参 湖主(こしゅ)の祝い その二

あれ以来タキタ君は、T湖が殊の外、気に入ったようでした。

週末になると、私をT湖の釣りに誘うようになったのです。


最初は私もタキタ君に付き合いました。

T湖自体は、良い釣り場だったからです。


しかしさすがに、何回も連続となると飽きてしまいます。

そこでタキタ君に、偶には違う場所に行こうと提案したのですが、彼は頑として聞き入れませんでした。


「じゃあ、一人で行ったらいいじゃん」

彼の態度に腹を立てた私は、つい喧嘩腰になってしまいました。


するとタキタ君も、売り言葉に買い言葉で返してきました。

「わかったよ。これからは別行動にしようぜ」


私たちは、気まずい雰囲気のまま、袂を分かってしまいました。

それから暫くの間、私たちは、それぞれ別々で釣りに出掛けていたのです。


私たちが喧嘩別れして、一か月くらいが過ぎたある夜、私の部屋にタキタ君が訪ねてきました。

私が応対に出ると、タキタ君はバツが悪そうな感じで、「上がっていい?」と訊きました。


あれ以来、私も彼のことが気になっていたので、少し照れながらも、部屋に上がってもらいました。

タキタ君は、私と和解するために訪ねて来たのでした。


もちろん私も、和解することに異論はなかったので、お互い謝罪して、部屋で酒を飲み始めると、すぐにわだかまりは消えていったのです。


そして久々の酒が進んだ時、私は酔った勢いでタキタ君に訊きました。

「あの時、女の人と、何を話してたの?」


するとタキタ君は、少し考えた後、思い立ったように応えました。

「ああ、最初にT湖に行った時ね。何だっけかな。そうだ。『祝ってやろうか』とか言うから、『じゃあ、祝ってくれよ』って言い返したんだ」


「それで?」

「そしたらあのお姉さん、『では祝ってやろう。その代わり、祝いを口にしてはならんぞ』とか言ってたな。確か」


「でも、あの後、すっげえ釣れるようになったんだよな。あの人のおかげかもな」

少し酔っていた私は、不得要領のまま、「ふーん」と返しましたが、その一言が彼に、後のわざわいを呼んでしまったです。


その週末、私たちは久しぶりに、連れ立って釣りに出掛けることにしました。

場所はT湖でした。

タキタ君は他でもいいと言ってくれたのですが、久しぶりに行ってみたいと言って、私が押し切ったのでした。


久々のT湖だったので、私のテンションは結構上がっていました。

私たちはいつものように、少し離れた場所に釣り場を設定して、釣りの準備を始めました。


「お前誰だ?!」

その時、タキタ君が叫ぶ声が聞こえてきたのです。


驚いてタキタ君を見ると、彼の前に小柄な人が立っていました。

私は何があったのかと思い、とにかく行ってみることにしました。


私が駆け付けてみると、その小柄な人は、子供なのか、大人なのかはっきりしない顔立ちをしていました。

そしてタキタ君に向かって、無言で表情のない顔を向けていたのです。


「どうしたの?」

私が訊くと、タキタ君はイライラした口調で吐き捨てます。

「さっきから無言なんだよ。せっかくテンション上がってるのに、ムカつく奴だな」


すると、それまで黙っていたその人が、突然口を開いたのです。

「タキタニ、コシュサマヨリ、コトヅテガアル」


私たちは、その人が何を言ったのか分からず、揃って不審な顔を向けました。

すると、その人は同じ言葉を繰り返します。

「タキタニ、コシュサマヨリ、コトヅテガアル」


呼び捨てにされたタキタ君が、何か言おうとした時、その人の無表情だった顔が一変しました。

眼を真ん丸に見開いて、顔一面に怒りの表情が現れます。


その変化に息を呑んだ私たちに向かって、その人は低くしゃがれた声で、一言一言区切るように告げました。

「イワイヲ、クチニ、スレバ、ノロワレルト、シレ」


その言葉が終わった途端、タキタ君が、「キィー」という奇声を上げたのです。

驚いて彼を見ると、顔や喉を掻き毟りながら苦しんでいました。

そして掻いた後から血が滲んで、顔を赤く染めていったのです。


「おい、タキタ君。どうしたんだ?止めるんだ?」

私は彼の腕をとって、掻き毟るのを止めさせようとしましたが、予想外の強い力で振り払われ、その場に尻もちをついてしまいました。


そして私が地面に倒れ込んだまま、タキタ君を見上げていると、見る間に、彼の姿が変わっていったのです。

掻き毟られた皮膚の下から、魚の鱗が現れたのです。


それだけではありませんでした。

彼の腕も、皮膚を破るようにして現れた鱗に、覆われていったのです。


やがて呆然とする私を、タキタ君だったものが、見下ろしました。

その眼は間違いなく、魚の眼でした。


言葉を失ったままの私を残して、彼はフラフラと湖に向かって歩いて行きました。

そしてそのまま、湖に入ってしまったのです。


我に返った私は、彼を止めようとして立ち上がりました。

その時でした。


湖の中から、黒いものが現れたのです。

それは巨大な鰻のようでした。

湖から出ている部分だけで、五メートル以上はあったと思います。


「コシュサマ」

その時私の背後から、先程の小柄な人の声がしました。


束の間タキタ君を見下ろしていた黒いものは、上から一直線に彼に襲い掛かり、一口で呑み込んでしまいました。

そしてそのまま、湖へと消えていったのです。


今思えばそれは、あっという間の出来事でした。

気づいた時には、湖から現れた黒い大きなものも、小柄な人も、そしてタキタ君もいなくなっていました。

辺りを、静けさだけが包んでいました。


その後私は、警察に連絡し、タキタ君が湖に入って行ってしまったことを告げました。

あの黒い大きなもののことを、警察に話そうかと思いましたが、止しました。


どう説明してよいかも分からなかったですし、話しても、とても信じてもらえないと思ったからです。

私だって、未だに半信半疑なのですから。

結局タキタ君は見つからず、あれ以来行方不明のままです。


私の話は以上で終わりです。

いかがでしたか?

不思議な話だったでしょう?

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