第6話 言わなきゃいけないこと

 それから咲良さくらは、そのリップを買った。

 会計を終わらせて自分のものになったリップを持った咲良は、まだ不安そうだったけど……少しだけ、嬉しそうな顔をしてた。


 大丈夫。

 あたしは、もう間違えない。

 その“少し”嬉しそうな顔を、“すごく”嬉しそうな顔にしてみせる。


「ただいまー! ママー、咲良と部屋で遊ぶねー」


 玄関のドアを開けて、大きな声で叫んだ。

 咲良についてくるよう言って、すぐに二階のあたしの部屋に行く。


 ママ、咲良を見たら絶対喜びすぎるからね。

 面倒だから放っとこう。


「咲良、ここ座って」


 部屋に入れた咲良を、椅子に座らせる。

 綺麗に揃った前髪を上げ、ピンで留めた。

 机の上にメイク用品を並べて、準備万端!


「……よし! じゃあ、メイクしていこ! まずは下地塗るよー」


「……う、うん」


 声をかけると、咲良はぎゅっと目を閉じた。

 不安そう。だけど、きっと大丈夫。


 チューブタイプの下地を絞って、手の甲に出す。

 透明なクリームを指に付けて、咲良の顔に丁寧に塗っていく。


 下地には、色がついてるものもある。

 色によって、色々な効果があるんだ。


 でも、今回は透明のにした。

 咲良は元が綺麗だから、その魅力を生かしながら、新しい一面を見せるようなメイクをしたいの。

 咲良の良さは、隠さない。咲良の可愛さを引き立てたい。


 下地を塗り終えて、今度は白いパウダーをはたく。

 ふわふわのパフを顔に当てると、うっすらと粉が付く。

 何も変わったように見えないけど、メイクののりがよくなるの。


「もう目開けていいよ」


「わかった……!」


 緊張してるのかな? 咲良の返事は、ちょっとぎこちない。


 パウダーを机に置いて、次は頬。

 優しいピンク色のパウダーチークを、大きめのブラシにとる。

 そのブラシを、咲良の頬にくるくると当てた。


 終わったら今度は、アイブロウパウダーっていう茶色い粉を、ブラシで軽く眉に乗せる。


「うん、いい感じだよ」


 少しでも不安が和らぐかと声をかけてみたけど、やっぱりだめみたい。

 完成を見せて、びっくりさせるしかないかな。

 

 次は……アイシャドウ。

 アイシャドウは瞼や涙袋に付ける物で、パウダータイプとかクリームタイプとか、色も形も、いっぱい種類がある。

 自分に合う色の中から、なりたい理想に合わせて選んだりできるの。


 あたしが持ってる中で、一番咲良に似合うのは……これ!

 青みがかった色が四つ入った、小さなパレット。

 この青みが透明感を引き立てて、綺麗に見えるはず。


「ちょっと目閉じて」


「わかった」


 咲良に声をかけると、素直に目を閉じてくれた。

 緊張しているのか、ぎゅっと強い力が入っているのがわかる。


 薄いピンクブラウンを、ブラシでそっと瞼全体に乗せる。

 ブラシからチップに持ち替えて、濃いブラウンを目のキワに、間くらいのブラウンを目尻側に乗せる。

 キラッキラのパープルラメを涙袋と瞼の真ん中にちょんっと……うん、いい感じ!


 次はビューラーで睫毛を上げる……のは、怖いからやめとこ。

 人にやったことないから、失敗しそうだし。

 咲良は睫毛が長くて大人っぽいから、すだれまつげが似合いそう。


 すだれまつげっていうのは、ビューラーでカールさせてないまつげのこと!

 大人っぽくて綺麗な印象になるから、これもアリなんだ。


「咲良、目開けて?」


「わかった。……えぇ、ペン!?」


 目を開けるなり、咲良が少し不安そうな顔をする。

 あたしが、細いマジックみたいなペンを持ってるからかな。


「アイライナーだよ。ブレるから動かないでね」


「えぇぇ」


 咲良の頬に手を添えて、抑える。

 ちょっと震えてる気がするんだけど、言わない方がよかったかな。

 丁寧にやったら失敗するな、と思って、ささっと最低限だけラインを引いた。


「――よし! 咲良、さっき買ったリップ出して!」


「う、うん。わかった」


 咲良はそろっと椅子から立ち上がって、重たそうな鞄を開ける。

 小さな袋から、赤いリップを取り出した。

 じっとリップを見つめるその顔は、やっぱり不安そう。


「……あのね、夢愛ちゃん」


「どうしたの?」


 遠慮がちに口を開いた咲良が、迷うように視線を彷徨わせる。


「やっぱり私、やめとこうかな」


「何で? あとリップだけなのに」


 あたしが聞くと、咲良は気まずそうに目を逸らした。

 暗い顔で、じっと俯いている。


「そう、だけど……」


「だけど?」


 咲良は右を見て、左を見て、下を向いちゃった。

 あたしの顔を見ないまま、震える声で言う。

 

「私……似合わないかもしれないから……怖いの……」


 ぎゅっと両手でリップを握る咲良。

 不安がってるのが、よく伝わってくる。

 そんなに怖い? そんなに本気で、似合わないって思ってたの?

 あの時から今まで、ずーっと。


「咲良、あたし、ずっと言いたかったこと――ううん。言わなきゃいけないことがあるの。二つ」


 ……あたしの、せいだよね。

 あたしが咲良を、怖がらせたんだよね。

 なら、ちゃんと――あたしがなんとかしないと!


「本当は、あの時すぐに言わなきゃいけなかったんだけど……言えなかったから」

 

 咲良が不思議そうに、少し目を丸くした。

 アイシャドウで彩られた目が、綺麗。


「だからそのうちの一つ、今言うね?」


 大丈夫。とっても似合ってて、可愛い。

 最高に盛れてるよ。

 あとはリップを塗ったら、本当に完璧になっちゃう。

 ――だから、怖がらないで。


「……ごめん、咲良。あの時酷いこと言って」


 そんなありったけの想いを込めて、ずっと言えなかった言葉を言う。


「あたし、嘘ついたんだ。似合ってないって、嘘だったの」


「……どうして、そんな嘘ついたの?」


 アイラインで際立たせた目が、不思議そうに瞬く。

 怒るだろうなって、思ってたのに。

 ただただ不思議そうな顔で、あたしを見てた。


「――嫉妬したの。それだけ。酷いでしょ?」

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