第三話 三者口論之事

 新たに京兆家に養子として迎えられた六郎が入京してまず入ったのは、政元の邸宅遊初軒であった。そこで養父政元への挨拶を済ませた後、随行の三好之長は陪席していた赤澤宗益と面談していた。

 前述のとおり之長が上洛したのはこれが初めてではない。存命だった政之に従って在京した経歴がある。当時は在京義務に従ってただ漫然と洛中にいただけだったが今回は違う。情勢次第では、六郎に京兆家の家督が転がり込んでくるかもしれない阿波守護家にとっての重大局面であった。その重要性を知り尽くしていたからこそ、慈雲院じうんいんは在京経験豊富な之長を六郎に付したのである。

 過去、自らの身代を肥やすためにさんざん迷惑をかけてきた主家に、そろそろ忠節を尽くさねばならぬ――。柄にもなくそんな殊勝な心意気で臨む之長。

 六郎を支えるためには財力が必要だ。その本拠地である阿波との通行も確保されていなければならない。玄関口となる兵庫津ひょうごのつと、そこで陸揚げされた人や物の通行を扼す兵庫南関ひょうごみなみせきは、阿波守護家がなんとしても抑えておかねばならない要地だった。

 関所といえば通過に際し関銭を徴収される料金所だ。いわば利権が発生するわけだが、兵庫南関を知行していたのは興福寺であった。寺領内に所在する交通の要衝に関所を設けて、関銭収入を得ていたのである。

 之長はその押領を目論んでいた。心懸けが殊勝になってもやり方が変わるわけではない。

「興福寺対策と申せば宗益殿にかなうお人なしと聞き及んでおります。どうでしょうな、できますかな」

 押領を、である。宗益は答えた。

「南都(興福寺)の抱える大和六方衆の武は芸道の類いで恐るるに足らず。本国大和ですらその有様なのに、わざわざ兵庫くんだりまでいって貴殿に抗うようなことはまずござるまい。せいぜい訴訟を起こされて小うるさく感じる程度のこと。やっておしまいなさい」

 声を揃えて笑う両者。

 この回答に力を得た之長は、被官撫養むや修理進しゅりのしんに命じて兵庫南関を押領してしまった。同じころ六郎は元服し、将軍義澄の偏諱を得て

「澄元」

 の名乗りを挙げ、摂津守護に任じられている。

 澄元が摂津守護に任じられ、当地の要衝兵庫南関を之長が押領したのだから、阿波守護家は何ら労することなく摂津を分国化してしまったようなものだ。澄元は阿波から上陸を果たして幾許も経ることなく、京兆家家中で大きな力を得ることとなった。

 愉しまなかったのは香西又六や薬師寺長忠といった連中だ。

 彼らは九郎澄之を擁しており、順序でいえば澄元ではなく澄之が摂津守護に任じられて然るべしと考えている。ことに摂津守護代薬師寺長忠にとって、澄之の政敵である澄元が当地の守護になったことは、許すべからざる決定であった。

「こんなことにならぬように俺は兄貴を殺したのだ。これではその意味がないではないか!」

 又六との談合の席で声を荒げる長忠。

「俺は……俺は世間じゃ義朝よしとも呼ばわりされてるんだぞ!」

 遠く保元の乱(一一五六)のとき、源義朝は、父為義ためよし、弟為朝ためともらと袂を分かって争い、勝利した義朝は乱後、父為義の首を刎ねている。不忠不孝の代表例として必ず挙げられる本朝の故事であった。実際には義朝は、自らの戦功と引き替えに父の助命を願い出たが却下されたとされており、好んで父の首を刎ねたわけではないのだが、それでも父親を殺した事実は事実だ。

 なにごとも体面を重んじる武士にとって、父殺しの大罪人義朝に喩えられるなど堪えがたい恥辱である。加えてその結果、意に沿わない情勢に至っているとなると尚更であった。

 その思いは又六とて同じである。

「あの阿波野郎、関所押領など図に乗りよって。目に物見せてくれよう」

 阿波野郎、とは之長を指している。もしかしたらその先にいる六郎澄元すらも含めて呼んだのかもしれない。

 又六は自らの被官人に対し、トラブルの相手方が之長の関係者だった場合は速やかに知らせるよう通達した。

 果たして両者は下京で大げんかとなった。

 ひとくちに武家被官人といってもその裾野は広い。特に洛中では、自らの権益を守るためにあらゆる階層の人々が武家との主従関係を求めた。上は有力商家から、下は乞食同然の者まで、幅広い階層の人々が武家との主従関係を締結していたのである。

 この下京における両者の大げんかの詳細は今日伝わっていないが、大胆な推測が許されるならば、乞食同士の縄張り争いが発端だった可能性すらある。それぞれが仲間を呼んで五月雨式に加勢を投入し、次第に規模が膨れあがって大げんかに発展していったのだろう。

 同じ京兆家の被官人同士、之長と又六の話合いで決着がつけば良かったのだが、それが出来るのならばはなからこんなことにはなっていない。既に両者の関係は話合いもままならないほど険悪化していたはずだから、けんかを収めることが出来たのは政元くらいしかいなかったかもしれない。

 澄元を擁して威勢を振るう阿波衆と、澄之を擁する又六や長忠など旧来の内衆との対立は深まるばかりであった。

 それぞれに担がれている神輿みこしも必死だった。

 澄之も澄元も、個人的にはなんの怨恨もない間柄だ。だからといって

「俺は相手が憎くない。家督争いから下りる」

 などと言えば、これまで見返りを求めて仕えてきた人々から復讐を受けるのは他ならぬ自分自身なのだ。殺されて他の候補者を立てられるだけである。憎くもない相手と嫌でも争わなければならなかった事情は、義尹と義澄の関係性に通じるものがある。当時権力の座にあった人々は、それはそれで大変な思いをしていたのである。

 あるとき澄之と澄元、そして野州家の細川高国が一堂に会することがあった。口火を切ったのは澄元であった。

義兄上あにうえは公家ゆえに力量に乏しい。あとはそれがしにお任せあって隠居なされよ。悪いようにはいたしませぬゆえ」

 澄之にとっていちばん言われたくないことを面と向かって言われたのである。たちまち朱に染まる澄之の表情。

「おのれ言わせておけば増長慢心にもほどがある。阿波くんだりから昨日今日担がれてきた田舎者めが、言って良いことと悪いことがあろう!」

 養子に入った順番から、いちおう兄が澄之で弟が澄元という立ち位置ではあるが、両者とも延徳元年(一四八九)生まれの同い年である。遠慮のない物言いが互いの敵愾心を煽る。

 それに較べたら高国は両者よりも五歳年長の文明十六年(一四八四)生まれ。本来であれば両者の間に割って入って仲裁すべき立場だったが、近年急激に台頭してきた澄元に対する鬱憤は高国も同じであった。

「それよ! 慈雲院殿の威勢を笠に着て癪に障る物言いをするでないわ! 長幼の序をわきまえられんなら即刻阿波に立ち去れ、この慮外者めが!」

 澄之に肩入れした高国だが、それは阿波勢憎しの念からそうしているだけの話であって、決して澄之を京兆家督と認めているわけではない点には注意が必要だ。

 いつ果てるとも知れぬ三者の口論。かつて誇った一族の鉄の結束は、内側から崩れつつあった。

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政元地獄變! @pip-erekiban

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