう明け方を狙って、一人から三人に増やされた見張りの者は、いつものように眠り薬を蝋燭に垂らして嗅がせ、眠らせてやった。



 もう、薬が少なくなってきた。慎重に使わなくちゃ……。



「久しぶり。こんばんは……じゃなくて、もうおはようかな?」



 私の声を聞いて、眠っていたらしいヴィクトールがぼんやり目を開き、私の姿を見て見開いた。



「おっ……お前……」



「しばらく来られなくてごめんね。食料と水持ってきたよ」



 近くには、泥水とかびたパンが手つかずで置いてあった。



 拘束されているんだから、こんな所に置いていたって食べられるはずないじゃない! ねずみの餌になるだけでしょ!



 私が来られなかったせいで食事や水を飲むことができず、ヴィクトールは最後に会った時より痩せていた。それに生傷も増えている。



「それよりもお前、大丈夫なのか?」



「骨は折れてないけど、すんごい痛いわ。だから今日は、駄々をこねないで素直に食べたり飲んだりして。はい、まずはお水」



 いつも「いらない」と言って拒否していたけれど、今日は素直に飲んでくれたし、ご飯も食べてくれた。



「……迫害されているというのは、本当だったんだな」



 殴られているところを見て、信じてくれたんだ。殴られ損にならなくてよかった。



「そうよ。いつもあんなことされていたら、家出したくなって当然でしょう?」



「いつも?」



「今回みたいに私が何か仕出かさなくても、虫の居所が悪い時にはああやって殴られるのよ。異能を持たない私は、ヴォルフ公爵家の汚点だもの。完璧な自分から、出来損ないの私が生まれたことが許せないのよ」



「実の娘なのに……」



「実の娘うんぬん~な情を持っているような男なら、あなたのことをこんな風に誘拐して、虐待すると思う?」



 ヴィクトールが黙った。今、内心では「確かに」って思っているんじゃない?



「……あの」



「なぁに?」



 ソワソワしている。



 どうしたのかしら。もっと食べたいとか? 一応、デザートに林檎も持ってきたけど。



「お前が言っていたことを信じずにすまなかった。顔にまったく傷がなかったし、あいつの娘だから信じられなくて……」



「ううん、いいわよ。私にとっては不都合だったけど、疑い深いことは良いことだわ。物騒な世の中だし、信じやすいと生きていけないもの」



「……お前、何歳だ?」



「十二歳だけど、それがどうしたの?」



「俺と同じ歳か。随分と大人びたことを言うなと思って」



 まあ、転生してますから。精神年齢は、かなりいってるわよ?



「そう? えーっと、顔に傷がないのは、私の顔がすっっごく可愛いからよ」



 ヴィクトールが冷めた目でこっちを見てくる。



 あれ、ナルシストだと思われてる!?



「そ、そういう意味じゃなくてっ! ヴォルフ公爵は、私に異能がなくても利用価値があると思っているのよ! 年頃になったら、ヴォルフ公爵家にとって利用価値がある男の元へやろうとしているの! だから、綺麗な顔だけは殴られないってわけ」



「それなら、余計身体を殴るのはよくないだろう。子供が産めなくなったらどうする」



「……子供が産めない方が、都合が良いってこともあるでしょ?」



 十二歳にこの意味がわかるかしら。



 ちなみにこれは、ヴォルフ公爵から実際に聞いた言葉だ。おぞましくて吐き気が込み上げたわ。というか、実際に吐いた。



「…………っ…………」



 ヴィクトールの顔色が悪くなる。


 どうやら十二歳にも、この言葉の意味はわかったらしい。まあ、ヴィクトールは早熟っぽいしね。



「俺が……」



「え?」



「俺があの時、お前を信じて一緒に逃げていれば、お前は殴られずに済んだのに」



 気にしているのね。



「そうね」



 ちょっとだけ意地悪したくなったが、すぐに後悔する。


 ヴィクトールは拘束を外したら、今にも自らの命を絶ちそうな、思いつめた顔をしてしまった。



「そんな顔しないでよっ! 冗談よ! あ、そうだ。今日はりんごもあるのよ。夕飯に出されたものだから、ちょっと色が悪くなっちゃったけど、問題なく食べられるわ」



 口元へ持っていくと、素直に食べてくれた。シャクシャクといい音が聞こえる。


 殴られても、歯は折れていないようね。よかったわ。この世界だと、差し歯やインプラントはないものね。



「いつも持ってくる食べ物は、どうやって持ってきているんだ……?」



「私の食事をよけてあるのよ」



「毎回よけておくなんて、怪しまれないか?」



「平気よ。みんなで揃って食べているのなら、周りの目があって難しいでしょうけど、私の食事は自室に運ばれてくるの。だからよけておくのは簡単」



「一緒に食べないのか?」



「そうよ。ヴォルフ公爵家の人間が、無能の私とは食べたいと思う? きょうだいみーんな、ヴォルフ公爵と同じ性格なんだから」



「ああ……」



 ヴィクトールが、悟ったように呟いた。


 うちのきょうだいたちにも散々痛めつけられているヴィクトールなら、わかってくれると思ったわ。



「じゃ、バレない程度に傷の手当てもしていくわね」



「……ん」



 あら、これまた素直だわ。



 どうやら私が殴られているのを見て、私を敵認識するのはやめたようだ。この調子なら、今度は家出を誘っても断られないかもしれない。



 いやいや、焦りは禁物よ。ここは慎重にいかないとね。



 …………なーんて言っていたけれど、そうもいかなくなった。



 翌日のこと――。



 いつものように、持ち出せそうな金目のものがないか探していた時、ヴォルフ公爵がオスカーお兄様と立ち話をしているのを聞いてしまった。



「お父様、ヴィクトールはどうするおつもりですか?」



「そうだな。そろそろ首を跳ねて、シュヴァルツ公爵家に送りつけてやろう」



 なんですって!?



 原作だとヴィクトールは、半年間拷問され続けていた。でも、今はまだ一か月も経っていない。



 原作の流れと違うわ! どういうこと!? やっぱり、私が動いているから、原作の流れが変わってしまってるの!?



 こうしてはいられないわ。早く脱出しないと、ヴィクトールが力を開花させて、私もヴォルフ公爵家も壊滅させられる!



 よし、決めた。今夜、私はヴィクトールを連れて、ここを脱出する……!


 私は急いで部屋に帰り、密かに荷造りを始めた。

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