第2話

 「狙撃犯がデューラーの名前を挙げたからって、あっさり真に受けるほど軍はバカじゃない。決め手になったのは、暗殺事件の直後にあった匿名の内部告発だ」

 内部告発文は、こうだ。


<デューラーは士官学校に入学した頃から素性を偽っている。彼の本当の父親は、先の内乱の首班だったガイガーだ。デューラーは、父を殺したグラーツ大将を深く憎んでいた>


 軍が改めてデューラーの身辺調査を行ったところ、ガイガーがかつて短期間交際していた女性が、未婚のまま男の子を出産していたことと、それがデューラーだということが判明した。

「デューラーがガイガーの息子だと知っているのは、俺とレンツ、お前だけだ。デューラーを告発したのは、お前だな?」

 士官学校時代、何のはずみだったか身の上話になったことが一度だけある。俺やレンツの不幸な境遇を聞いて、デューラーも隠していられなくなったのだろう。俺たちのことを信頼して、本当のことを打ち明けてくれた。

 だが、告発文の最後は間違っている。デューラーは幼少期、ガイガーの子であったために母とともにひどく苦労したらしい。亡き父への憎悪からグラーツ大将に心酔し、軍の絶対的な信奉者となったのだ。レンツだってよく知っているはずだ。

「なぜだ。なぜデューラーを売った」

 俺には初めから分かっていた。デューラーは、裏切り者ではない。

「……エルンスト、あのときの僕の話を覚えているか」

 レンツが俺に向き直った。自分が殺される立場になっても、やはり表情を変えなかった。

「ああ、覚えているとも」

 レンツは俺たちと違って、裕福な軍人一家の出身だった。けれども幼少期の彼は幸せではなかった。厳格すぎる父と祖父とに「軍人は常に冷徹であるべき」と激しい暴力をもってしつけられ、泣くことも笑うことも許されなかった。やがて何も感情が動かなくなり、いまのレンツになった。

「士官学校に入るまで、僕は何のために生きているのか、分からなかった。『何のために生きているのか分からない』ことを、悲しいと思うことさえない。けれども君たちに会って、こんな自分の性質が、軍では長所になることもあるのだと分かった」

 俺とデューラーは事あるごとに、レンツの冷静さと忍耐強さを賞賛した。彼がいつも冷静で弱音一つ吐かないのは、幼少期の経験から無感情になってしまったせいだとは知らなかったのだ。

「きつい訓練があっても、僕は何も感じなかった。それを君たちは褒めてくれた。ただ僕からすれば、『つらい』と感じながらもやるべきことをやる人のほうが、よほど立派だと思う。たとえばエルンスト、君のように。僕は、友人として君の役に立ちたいと思った。自分から何かをしたいと思ったのは、生まれて初めてだ」

「……何を言っているのか、分からないな」

 俺は悟った。レンツは何もかも、気づいていたのだ。

 もうひとり、グラーツ大将があの晩、あの道を通ることを知っていた人間がいる。

 グラーツ大将の愛人、イレーネだ。

 生い立ちを打ち明け合ったあの日、俺は妹とともに孤児院で過ごしていたこと、妹の名はイレーネといって、本気で女優になりたがっていることを話した。デューラーは気づかなかったようだが、レンツは俺の話を憶えていたらしい。

 俺は妹から得た「情報」をゴルトに渡した。暗殺は成功したが、実行したゴルトは逮捕されてしまった。

 前もって打ち合わせしてあった通り、ゴルトはデューラーの名を挙げた。

 デューラーはスケープゴートとして最適だった。「情報」を得られる立場にあるし、あいつは大将が死ねばどのみち後を追うだろうとも思った。デューラーには悪いが、何としても俺は粛清されるわけにはいかなかった。俺自身の理想を実現するために――そう自分に言い聞かせながらも、どこかでお目こぼしがあって、デューラーが助かる可能性もあるのではないかと、一縷の望みを抱いてもいた。

 こんなに早く、デューラーが裏切り者として特定されるとは思わなかった。あの内部告発は、俺にとって想定外だった。

 裏切者は粛清された。事件はこれで幕引きだ。俺やイレーネに嫌疑が及ぶことはないだろう――だが。

「僕は軍も、デューラーのことも裏切ってしまった。裏切り者としての始末は、自分でつけなくては」

 俺はきっと、デューラーと同じ表情をしていたと思う。

 やめろレンツ、悪い冗談が過ぎるぞ。銃を自分に向けるなんて。それはさっき、デューラーを殺した銃だぞ。やめろ。やめろ。やめろ。

 そのとき、レンツはほんの少しだが、確かに微笑んでいた。

「そうか、これが『嬉しい』という感情なんだな」

「やめろ!」

 俺たちはほとんど同時に引き金を引いた。俺のほうがレンツより早かった。早かったはずだ。思えば、いつだって手を汚すのはレンツのほうだった。せめて最後は、俺でなければならなかった。俺がレンツを粛清したのでなければ。

 俺は長い息を吐いた。そうして長く息を吸おうとして、血の匂いに激しくむせた。

 俺は動かなくなったレンツをまたいで、取調室を後にした。俺の靴は二人の血で汚れており、廊下には赤い足跡が延々と続いた。

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裏切り者たち 泡野瑤子 @yokoawano

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