第7話 キラキラで、可愛いよ!

 嫉妬したの。

 あたしはあの時、嫉妬した。

 ただそれだけの理由で、今日まで咲良さくらを傷つけた。


「嫉妬?」


「そう」


 こてんと首を傾げた咲良に、きっぱりとうなずく。


「咲良が可愛くて大好きだった。咲良の魅力に気づいたのも、咲良の一番可愛いところを知ってるのも、全部あたしだと思ってた」


 学校で、咲良に最初に話しかけたのはあたし。

 ぽつんと座ってた咲良の、芸術的な美しさに、最初に気づいたのはあたし。

 咲良の可愛さを一番知ってたのもあたし。

 咲良に似合うものをわかってたのもあたし。

 そのはずだったのに。


「咲良は可愛いから、メイクなんてしなくてもいいと思ってたの。そのままで綺麗だから、無理に色を足したって、それが崩れるだけだって」


 美術館の絵画に、描き足そうなんて思わないでしょ? それと同じ気持ちだった。

 なのにあの時、他の子が咲良にメイクをした。

 それは、咲良の綺麗さを崩したわけじゃなくて――いっそう、引き立ててた。


「でも、咲良はあの日メイクして……それが、全然、崩れてなんかなくて――認めたくなかった」


 似合ってた。とっても可愛かった。

 咲良があたしに言ってくれたみたいに、素敵とか、いっぱい褒めてあげたかった。

 でも、できなかった。


 赤いリップが、あたしに向けたバツ印に見えたから。

 あたしが完璧だと思った物に、100点の答案に――赤を、入れられた気分になったから。


「あの子に負けて、悔しかったの……っ!」


 あたしは、咲良にリップを塗ったあの子に、嫉妬した。

 あの子の方が、咲良に似合うものを選べるんだって。

 あの子の方が、咲良の可愛さをわかってるんだって思ったら……悔しくて悔しくて、仕方なかった。


「ごめん、ごめんね、こんなつまんない理由で、酷いこと言って……!」


 言った。全部、話せた。

 咲良は、どう思ってるのかな。

 最低だなって、思ってるのかな。


 怖くなって、じっとこっちを見つめてくる目を見れなくて……俯いちゃった。


 ぎゅっと握った自分の手を、意味もなく見つめる。

 咲良は、何も言わない。

 あたしも、もう言うことがない。


 静かな時間が、どれくらい流れたのかな。


 視界の真ん中に、赤が入って来た。

 その正体は――咲良が握ってた、赤いリップ。

 咲良がリップを、あたしの視界に入るように掲げた。


「――いいよ」


 顔を上げると、すぐ近くに綺麗な顔。

 にこりと優しく微笑んだ、咲良がいた。


「傷ついたし、悲しかったけど……私、似合ってないって言われたことが嫌だったんじゃないんだよ」


「何……?」


 咲良の、優しい声。

 全然怒ってないみたい。

 こんなに酷いことしたのに、怒ってないの?


「夢愛ちゃんがいつも可愛いって言ってくれるの、嬉しかったの。それだけが、私のとりえだったの。だから――夢愛ちゃんに可愛くないって思われたら、もう何もないって思った」


「そんな……!」


 あたしが反論しようとすると、咲良が手を握ってきた。

 違うんだよね、わかってるよ。と、優しく言う。


「今でも夢愛ちゃんから見て、私は可愛いんだよね?」


「うん」


「夢愛ちゃんのメイクのお陰で、もっと可愛くなれてる?」


「……うん」


 可愛くなれてる。

 ちょっと迷っちゃったけど……断言できる。


 全体を青みがかった色で統一してるから、咲良の肌の透明感が引き立ってる。

 アイラインが綺麗な目の印象を引き立ててるし、アイシャドウのラメと頬の赤みが、とびきり可愛く見せてる。


 このメイクはとっても咲良に似合ってて、咲良の魅力を引き立ててる。


「なら、夢愛ちゃんが一番、私の可愛いとこを知ってるってことじゃない? 知ってくれてるから、私に似合うメイクができるんじゃないかな?」


 咲良がリップのパッケージを開ける。

 透明の箱を横に置いて、リップをあたしに握らせてきた。


「やめたいなんて言って、ごめんね。私、似合わないのが怖いんじゃない、また、夢愛ちゃんに嫌な気持ちをさせるのが……嫌なの。夢愛ちゃんに、嫌われたくない……!」


 咲良の顔は、泣きそうに歪んでいて、それでも唇は、笑みの形を作ってる。

 無理にでも笑って、あたしを安心させようとしてくれてるのかな。

 傷ついたのは、咲良のはずなのに。


「私が可愛い髪型とかしたら、嬉しそうに笑ってくれたから。メイクの話をする夢愛ちゃんは、とっても嬉しそうだったから、だから私もメイクで可愛くなったら、夢愛ちゃんに喜んでもらえると思った。でも……そんな気持ちだけじゃ、だめなんだよね」


 今なら、わかるよ。夢愛ちゃんに言われて、気づけたよ。

 ゆったりとした、優しい声が、そう言った。


「私、必死だったんだ。夢愛ちゃんに置いていかれたくなくて、それしか考えてなくて――こんなに素敵な物を、見てなかった。お姫様に憧れた気持ち、忘れてた」


 咲良はじっとリップを見つめてから、あたしの方を見た。

 その顔はもう、全然不安そうじゃない。


「私、夢愛ちゃんが好き。それに、キラキラしてるコスメも好き! 私もメイク……やってみたい! このリップ、夢愛ちゃんが一番似合うと思う塗り方で、塗ってほしいの!」


 咲良が、明るい顔で笑った。

 真っ直ぐにあたしを見つめるその目には――星が、キラキラと輝いてる。


「私、もう怖くないよ。むしろ、鏡を見るのが楽しみなの。だって――大好きな夢愛ちゃんがしてくれた、ずっと憧れてたメイクだもん!」


 眩しい笑顔は、とっても可愛かった。


 初めて会った時の、自分の席で俯いている咲良。

 一緒に遊んだ時の、楽しそうな咲良。

 あの時の、赤いリップを塗った咲良。

 今まで見てきたどの顔よりも、可愛い。


 あたしが見つけた完璧を超える、新しい完璧。


 それは、メイクの力が。あたしの力が。

 あたしを信じてくれた――咲良の力が生み出した、新しい咲良の魅力。


「……わかった」


 あたしが全部話したから、咲良も、全部話してくれたのかな?

 真っ直ぐな咲良の言葉が心の奥まで届いて、あったかくしてくれた。

 あたしも頑張って、真っ直ぐに伝えたから。

 咲良の心も、あったかくなったかな?


「うん、お願い!」


 あたしにリップを渡してくれた咲良の顔が、キラキラしてる。


 コスメが持つ輝きが、あたしの手を通して――咲良の顔に広がったんだ。

 キラキラとした魅力が咲良を笑顔にして――今度は、あたしを照らしてる。

 眩しくて、可愛くて、とっても素敵。

 人にメイクをするのって、こんな感じなんだ。


 咲良からリップを受け取って、蓋を開けた。

 それから、とびきりの笑顔で言う。


「任せて! あたしが咲良を――一番可愛いお姫様にしてあげるから!」


 椅子に座り直した咲良が、そっと目を閉じた。

 その表情は柔らかくて、緊張した様子もない。


「いくよ」


 左手でそっと咲良の顎を支えて、小さな唇にチップを触れさせた。

 昨日の朝と同じように、気持ち内側めに塗る。


 真っ赤に染まった唇に、軽くティッシュを押し付ける。

 余分な色を拭き取って、もう1回、今度は内側にだけ色を重ねる。


「ちょっとごめんね」


 と断って、指先で赤い唇に触れた。

 塗り重ねた部分をなぞるように撫でて、馴染ませる。


 一旦離れて、出来栄えを確認。


 ――うん、可愛い。咲良、最高に盛れてる!


「できたよ!」


 心の中で魔法の呪文を唱えてから、咲良に声をかけた。

 ゆっくりと目を開けた咲良に、手鏡を渡す。


「ありがとう」


 嬉しそうな顔で言った咲良が、ためらいなく鏡を見た。

 黒目がちな目が丸くなってから――きゅっと細められる。


「……本当だ。私、普段の何倍も可愛い。夢愛ちゃん、すごい!」


 キラキラッと目が輝いてて、可愛い、素敵な笑顔。


 あたしの完璧を超える完璧を、さらに超えた完璧。

 芸術品なんかじゃない。咲良は、ただの女の子。


 ただの女の子だからこそ、メイクの力を、自分の力に変えられる。

 自分の魅力を引き立てて、キラキラと輝けるんだね。


「……当然でしょ。あたしが一番、咲良のことわかってるもの!」


 あたしは小さく頷いて、咲良から鏡を取り上げた。

 不思議そうにしてる咲良を、正面から抱き締める。

 そうして、2つ目の言わなきゃいけなかったことを、大きな声で言った。


「――とっても似合ってる。キラキラで可愛いよ、咲良……!」


 なんだか涙が出そうになって、顔を見せられない。

 抱き着いたまま、お互いの顔の見れないまま。


「ふふっ、ありがとう!」


 でも、わかる。咲良がちゃんと、笑ってることくらい。

 咲良の声は、楽しそうに弾んでるから。


 あたし、本当はずっと、この言葉が――この声が、聞きたかったの。

 咲良を悲しませるんじゃなくて、メイクで笑顔にしたかったの!


 遅くなってごめん、大好きな咲良。

 あたしの最初の、お客さん。

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赤を入れる 天井 萌花 @amaimoca

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