肆 狐仙果(こせんか) その二
僕が後ろに立っているのに気づいたコモリさんは、その人型のものを、僕に見せながら言いました。
「これは『
親切そうな笑顔を向けて、説明してくれるコモリさんに、僕は不得要領に肯くだけで、何も言えませんでした。
しかし心の中には、微かな違和感が残ったのです。
夕食は、山の幸で作った簡素なものでしたが、お世話になっている身分で、贅沢は言えません。
僕たちはお腹も空いていたので、早速頂くことにしました。
ただ、『狐仙果』だけは、先程見聞きした光景が気になって、箸をつける気になりませんでした。
そんな僕を、何故かコモリさんはじっと見ています。
「コモリさん、どうかされましたか?」
彼の視線が気になって、僕は思わず訊いてしまいました。
「いや、『狐仙果』は食べないのかなと思ってね」
「ああ、これですか。ちょっと匂いが苦手で…」
僕がそう言って誤魔化すと、コモリさんは表情を消しました。
「勿体ないね。その『狐仙果』は、滅多に手に入らないのに」
するとクリヤマ君が、横から僕の『狐仙果』に手を出してしまったのです。
元々彼には、そういう粗忽な所があったのですが、さすがに僕は呆れてしまいました。
しかも彼は、食べ終わった後に訊くんです。
「これって、そんなに貴重な物なんですか?」
するとコモリさんは、表情を元に戻して、話し始めました。
「その『狐仙果』と言うのはね、何年かに一度しか実をつけない、とても珍しい果実なんだよ。食べると、寿命が延びると言われているんだ」
「へえ、そうなんですか。俺、得しちゃったかも。コウイチ、お前も食べれば良かったのに」
能天気に笑うクリヤマ君に、僕は苦笑いを向けました。
「『狐仙果』は、日本ではこの家の裏にある、ケモノウリの木にしか成らないんだ。ご飯も終わったみたいだし、見に行ってみるかね」
僕は正直遠慮したかったのですが、クリヤマ君が嬉しそうに立ち上がったので、付き合わざるを得ませんでした。
コモリさんに連れられて行った先には、とても大きな木がありました。
それがケモノウリの木でした。
その木は真ん中に、大人三人掛かりでも抱えきれないような太い幹があり、高さは左程でもなかったのですが、天辺に銀杏に似た黄色い葉が、鬱蒼としていました。
そして太い幹に、三本の別の幹が巻き付いていたのです。
今まで見たことのない、不思議な形をした木でした。
僕の隣に立ったクリヤマ君を見ると、魅せられたように、その木に見入っていました。
「今年は久しぶりに、実が一つ成ったんだよ。それがさっき、君たちに食べてもらったやつなんだ」
コモリさんのその言葉も、クリヤマ君の耳には入っていないようでした。
その夜のことでした。
夜更けに僕が目を覚ますと、隣に寝ていたクリヤマ君の姿がなかったのです。
トイレかなと思いましたが、何時まで経っても戻って来ません。
僕は、急に嫌な予感が湧いてきて、起き上がると、家中を探しました。
すると、クリヤマ君だけでなく、コモリさんもいなかったのです。
僕は、きっとあの木のところだ――と咄嗟に思いました。
何故そう思ったのか、今でも不思議です。
僕は、旅行時に常時携帯していた懐中電灯を手にして、家の外に飛び出しました。
ケモノウリの木の周辺は静かで、人の気配はありませんでした。
僕は懐中電灯の光で、木を照らしました。
すると、クリヤマ君が木に貼り付くようにして、立っていたのです。
「ヨウスケ、何やってんの?」
僕は背後から彼に声を掛けましたが、返事はありません。
近づいて彼を間近に見た僕は、その姿を見て声を失くしてしまいました。
クリヤマ君が、文字通り木に貼り付いていたからです。
そして貼り付いた部分から、彼は木に変わっていたのでした。
顔の左半分は木と同化していましたが、右半分はまだ人間のままで、眼を大きく見開いて、僕を見ていました。
きっと助けを求めているのだと思い、何とか木から引き剥がそうとしましたが、出来ませんでした。
そして僕が見ている前で、彼は徐々に、木に変わっていきました。
その時背後から、声がしました。
「もうすぐのようだな」
振り向くと、そこにはコモリさんが立っていました。
「あんた、ヨウスケに何したんだ!」
僕は彼に掴み掛かろうとしましたが、突然体が硬直して、動けなくなってしまいました。
「騒ぐな、人間」
コモリさんは、それまでとは打って変わった、怖い顔をしていました。
「私が誰か知りたいか?三千年以上前に大陸で登仙した狐だよ」
その言葉を聞いて、僕は唖然としました。
この人は、気が狂っていると思ったのです。
「信じていないようだな。無理もないが、しかし事実なのだよ。その証に、その木をこの地に
その男の様子を見れば、木が尋常の物でないことくらいは、理解できるだろう」
「今から二千年ほど昔、私は大陸におられぬ事情があって、この地に移り住んだ。
しかし、土地が変わったせいで、私の仙気が徐々に減り始めたのだ。
それを補うために、私はその木を植えたのだ」
何も言えない僕に向かって、コモリさんは淡々と語り続けました。
「その木には百年毎に、地中の気を集めて『狐仙果』が一つ成る。
それを食えば、私が百年間に失った仙気が、戻るのだ。
しかし」
「しかしその木は、地中から悪気も集めてくる。
それが凝って、五百年に一度だけ、『黒果』がなるのだ。
『黒果』を放置すると、木が弱る。
そこで人間に『黒果』を食わせ、悪気を浄化した後、木に戻すことにしたのだ」
――クリヤマ君が食べたのは、『黒果』だったのか!
驚きと悔しさで、僕の眼には涙が溢れてきました。
「こいつが千五百年前、こいつが千年前、そしてこいつが五百年前に、『黒果』を喰らった人間の成れの果て」
幹に絡みついた木を、一つ一つ指しながら、コモリさんは言いました。
「こいつも間もなく、木に戻るだろう。そうすれば、すぐに次の『狐仙果』が成る」
最後にクリヤマ君を指しながら、コモリさんは僕に邪悪な笑顔を向けたのです。
「私としては、二人の人間が同時に食うとどうなるか、試してみようと思ったのだが、お前の運が良かったのか。
あるいは単なる巡り合わせなのか」
そう言いながら近づいてきたコモリさんは、僕の顔を間近に覗き込みました。
近くで見るその顔は、邪悪そのものでした。
「自分たちが偶然、ここに迷い込んだと思っているのか?木が呼び寄せたのだよ。『黒果』を食わせるために。
そしてあちらの男が選ばれたのだ。お前は運が良かったな」
そう言って、コモリさんは踵を返しました。
「もう、お前に用はない。このまま人界に戻してやるとしよう。警察とやらに駆け込んでもよいぞ。ここまで警察が、たどり着けると思うならな」
僕はそのまま意識を失い、気がついた時には道に倒れていました。
その場所は、僕らが迷い込んだ三差路の起点だったと思うのですが、すでに左へ行く道はなくなっていたのです。
結局僕は、一人で戻ることになりました。
そしてクリヤマ君とは、旅の途中で別れた切りということにしました。
彼が見つかることは、絶対にないと思ったからです。
僕の話はこれで終わりですが、信じてもらえますか?
了
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