参 湖主(こしゅ)の祝い その一

知らない人の前で話すって、緊張しますね。

私はワタナベという者です。


三十過ぎて、まだ独身の会社員です。

最近は珍しくないかも知れませんけどね。


これからお話しするのは、タキタ君という友人に起こった、不思議な出来事です。

タキタ君というのは、私の会社の同期で、部署は違ったんですけど、偶々同じ賃貸マンションに住んでいて、趣味も同じという、不思議な縁のある友達でした。


僕たちの共通の趣味というのは、ルアーフィッシングです。

毎週のように、あちこちの湖や渓流に、一緒に出掛けて行って釣りをしていました。

淡水専門でしたね。


ブラックバスとかブルーギルみたいな、外来種を狙うこともありましたし、外来種のいない釣り場で、トラウト釣りをすることもありました。

一度ライギョを釣り上げたことがあって、その時は嬉しかったですね。


ところでタキタ君は、普段は温和ないい奴なんですけど、こと釣りとなると、眼の色が変わってしまうタイプだったんです。

自分の釣果が私より劣ると、目に見えて機嫌が悪くなるんですね。

その辺りが彼の、少し困ったところでした。


その日私たちは、今まで行ったことのないT湖という釣り場に行きました。

フィッシャー仲間の間で、最近少しずつ話題になり始めたスポットでした。


ただT湖には、釣り情報とは別に、妙な噂がネット上で流れていたのです。

それは、T湖で釣りをした人の何人かが、行方知れずになったというものでした。


噂の信憑性については、何とも言えないのですが、私は少し不気味さを感じていたのです。

一方でタキタ君は、そんな噂はネット上を流れる都市伝説だと言って、笑い飛ばしていました。


それよりも彼は、新しい釣り場で、釣果を上げることに夢中でした。

実はその時まで数回同行した釣りで、いつも私の釣果が勝っていたからです。


彼はそのことを、とても悔しがっていました。

多分、今度こそと意気込んでいたのでしょう。


T湖はまだ、ブラックバスなどの外来種に侵食されていない釣り場でした。

狙い眼はトラウトで、偶にナマズやウグイ、そして稀にですが、ライギョも掛かるという噂でした。


その噂を聞いていたのか、タキタ君はその日、いつも以上に張り切っていたのです。

――これさえなければ、いい奴なんだがなあ。

私はその様子を見て、内心少し辟易としていました。


夜中にマンションを出発して、T湖に着いたのは明け方五時前でした。

私たちが到着した時、周辺には誰も釣り客がいませんでした。

時間的に早いということもなかったので、私は少し不審に思った程です。


気温が低かったので、湖面には霧が掛かり、幻想的な雰囲気を醸し出していました。

しかしその光景を見て、私は何故か寒気を覚えたのです。

もしかしてこの湖には、何か曰くがあるのではないかと、無意識に感じていたのかも知れません。


私たちは車から荷物を下ろすと、少し離れた場所に、お互いの釣り場を設定しました。

そして準備を整えると、それぞれに釣りを開始したのです。


私にしろ、タキタ君にしろ、ルアーフィッシングをたしなむ釣り人は、市販のルアーに満足せず、自分で工夫したものを使うことが多いのです。

その日私は、新作のルアーを幾つか持ってT湖に来ていたのです。

それはタキタ君も同じでした。


そしていざ釣りを始めて見ると、私とタキタ君の間には、歴然とした釣果の差が出てしまいました。

私の方は新作のルアーの効果もあってか、まずまずの釣果でした。


しかしタキタ君の方は、二時間経っても一匹も釣れない、惨憺たるものでした。

遠目にも彼が、落胆している様子が、手に取るように分かりました。


しかし彼の性格を推し量ると、下手に慰める訳にもいかず、私は少し困ってしまいました。

――きっと帰りの車中で、不機嫌な彼から、ずっと愚痴を聞かされるんだろうな。

そう思うと釣りどころではなく、私はうんざりした気分に包まれたのです。


その時突然、背後から声が掛かりました。

「祝ってやろうか」


驚いて振り向くと、髪の長い女性が立っていました。

女性は瞬き一つせず、私をじっと見ていました。


「祝ってやろうか」

女性は一切表情を変えず、まったく抑揚のない声で言いました。


言っている意味が分からなかった私は、女性に問いました。

「祝うというのは、どういうことでしょう?」


「…」

しかし女性は無言で私を見つめていました。


少しムッとした私は、もう一度女性に問いました。

「祝うって、何なんですか?」


「…」

それでも女性は、無言で私を見つめていました。


流石に私は頭に来たので、少しきつい口調で言いました。

「用がないなら、あっちに行ってくれませんか。釣りの邪魔なんで」


すると女性は、無表情のまま踵を返すと、タキタ君のいる方に歩き去って行きました。

私がその姿を眼で追っていると、女性はタキタ君に話し掛けたようでした。


私は、タキタ君が切れやしないかと気になったので、二人の様子を見守っていました。

しかし女性は、彼と二言三言話した後、その場を離れて行ったのです。


ホッとした私は、ロッドを持ち直して釣りに集中することにしました。

そして私がルアーを投げた時、タキタ君が歓声を上げるのが、聞こえてきました。


私が彼の方を見ると、ロッドが大きくたわんでいました。

大物が掛かったようです。


――これであいつの機嫌も直るだろう。

そう思って私はホッとしました。


結局その日の私の釣果は平凡だったのですが、タキタ君は久々に大漁だったのです。

最初に掛かったのが大物のライギョで、その後もトラウトやウグイを、結構な数上げていたのです。


帰りの車の運転をしながら、彼は上機嫌でした。

興奮しすぎて運転を誤らないかと、こちらがヒヤヒヤする程だったのです。

そしてその日を境に、タキタ君の様子が徐々に変わっていったのです。

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