勇気の一歩が、再生する⑤

 レイド・スタークス。彼の種族は剣闘士族ウォーリア。英雄選定大典では三連覇という前人未到の成績を残し、人民に選ばれる人徳の高い最高総権者メインオーダー。今この世界で彼を知らない者はほとんどいないだろう。


 建物が倒壊し、更地となり炎が燃え盛るエリテアの第八区域。……剣を支えにして片膝をつき、苦悶くもんの表情であえぐ男。


「はぁ……はぁ……ぐっ……」 


 紅赤ルビーレッドの色をした髪、蒼穹そうきゅうを映し出したかのような左目と琥珀こはく色の右目。凛々りりしく整った顔立ち。純白の装束につけた三つの徽章きしょうは最強の証。たずさえるのは由緒ゆいしょある聖剣。彼こそが、最強の英雄レイド・スタークス。


みじめな姿をさらしたな。これで貴様が全うしようとした『平和』も終焉だ」 


 対峙たいじするは……悠久ゆうきゅうの時を生きた最凶さいきょうの厄災・魔神ザーレジアだった。乱れた白髪。鍛え上げられて引き締まった肉体に闇の衣をまとい、漆黒の翼で空に浮いている。世界をにらみつけるのは地獄を映し出したかのような深紅しんくの瞳。


「まだ、勝負はついてないぜ」 

「今まさに、貴様の敗北が決定づけられるだろうに」  


 ザーレジアは手を突き出し、凄まじい魔力の奔流ほんりゅうを発生させる。そこから放出されるのは……回避不可能の波動。至高の魔術だった。


「『ね、あらゆる生命の根源』」 


「ぐっ、うぅぅぅぅっ!」 


 レイドは聖剣を盾にして、必死に耐えた。重みで足元の地面に亀裂が入る。大気がぜた風圧で周辺の建物が塵になる。それでも。都市になるべく被害を出さないように。避難民が地下施設へ身を隠せるように。


「ふっ!」 


 衝撃を受け止めきって、波動を反射させた。遥か上空へとかき消えてゆく。


「はぁ……近いな、おい」 


 ザーレジアはレイドの目前もくぜん、地上数十メートル先まで距離を詰めていた。


「ここからでも反撃できないか?」 

「さぁね」 


 レイドの瞬発力は常人のそれを超えていた。それゆえに反撃を恐れて遠くから魔法や魔術を行使していたザーレジアだったが、もはやその必要はなくなっていた。


「……この時間ときを何百年待ったことか。今、我の宿願しゅくがんは達成される」

「いいや、しくじるさ」 


 ニヤリと不敵に笑った英雄レイド


「貴様……! もういい、貴様の命と都市を諸共もろともに消し去ってやろう」


 再び波動の構えをとった魔神ザーレジア先刻せんこくの比ではない出力が、そこに収束していく。


 ――くそ! あとまたたきの時間さえあれば……!


 この距離ならば。ほんのわずかな隙さえあれば。彼は踏み込み、魔神に致命的な一撃を与えることができる。


 そう、レイドがそう思った直後だった。自身より少し離れた瓦礫がれきの裏に人影を見つける。


 まだ五歳くらいの幼い少女がそこに隠れているではないか。おびえた顔でこちらを見ている。……たすけて欲しい、と言わんばかりに。


――この区域は全員避難したはずじゃ!? ……しかし、どちらにせよ今の僕ではどうしようもない、か。


 英雄はおのれ不甲斐ふがいなさに歯軋はぎしり一つ。無念にも瞳を閉じかける。


 ……だが。それを大きく開いた。


 ――噓だろ!?


 何故ならレイドは、その目で確かに見たからだ。


 瓦礫の裏の少女へ、少年が歩いていくのを。


 その少年は――ヴァン・ストーリアだった。 英雄選定大典カムラで使用する競技用の剣を片手に握りしめて。


 この都市で、ヴァンだけが見逃さなかったのだ。魔神の見せた画面にうつ救難信号シグナル。その刹那せつな場面シーンを。そして、義勇ぎゆうの心が彼を突き動かす。


 ヴァンはもう一方の手を差し伸べた。うなずいて、精一杯の微笑びしょうにじませる。


 ――もう安心だ、俺に任せろ。


「……」 


 ヴァンの心の声に少女は、無言の相槌あいづち。その震える、どこか頼りない手をとった。


 ……物音を立てないように、慎重に。細心さいしんの注意を払って一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくつなぐ。緊張で汗が止まらない。しくじれば、きっとすぐ目の前の景色が暗転する。


 そう、例えるなら時限爆弾の導線を切断する時だろうか。失敗は、許されない。


 ところが。コツ、と。小石につまづいた。たったそれだけの音が響いて。普段ならば問題ない、その行動アクションだが……。


『――ッ』 


 二人の、声にならない声。背筋が凍る。なぜか。


むしケラがいるな」 


 魔神が、こちらを凝視していたからだ。


 魔力の矛先ほこさきが、二人に向けられる。絶句ぜっくする少年少女。底無しの悪意に鳥肌が止まらない。


 ヴァンは、雪景色の走馬灯そうまとうを見ていた。


『もう安心よ。私に任せて』 


 ――言葉には出さなかったけど、台詞セリフまで真似してさ。実力の無い自分に納得がいかなくてたった一人でここまで来た。俺は、間違えたのか……? 身の程を知った方が良かったのか?


 余計なことをしたかもしれない。だがこれを「間違い」であると断言できるだろうか? ……答えはいな、だ。


 ――俺は、この自分の行動を信じたい!


 「君は逃げて!」 


 ヴァンは回り込む形で魔神に突っ込んだ。恐怖で身体が思うように動かない。それを必死に奮い立たせる。せめて少女が身を隠すくらいの時間を稼ぎたいという一心で。


 確かに少年ヴァンは学園で成績も、実技の評価も人並みだった。


「自分なんか」と、そう思っている……。しかし、誰かの為ならば。


 その、大きな、勇気の一歩を踏み出すことができる――! 


 牙突。彼が一番得意とする剣術を繰り出した。


「あああぁっ!」 

「ふっ、空想の得意な餓鬼がきだ。貴様ではどうにもならない」 


 現実は非情だった。牙突よりも先に魔神ザーレジアの魔力が放出されることが、どう見ても明白めいはくに。


しかし、その数秒が世界の命運を分けることとなる――!


「ハァッ!」 

「しまっ――」 


 間隙かんげきを突いたレイドが魔神に接近。彼の牙突が、炸裂さくれつした。正面に竜巻のような衝撃波が発生する。


「ぐぼぁ……!」 


 ザーレジアは血反吐ちへどをはきながら遠くへと吹き飛んでいった。当分の間は戻ってこれないだろう。


「……ありがとう。君のおかげで助かったよ」 


 ふらふらになりながらも、直立する英雄レイド。深々と一礼する。


「いえ……ごめんなさい」 


 それに対し、ヴァンも頭を下げた。


「どうして謝るんだい?」 


 おもてを上げて、不思議そうに首を傾げるレイド。


「余計なことをしてしまったかなと思って」 


 そう話した少年を見て、赤髪の英雄は拳を強く握りしめた。


「……まずは、顔を上げてくれ」 


 ヴァンは言われた通りに顔を上げ、視線をレイドに合わせた。

 レイドは、おもむろに口を開いて話し出す。その声色は、厳格げんかく


「……ごめん、時間が無いから一回で聞いてくれ。僕のこのはね、代々受け継がれてきたものなんだ。全てはあらゆる厄災を断ち切るために。あの魔神はその一つさ」 

「……?」 


 脈絡みゃくらくのない開示カミングアウトにヴァンは戸惑っている。


「『魔石』のことは知ってるね? 魔力、精霊光を秘めたあの資源さ。それをこの瞳で見れば、厄災を解決するための記憶を再生できる」 

「あの……」 


 レイドは続けた。


「そうして明確な解決法を探って戦いが避けられない時、瞳につちかった力を解き放つんだよ」 

「……」 

「そこで、だ」 


 レイドが聖剣をさやに納める。そしてそれを差し出して、毅然きぜんとした態度で。言葉をつむいだ。


「君が、次の後継者になってくれないか」 

「えっ?」 


 それを聞いたヴァンの瞳孔どうこうが、開く。


「元々誰かに譲渡じょうとするつもりだったんだ。そして君の行動と、言動。それと直感で決めた」 

「でも……!」 


 そこへ、予断よだんを許さないように。厄災のおぞましい声が反響はんきょう


「何を話している? 結果は変わらない。待っているのは破滅だけだ」 


 ザーレジアがひるみながらも、その漆黒の翼をはためかせてゆっくりとこちらへ迫ってきていたのだ。それを一瞥いちべつした、ヴァン。焦燥しょうそう。息が荒くなる。


「……さぁ、早く選ぶんだ。僕はどの道、敗北してしまうからね」 

「な、なんで! レイドさんは最強だから勝てますよ! 頑張ってください!」 

声援エールは嬉しいけれど、厳しいかな。もうだから」 


 よく見ると、レイドの左目の空色が抜けてきているではないか。

 

「あ……」 


 それに気づいたヴァンは、思わず声が出た。


「でも、君なら勝って未来を切りひらけるさ。僕の代わりに、ザーレジアを倒してくれ。僕から君へ、最後のお願いだ」 


 世界最強の英雄、その最後の希望であること。それを自覚したヴァンは、呼吸を整えて。決意を胸にした。


「……分かりました。頑張ってみます」 


 レイドはニコッ、と微笑んで。


「ありがとう。では、この聖剣を受け取ってくれ。それだけでいい」 


 少年ヴァンは、さやに収まってなお、澄んだ雪花せっかのように煌々こうこうと輝きを放つ白刃を、その手へ。


 その刹那。ヴァンの瞳が片方、何処どこまでも続く蒼空そうくうのように変色。その代わりにレイドの瞳からそれが消えていった。


「その聖剣の名は『エスペランサ』。絶対に手放さないで……さぁ、」 


 いつの間にか背後に人が立っていた……ベータ組の担任、マリだ。ひょいと背中にヴァンをかつぐ。小脇に抱えるは先程の少女。


「いいんだね、」 


 マリが、唇をぐっと噛みしめながら。 翡翠ひすい色の瞳から溢れるものを必死にこらえて問う。


「はい。きっと今でなくても彼を選びます」 

「……そっか」 


 ふっと微笑みを浮かべたマリは、振り返って。瞬間移動装置テレポーターへと全速力で走り出した。


「あ、それともう一つ!」 


 レイドが、張り裂けんばかりの声を上げた。ヴァンが振り向く。


「少年! 君はまぎれもなく『』だぜ!」 


 レイドは爽快な笑顔でサムズアップ。背を向ける。


 そして……。少年ヴァンは、猛炎もうえんの景色に溶け込んでいく騎士をただ見ていることしかできなかった――。

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