第4話 束の間のひととき


「ちょっと、裕貴! ゴミ出せないなら、せめて前日にまとめておいてって言ったでしょう!?」

「悪い、忘れてた! 時間ないから、行ってくる!」

「もーおー!!」


 裕貴は相変わらずだ。

 仕方なく、私は書斎のペットボトルを回収し、ラベルを剥がして中身を洗う。

 キッチンに置いといてくれるだけでも充分助かるのになぁ。私の言い方が悪いのだろうか?

 トイレットペーパー切れや、麦茶がほんの少しだけ残っているポットが冷蔵庫に入っているのは、もう諦めた。でも、自分が食べたり飲んだりした分は、なんとかしてほしいなぁ。

 そう思いながら、まとめたペットボトルをマンションのゴミ捨て場に置いて、私も出社した。


 出社してからは、社長室のパソコンで裕貴……社長のスケジュールチェック。

 今日は午前中に会議、午後から来客、夕方は営業と一緒に外回り、そのまま直帰……と。

 裕貴のスケジュール管理がずさんだから、ひとつひとつ付箋に書いて、それを本人に手帳に貼ってもらう。終わったら剥がせばいい。

 まったく、自分で手帳に書き込めばいいのに、と思うけど、それができないから私を秘書として雇ったのよね。

 

 こんなことで社長が務まるのかしら、と最初は思った。

 だけど、社員への労いはちゃんとあって人望も厚い。それに、編集者時代は安浦先生に気に入られていたらしい。だから裕貴の秘書である私も、信用してもらえたのだ。

 

「この来客は、私も同席した方がいいですか?」

「いや、それはいい。おまえは安浦先生のお世話に専念して。あの方は、我が社にとって重要な作家先生だからな」

「わかりました。では、そうします」

 

 早速、外出しようと席を立つと、スッと裕貴が目の前に立った。


「……しのぶ。二人きりの時は、別に敬語じゃなくてもいいんだぞ?」


 耳元で囁くように、甘い声をかけてきた。

 急にどうしたのかしら?


「私は、それほど器用ではないので。会社にいる間は敬語で、社長と呼ばせていただきます。それに、公私混同してしまったら、家庭の不満もここで言ってしまいそうで」

 

 意地悪く笑って、裕貴のネクタイを直しながら言う。


「うっ……。悪かったよ……」

「謝罪の言葉よりも、行動して見せてくださいね」

 

 そう言うと、裕貴は私の腰をぐっと引き寄せ、キスをしてきた。


「んんっ……!?」


 裕貴の少し冷えた唇が、私の唇を優しく包み込むように吸い付いてくる。

 そういえば、最近忙しくて、こんな触れ合いもなかったなぁ……なんて思うけど。

 

「も、もう! そういうことじゃないって!」

「ははは! じゃあ、会議行ってくる」


 もう! 本当に調子いいんだから!

 


 安浦先生に最初お会いした時は、言うほど気難しい方だとは思わなかったけど、洗濯を毎日しなければいけないのは、とても大変だ。少量とはいえ、手間がかかる。

 新しい寝間着や下着を用意することは簡単だけど、脱いだものを数日放置しておくことが許せないらしく、私は今日も安浦家の洗濯室にいる。

 

 洗濯をしている間、キッチンを借りて食事を作る。自分がお昼に食べる分と、桐人さんの夕食だ。

 桐人さんは、食事まで作ってもらうのは違うと断ってきたが、自分の分を作るついでだと言って作らせてもらっている。

 しかし、今日は連日の疲れか、どうにも眠い。

 私は、食事を終えた後、そのままダイニングテーブルに突っ伏して眠ってしまった。


 目が覚めると、肩に毛布がかけられていた。

 いつの間にか桐人さんが帰ってきていたようで、向かいでご飯を食べていた。

 

「す、すみませんっ、私ったら……!」


 慌てて立ち上がり、スマホで時間を確認する。

 すでに六時を回っていた。

 

 それよりも、何これ!?

 メッセージアプリの通知がすごいことになっている。

 軽く見ると、全部裕貴からのようだった。

 

「だいぶお疲れのようですね。洗濯は干しておいたから、大丈夫ですよ」


 桐人さんに言われて、私は一旦スマホを閉じて謝った。

 

「本当に、すみません!」

「どうして謝るんですか? お願いしてるのは、こちらの方なんですから。それに、ご飯も美味しいです」


 ああああ、寝顔を見られてしまうなんて、恥ずかしい……。

 でも、向かいで美味しそうに食べてくれている桐人さんを見て、少しホッとした。


 桐人さんが食事をしている間に、こっそりと裕貴からのメッセージを確認しておいた。

 

『今、どこにいる?』

『さすがに遅くないか? 連絡くらいしろ』

『まだ安浦先生の家なのか?』

『連絡しろ』

『自分の時間の管理もできないのか?』

『連絡しないのは無責任だぞ』

『メシはどうするんだ』


 ……嘘でしょ?

 こんな調子のメッセージが、50通くらい入っていた。

 少し遅くなったくらいで、こんなに……?

 めまいがしそうになったのを、ぐっと堪えた。


 

「そうだ。今度、お礼も兼ねてごちそうさせて下さい」


 後片付けをしている時に、桐人さんが言ってきた。

 

「そんな、仕事の一環なのに」

「僕がお願いしたのは、父の洗濯物だけですよ。それ以外は頼んでいません」

「すみません、差し出がましいことを……」

「謝るのなら、おとなしく誘いを受けて下さい。そうですね……あなたが気にされるのでしたら、これも仕事にしましょう! 穂鷹出版とマクベリの交流として!」


 我ながらいいアイデアだと言わんばかりに、桐人さんは笑顔になった。

 どうやら、何がなんでもお礼がしたいらしい。

 私は観念し、桐人さんと食事に行くことになった。



 翌日、梅雨入りも本格的になって、残念ながら天気はあまり良くなかった。

 いつものように電車で病院へ行き、安浦先生の洗濯物を受け取ると、安浦家に行く前に駅前で桐人さんと待ち合わせた。昼休みの間にランチだけ、ということだそうだ。


「お待たせしました。行きましょうか、近くに美味しい天ぷら屋があるんです」


 桐人さんは営業職なだけあって、接待などの経験もあるのだろう。

 予約をしてくれていたらしく、行動がとてもスマートだ。

 落ち着いた店内のカウンターに座り、料理を待つ。

 照明が少し暗いと思ったら、料理の色合いを引き立てているのだそうだ。


 やがて目の前の皿に、揚げたての天ぷらが乗せられる。

 備え付けのゆずの香りが、ふわりと鼻をくすぐって、とても美味しそうだ。


「いただきます」


 サクッと音を立てて噛むと、野菜の甘みが口に広がる。


「……美味しい!」

「でしょう? 僕も昔、職場の先輩に連れてきてもらったんですが……。もう一度来たいと思っていたんです。でも、なかなか一人じゃ入れなくて」


 次々と揚げたての天ぷらが出来上がり、塩や天つゆをつけて食べる。

 けれども、何もつけなくても美味しくいただけるのが、本当に驚きだった。

 

 桐人さんはその後も、いろんな話をしてくれた。

 ほとんどが仕事の話で、まるで接待のようだったけれど。

 私に気を遣わせないようにしているのが伝わって、それが嬉しかった。

 たった一時間だけだったけど、久々に楽しい食事ができた気がする。

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