五章 幼馴染の絆

五の一 行方不明事件を追って

 歩いているだけで、じわじわと汗が額を伝う。今年の夏は殊更ことさらに残暑が厳しい。

 手ぬぐいで汗を拭けば、隣を歩く瑛太えいたさんから気遣わしげな眼差しが注がれた。


「大丈夫?」

「はい、このくらいならまだ大丈夫です!」


 今日は瑛太さんと伊藤いとうさんと共に、帝都ていとへと訪れていた。

 詳細は聞いていないけれど、最近帝都では幼い子供が行方不明になる事件が頻発しているらしい。かつらさんから子供たちの捜索の助力を頼まれたのだと言う瑛太さんに誘われて、私もお手伝いにやって来ていた。


 手掛かりを求めて歩きながらも、少しだけ周囲を警戒してしまう。あやし者の目撃情報が帝都で増えている状況を受けて、神選組しんせんぐみが帝都の治安維持に乗り出しているらしい。それはつまり、斎藤さいとうくんや沖田おきた先輩が今この町にいることを示していた。

 もし二人に会ってしまったら、私はどんな顔をすれば良いのだろう。せっかくの勧誘を無下にしてしまった。それどころか狩人の誇りも幕府の定めた法すらも、今の私は裏切っている。後悔するつもりはないけれど、罪悪感が全くないと言えば、それは明らかな嘘だった。


「次の通りで一回休憩しよう」

「え、いえ。まだまだ大丈夫ですよ」

「俺が疲れたから、付き合ってよ」


 瑛太さんはさらりとそう仰って、少しだけ歩く速度を緩めた。それが私への配慮なのか、それとも瑛太さん自身本当にお疲れなのかはいまいち読めない。

 人間の姿を保ち、妖力の放出を最低限に抑えながら、周囲の人々の声や噂話を風で拾い上げる――その繊細な芸当が、瑛太さんにとってどの程度の負担になるのかは、あやし者ではない私には想像もできなかった。


 大通りでは、ところてん売りが人を集めていた。瑛太さんは迷うことなく店主に近づき、二皿ぶん纏めて注文してしまう。


「あの瑛太さん、お金を……」

「良いよ、たいした値段じゃないし。それにそもそも、今日は俺たちの仕事を手伝わせてるわけだしね」


 ああ、うん。これはお代を渡しても、受け取ってもらえないだろうなぁ。そう察し、私は瑛太さんへと頭を下げた。


「ありがとうございます」


 器に突かれたところてんは、滝の白糸に似て目にも涼やかだ。だけど見た目の色が、私の知っているものとは違う。

 絵戸えどで食べるところてんは醤油と辛子がかかっていたけれど、このところてんは透明で、白い粉がふりかけられている。首を捻っていれば、瑛太さんが少しだけ面白そうに声を弾ませた。


「ああ、そうだよね。絵戸は醤油か。こっちでは、ところてんは砂糖で食べるんだよ」

「え。甘いところてん、なんですか?」


 驚いて器に盛られたところてんを見つめてしまった。恐る恐る箸でつまみ、つるりと啜ってみる。……確かに甘い。でも嫌味な甘さじゃなくて、疲れた身体に染み渡る優しい甘みだった。


「わぁ、これも美味しいですね!」

「でしょ? 絵戸のも悪くないけど、俺はこっちのほうが好きなんだよね」


 そう笑ってところてんを啜りながらも、瑛太さんは周囲の情報を探る手は止めていないようだった。本当に疲弊はしていないのだろうか。

 ……あやし者にとって妖力の使いすぎは、破壊衝動の暴走にも繋がりかねない。その危険があるからこそ、幕府はあやし者を絶対悪と位置づけたのだから。


理桜りおさん、もしかして俺のこと心配してくれてる?」


 気がつけば瑛太さんが、私の顔をまじまじと覗き込んでいた。目の前に瑛太さんの、夜の水面にも似た漆黒の瞳。まるでその中へと吸い込まれてしまいそうな錯覚がして、一瞬息が止まるかと思った。


「大丈夫だよ、自分の限界くらいはちゃんとわかってる。……高杉たかすぎが使い物になるなら良かったんだけど、今の状態じゃ俺がやるしかないからさ」


 高杉さんはその凄まじい妖力に反して、身体があまり丈夫ではないらしい。今年の猛暑ですっかりと参ってしまったようで、ここのところは体調を崩されていた。

 そうなると風を使った情報収集を効率良くこなせるのは、松華しょうかでは瑛太さんだけになってしまう。肉体的にも精神的にも負担はあるだろうに、瑛太さんは特段気負った様子もなく、さらりと言葉を続けた。


「とっとと解決しないと桂さんも困るし、それに久坂くさかに余計な心労をかけたくもないしね」


 細められた瑛太さんの眼差しは、どこか柔らかい。慈しむような色を宿した横顔に、確かな覚悟が覗いている。

 ご自身の果たすべき役割を的確に理解し、それを誇りに思われている感情が、ひしひしと伝わってきた。


「あの、子供の行方不明事件なんて、それこそ町奉行まちぶぎょうの管轄ですよね? どうして皆さんがそこまで……」


 帝都にだって、幕命に従い町の行政や司法を担当する町奉行は設置されている。行方不明者の捜索ならそちらの仕事だし、そもそも帝都の出身でもない皆さんが働くことではないと思うのだけれど。


 私の問いに、瑛太さんは周囲をはばかるように声を落とした。ふわりと僅かな風が舞ったのは、風向きを操作して声を周囲へ届かせないようにするためだろうか。


「術士の方のお子さんも、行方不明になってるんだよ。とっとと解決しないと、本腰入れて今後の話し合いもできやしない」


 迷惑な話だと、瑛太さんは重たい溜息をこぼした。そうか、だから桂さんや久坂さんのお名前が出てきたのか。術士の方々との協力は、そのお二人が主導していらっしゃるようだから。


「……それにまあ、行方不明になった子供たちも心配だしね」


 ぽつりと瑛太さんは付け足した。本音がつい漏れてしまったかのような、素朴な声色だった。


「瑛太さんは、お優しいですね」


 私たち人間は、あやし者を社会から排除しているのに。なのに人間の子供のことを、瑛太さんは本心から気にかけてくださっている。それはきっと、瑛太さんの心根の優しさゆえだった。


「いや、別にそういうわけじゃないけど」


 少しだけ居心地が悪そうに、瑛太さんが視線を逸らす。そうして彼は、自身の首の後ろに手を当てた。


「……歳の離れた妹がいるからさ。他人事ひとごとだって、割り切れないだけ」


 そういえば以前、私の頭を唐突に撫でたときにも、妹さんに対するときの癖だと仰っていたっけ。


「妹さんのこと、可愛がっていらっしゃるんですね」

「まあ、可愛いよ。奥で両親と暮らしてるから、そんなに頻繁には会わないけど」


 松華の皆さんは、はぎの村落の中心地よりも手前側で暮らしていらっしゃる。外へ出るのにそのほうが便利だからだそうで、幕府と表立って事を構えるまでの行動を起こす気はない他のあやし者たちは、さらに厳重に隠された村の奥で暮らしているのだと、最初に説明されていた。


「あいつがもし行方不明になったりしたら、俺は絶対冷静じゃいられない。行方不明になってる子供たちの家族も、きっと似たような気持ちなんだろうからさ。なるべく早く、親元へ帰れるようにしてやりたいし」


 ……やっぱり瑛太さんは優しい方だ。そう柔らかな気持ちで思うと同時に、心臓が鈍いきしみをあげた。

 私たちは、こんなにも優しいひとを悪と定義したんだ。あやし者だって誰かを大切に思っていて、言葉を交わしてその心を聞くこともできて、それなのに対話の一つもしようとせずに。


「そんな顔しないでよ、理桜さん。せっかく美味しいもの食べてるんだから、難しいことはなし!」


 瑛太さんは軽やかに笑った。そうして、わざとらしく音を立ててところてんを啜ってみせる。

 気遣ってくださっているのがわかったから、私も笑顔で頷いて、箸の進みを再開させた。

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暁天に鳴く 幕末あやし異聞 紗倉爽 @sakura_sou

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