幼馴染との婚約を解消したら、憧れの作家先生の息子に溺愛されました。
草加奈呼
第1話 幼馴染との同棲
「あーーっ、またダメだったーー!」
まだ肌寒い日の続く三月。
私は面接の帰り道、幼馴染が運転する車の中で愚痴を漏らす。
「まあまあ、まだ十社くらいだろ? 次があるって」
運転しながら慰めてくれるのは、
二歳年上だけど、実家が近所で小学生の頃からの付き合いだ。
不況のあおり働いていた会社が倒産し、失業保険をもらいながら再就職に向けていくつか面接を受けた。
結果は……全滅だ。
いつもはお祈りメールをもらうのだけど、今日は面接に行って一通り話した後、その場で断られた。
意気消沈で歩いていたところ、偶然裕貴の車が通りかかって乗せてもらったのだった。
「やっぱり資格がないのがダメなのかな……。私なんて何の取り柄もないし、パソコンくらいしか使えないし」
裕貴は
「こーら。出た、しのぶの『私なんて』」
横目でちらりと私を見たかと思うと、コツンと頭を小突かれる。
「おまえのいいところは、めげないところだろ。頑張れよ」
赤信号で止まると、頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でてきた。
「も、もぉーっ! 今朝頑張って髪まとめたのに!」
と言いつつも、私は屈託なく笑う裕貴に対して、本気で怒れないのだった。
裕貴は、マンションの前まで送ってくれて、珍しく車から降りてきた。
見送ってくれるのだろうか?
「あのさ。提案なんだけど……」
「ん?」
どうやら話があるようだけれど、歯切れが悪い。
「おまえが良ければ、俺の秘書やってくんない?」
「秘書?」
言われて、イメージするのはスーツ姿で背筋の伸びたバリキャリだった。
「ほら、俺、昔っから時間にルーズなところあるだろ? でも出版社でそれって致命的なわけ。おまえが秘書やって、マネジメントしてくれると助かるんだけど」
裕貴は、
二十八歳という若さで社長になったのは、前社長……裕貴の父親が引退したため。
穂鷹出版は、数々の有名な作家を輩出した出版社で、大手と言っても遜色ない規模。
裕貴の父親が会長兼相談役とはいえ、きっと若さ故に大変なこともあるのだろう。
「秘書……。私にできるかな?」
「できるできる! おまえってそういうところは真面目じゃん。それに、
安浦先生!?
名前を聞いただけで、心臓が跳ね上がった。
六十八歳という年齢なので、そろそろ引退か、なんて噂も囁かれている。
「もちろん、嫌なら断ってくれてもいいんだけど」
安浦先生に会えるとか、そんな下心で引き受けるべきじゃない仕事なのはわかっている。
でも、このまま就職活動をしてもどこにも雇ってもらえない気がする。
私は、裕貴の提案を引き受けることにした。
「わかった。私、秘書やるよ!」
「本当に? やった、ありがとう!」
よほど嬉しかったのか、裕貴は抱きついてきた。
「ちょっと、オオゲサ! 私の方こそありがとう。私が全然就職できないから、同情してくれたんだよね?」
「同情じゃねーよ。俺はおまえと一緒に仕事できるの、すげー嬉しくてっ……」
ん? どういう意味だろう……?
小首を傾げていると、裕貴は頭を掻きながら、
「あーもう。まどろっこしいのはやめだ」
そう言って、ジャケットの内ポケットから何かを取り出す。
それは、リングケースだった。
裕貴がケースを開けると、小さなダイヤモンドが煌めく指輪が入っていた。
いくら鈍い私だって、その意味くらいはわかる。
「今すぐってわけじゃないけど、結婚を前提に……。ダメか?」
真っ直ぐに私を見てくる幼馴染の裕貴が、途端に男の人に見えた。
裕貴はモテるのに、私なんかでいいんだろうか?
ああ、ダメダメ。こんな考え方じゃ、また裕貴に叱られてしまう。
私は、俯き加減で思いっきり首を横に振って、顔を上げた。
「ううん、ダメじゃない」
そう返事をすると、裕貴は右手の薬指に指輪をはめてくれた。
左手は、結婚する時に……ということなのだろう。
私たちは婚約者となり、仕事の効率化も兼ねて一緒に住むことになった。
これから、甘酸っぱくてくすぐったい、そんな生活が待っていると信じて疑わなかった。
しかし、数ヶ月も経った頃……。
「しのぶ! 俺、もう出るから!」
「ちょっと、今日のゴミ当番は裕貴でしょ!?」
「悪い! やっといて!」
「もう、またぁ!?」
裕貴は慌てて出て行ってしまった。
お互い働いているのだから、家事は分担しようと、事前に決めておいた。
……が、最近は毎日この通りである。
忙しいのはわかるけど、そうならないように事前に決めたのに。
そりゃあ、裕貴は社長で、私は単なる秘書。忙しさは断然裕貴の方が勝る。
だから、家事の比率は私8:裕貴2くらい。
でもやってくれたのは同棲し始めた最初くらいで、最近は全くだ。
書斎にはペットボトルなどのゴミが散乱し、キッチンまで持ってきたとしてもラベルすら剥がしていない。
靴下はリビングに脱ぎっぱなし、ワイシャツもくしゃくしゃのまま放置されているのを、私が洗濯カゴに入れている。
「はぁ……」
時間にルーズなのは知っていたけど、まさか生活習慣までとは。
婚約を早まったかと、こめかみを押さえる。
でも、婚約指輪を用意してまでプロポーズしてくれたってことは、本気……なんだよね?
右手の薬指にはめられた指輪を見つめる。
「いっけない、私も急がなきゃ!」
とりあえず、今日出すゴミ以外は放置して家を出た。
最寄り駅から徒歩十分の場所にあるビル、そこが穂鷹出版だ。
出入り口の自動ドアを通ると、明るく広いエントランス。
そこには、出版した書籍が並んでいる。
ロングセラーの書籍や新刊などもあって、ちょっとした図書館並みだ。
そこから奥へ行くとエレベーターがあり、編集部、営業部、管理部でフロアが分かれていて、さらに編集部の中でも、文芸部門やファッション誌部門などで細かく分けられる。
社長室は、営業部を抜けた先にあるのだが、今朝はなんだかざわついていた。
電話が引っ切りなしに鳴り、営業部の人たちが対応している。
「……はい、はい、その件につきましては……」
「今はまだ、なんとも……」
そんな会話の一部が聞こえてきた。
何かあったのだろうか?
「しのぶ、大変なことになった」
「裕……社長、どうしたんですか?」
奥の社長室から、裕貴が血相を変えて出てきた。
当然、会社では社長と秘書。裕貴に対して敬語を使わなきゃいけないし、婚約者であることは、穂鷹会長にしか言っていない。
「安浦先生が入院された」
「……えっ!?」
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