弐 蛇(くちなわ)の毒 その二
そう言えば、何故私が、これほどスギモトさんについて詳しいか、疑問に思われる方がいるかも知れませんね。
実は私、彼女とお付き合いしていたんですよ。
ですので、これからお話しするのは、彼女が折に触れて、私に語ったものなのです。
そしてその話を聞くうちに、私も彼女の抱いていた闇へと、足を踏み入れていたのです。
大学時代の彼女は、蛇の研究に没頭する一方で、お金が続く限り、世界各地の施設を巡って、様々な毒蛇の生態を見て回りました。
その資金を稼ぐために、コンビニの夜勤など、かなりハードなアルバイトもしていたようです。
大学院を修了したスギモトさんは、迷うことなく私が所属する研究所を、就職先として選びました。
そして彼女は、益々蛇の研究にのめり込んで行ったのです。
その頃になると彼女は、常に真っ白な服を全身に纏うようになっていました。
靴も靴下も白でした。
元々肌の色は白く、唇の色も薄かった上に、化粧もせず、口紅も塗っていなかったので、遠目には本当に真っ白に見えました。
ただ、その眼だけが赤かったのです。
周囲から見ると、そのいで立ちは、かなり異常に映っていたのですが、スギモトさんは、周囲の視線など気にも留めていませんでした。
彼女にとっては、自身を白蛇に近づけることだけが、生きる目的だったからです。
スギモトさんは、日焼けには特に気を使っていて、真夏でも長袖の服とスラックスで身を包んでいました。
そして外出時には必ず、白い大振りの帽子を目深に被って、真っ白な手袋を着用していたのです。
長身で、かなりスリムな体型だった彼女は、体形維持のために食事にもかなり気を使っていました。
その結果、益々その容姿は、白蛇に近づいていったのです。
しかしスギモトさんは、外見をいくら近づけても、自分を咬んだあの白蛇にはなれないと、考えるようになっていました。
決定的に足りない物があったからです。
それは毒でした。
そのことに思い至ったスギモトさんは、蛇毒の研究に没頭し始めました。
その研究は、研究所の業務と合致していたこともあり、私を含めた周囲の研究員は、彼女の研究に違和感を抱くことはなかったのです。
スギモトさんを咬んだ白蛇の毒は、出血毒でした。
猛毒になると、体内で臓器出血を引き起こし、死に至らしめる危険なものです。
やがて彼女は、強烈な毒物を作り出すことに成功したのです。
しかしそれでも、彼女は、まだ物足りなさを感じたそうです。
せっかく作り上げた毒を、使う機会がなかったからです。
スギモトさんは、どうしてもその毒を使ってみたくなりました。
しかも、単に使うだけでなく、蛇のように使わなければならないと、思い込んだのです。
彼女はどうしたら、蛇のように毒を使えるか、必死で考えたそうです。
その結果得た結論は、蛇のような牙を作ることでした。
彼女は躊躇なく、牙の作成に取り掛かりました。
研究所のデータベースから、蛇の牙の構造データをコピーし、それを設計図化して、3Dプリンターで造形するという作業を繰り返したのです。
そして彼女は遂に、完成した牙を手にしたのです。
その頃には、狂気が彼女の心を、覆いつくしていたのだと思います。
蛇の牙が完成した頃、実は私とスギモトさんは、半同棲状態でした。
私が彼女の部屋に、足繁く通っていたのです。
そしてその夜、いつもの様に部屋に上がり込んだ私を前に、彼女は淡々と語り始めました。
「タケダさん。以前話したことがあるでしょう。子供の頃、私を咬んだ白い蛇のこと」
「私ね。あの時からずっと思っていたの。あの日自分が咬まれた時、あの蛇と一体になったんじゃないかって。
だって、私の髪も眼も、あの蛇みたいになったんだもの」
「だからね。私あの蛇になるために、もっと近づくために、色んなことをしてきたのよ。タケダさんも知ってるでしょう?」
彼女の言葉は、徐々に鬼気を帯びてきました。
「蛇と同じ毒も作ったのよ」
そう言いながら小さなバイアルと取り出す彼女に、私は返す言葉を失っていました。
「そして毒を注入するための、牙も作ったの。こうやって加えると、蛇みたいでしょう?」
そう言いながら、彼女は牙を加えました。
「だからね。タケダさん」
私はその次の言葉を想像して、唾を飲み込みました。
「あなたを、この牙で、咬ませて欲しいの。そうすることで、私はあの蛇と、完全に、一体に、なれるの。だから、咬んでも、いいでしょ?」
一言一言、区切るように言いながら、彼女は私の両肩に、手を乗せたのです。
私は恐怖のあまり、抵抗も出来ずにいました。
しかし何故か、このまま咬まれてもいいと、心の中では思っていたのです。
既に彼女に、いや、蛇に魅入られていたのかも知れません。
彼女が口を開けて、私の首筋に顔を寄せた時でした。
突然
私はその様子を、呆然と見ているしかありませんでした。
やがて彼女は、顔に苦悶の表情を浮かべたまま、息絶えたのです。
真っ白だったその顔は、どす黒く変色していました。
暫くその死に顔を見つめていた私は、彼女が何故突然苦しみだしたのか、真相に思い至りました。
彼女が咥えた牙から、毒物が漏れていて、おそらくそれが、口腔粘膜から吸収されたのでしょう。
漸くち着いた私は、警察と救急を呼びました。
ただし、彼女の口から牙だけは外して隠しました。
彼女の狂気の行いを、世間に知らしめるのが、哀れに思えたからです。
結局彼女の死は、服毒自殺ということで処理されました。
私は警察から、かなり厳しい取り調べを受けましたが、私が何かしたという証拠もなかったので、そういう結論になったようです。
彼女の牙ですか?
今も形見として持ってますよ。
さて、私の話はそろそろお終いにしたいと思います。
皆さんも、蛇に魅入られてしまった、不幸な彼女の冥福を祈ってあげて下さい。
了
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