壱 烏眼(うがん) その一

クロキと申します。

一児の母です。


皆さんは、カラスのことは勿論ご存じだと思います。

でも、カラスがどんな鳥か、ご存じでしょうか。

少し前講釈が長くなりますが、この後の私のお話に関連することですので、説明させていただきますね。


カラスには『』という字と、『』という字が当てられるのはご存じだと思います。

違いは何かと言いますと、「鴉」は形声文字で、「鳥」と鳴き声を表す「牙」とを組み合わせたものなのだそうです。


一方「烏」は象形文字で、カラスの体と眼は真っ黒なので、眼の位置が分かりづらいため、「鳥」にはある目の部分の横棒がなくなり、「烏」という漢字になったのだそうです。


最近は都会で、カラスが大群で餌をあさる姿をよく見かけますが、基本は一夫一婦制らしいです。

そしてカラスの知能の高さは、人間の個体を識別できる程なのです。


営巣中のカラスは縄張り意識が強く、不用意に巣に近づいたり、ただ巣を見つめたりしただけでも、その人間を敵と認識して、記憶して、威嚇したり攻撃したりするそうなんです。

そして、そのカラスの知能の高さと、執念深さが、私の家族にわざわいもたらしたのです。


その日私たち親子三人は、自宅マンションから遠くないハイキングコースに、ハイキングに出掛けました。

そこは町中からそれ程離れていない場所でしたので、近所の家族連れやハイカーたちが、よく訪れる場所でした。


その日は晩春の気候の良い頃で、ハイキングには持ってこいの日でした。

五歳の息子は両親と手を繋ぐのが嬉しくて、とてもはしゃいでいました。


コースの中間辺りまで歩いた時でした。

「あ、カラス」

息子が道沿いの雑木林を指して、大きな声を上げたのです。


私と夫が反射的にその方向を見ると、少し離れた木の枝にとまる、真っ黒な二羽のカラスが見えました。

そのうちの一羽は、今まで見たこともないような、大きなカラスでした。


もう一方の足元には、巣らしき小枝の塊があったので、子育て中だったのでしょう。

その時私たちは、間違いなく二羽のカラスと、目が合ったのです。


「気味悪いから、急ぎましょう」

私は、その大きなカラスが怖くなって、夫と息子を急かして先に進みました。

ハイキングコースの終点には、小さなバスターミナルがあり、私たちはそこからバスに乗って、自宅近くまで帰る予定でした。


停留所のベンチに三人並んで腰掛けていると、私たちの上を、黒い影が通り過ぎました。

何だろうと思って見上げると、それは先程の大きなカラスでした。


カラスはバス停近くの民家の屋根にとまると、私たちをジッと見下ろしたのです。

正直言って私はゾッとしました。


あの真っ黒な眼で、見つめられたご経験がありますか?

怖いものですよ。


その時帰りのバスが到着したので、私たちは急いで乗り込み、家路につきました。


その翌朝、ベランダの掃き出し窓のカーテンを開けた私は、思わず息を呑みました。

うちの部屋はマンションの二階にあったのですが、正面に立つ三階建ての民家の屋根に、大きなカラスがいたのです。


間違いなく、あのカラスでした。

なにしろ大きさが並外れていましたから、間違い様がありません。


カラスは前日と同じく、漆黒の眼でジッと私を見ていました。

私が急いで主人を読んだ時には、カラスは既に飛び立った後でしたが、ここまで執念深くついて来たのかと思うと、背筋がゾッとする思いでした。


でも、それだけでは終わらなかったのです。

その日の午前中、私が近所のスーパーに買い物に出ていた時、息子が通う幼稚園から、息子が怪我をしたという、緊急の連絡が入ったのです。


慌てて私が駆けつけると、息子は頭に包帯を巻いて、怯えていました。

その様子に驚き、何があったのか先生に聞くと、園庭で遊んでいた息子に、突然大きなカラスが襲い掛かったと言うのです。


息子はそのカラスに頭を掴まれた上に、嘴で激しく突かれ、頭のあちこちに怪我をしてしまったのです。


――あいつだ。

私は咄嗟に思いましたが、どう対処してよいか分かりません。


先生に前日に見たカラスの話をしましたが、半信半疑の様子でした。

とにかく園庭で遊ばせる時には、周囲に注意していて頂けるよう、お願いするのが精一杯だったのです。


その夜、息子が怪我をしたことを夫に話すと、インターネットで色々と調べてくれました。

驚いたことに、カラスを許可なく勝手に捕獲したり殺したりすることは、「鳥獣保護管理法」という法律で禁止されているのです。


ですので、カラスの被害を防ぐためには、専門業者に駆除を依頼するか、自宅に近づかないようにするしか、方法がなかったのです。

私たちは早速、ネットで調べた幾つかの方法を試してみることにしました。


その翌朝夫は、早朝会議のため、いつもより早めに出勤していきました。

息子は前日にあんなことがあったので、幼稚園を休ませることにしました。


息子に朝ご飯を食べさせた、後片付けをしていると、コツコツという音が、リビングから聞こえてきました。


――まさか、あいつ?

そう思ってベランダの方を見ると、あのカラスが、外からガラスをつついていたのです。


追い払おうとして近づいた私は、その眼を見て、その場に立ち竦んでしまいました。

その眼はカラスの眼ではなく、人間の眼だったのです。


そしてその時、私の背後に息子が近づいてくる気配がしました。

咄嗟に私は息子を振り向き、その場から逃がそうとしました。


しかし私は、またも声を失ってしまいました。

息子の眼が、黒いカラスの眼に変わっていたからです。

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