第5話 嫉妬と束縛
その日の夜、あの天ぷらの味が忘れられず、少しぼーっとしていた。
あの味は家庭で再現できるだろうか、とか、
あれを作ったら裕貴は喜んでくれるかな、とか、
リビングで裕貴とビールを飲みながら、そんなことを考えていた。
すると、裕貴が唐突に聞いてきた。
「しのぶ、おまえ昼間、誰といた?」
ドキッ!
もしかして、桐人さんと一緒にいるところを見られてた!?
一瞬だけ、昨日の大量のスマホメッセージのことを思い出す。
でも、やましいことは何もしていない。
正直に答えよう。
「誰って、安浦先生の息子さん。マクベリの営業部長なのよ」
「やけに親しそうだったじゃないか」
「そりゃあ、毎日安浦先生の家に、洗濯に行ってますからね」
少し、言い方が意地悪だっただろうか。
すると、裕貴が口を開けて複雑な顔をした。
「……おまえ、まさかその男と……」
「ちょっと。
裕貴の言い方にカチンときて、私もつい強めの口調で言ってしまった。
「桐人さん!? 名前で呼んでるのか!?」
これは……嫉妬しているのだろうか?
裕貴の態度にイライラする。けれど、ここで感情的になったらだめ。
落ち着いて答えなくちゃ。
「もう……。安浦先生と同じ苗字で呼んでたら、ややこしいでしょ? だからよ」
裕貴が黙ったので、やっとわかってくれたかと安心した、その時……。
「……消せ」
いつになく、低くくぐもった声で言われた。
「は?」
「スマホの連絡先! 交換してるんだろ? その桐人さんとやらのやつは、消せ!」
裕貴はテーブルを叩いて、スマホを出せと言わんばかりに手を差し出してきた。
酔っているからだろうか?
まさかこんなに嫉妬されるとは思っていなかった。
「裕貴、落ち着いて。言ったでしょ、彼はマクベリの人なの。取引先なのよ? 消すことはできない」
それに、消したとしても名刺をいただいているので、連絡先は知っている。
「じゃあ、俺も行く」
「行くって……どこに?」
「安浦先生のお見舞いとご自宅に! 明日も行くんだろう? 安浦先生の息子さんに、社長としてご挨拶しないとな!」
裕貴は高らかに笑うが、私は嫌な予感しかしなかった。
私は覚悟を決めるように、缶に残っていたビールの最後の一口を、ごくりと飲んだ。
翌日、裕貴は本当にお見舞いについて来た。
まだ一度もお見舞いしていなかったというから、ちょうど良かったのかもしれない。
「ご無沙汰しております、安浦先生。なかなかお見舞いに来れず、申し訳ありません」
「おお、裕貴君……いや、もう穂鷹社長か。何ヶ月ぶりだね。社長の仕事も大変だろう? 会長はお元気かね?」
「はい、父の指導を受けながら、なんとかやっています」
裕貴は、スーツも着こなして背すじも伸ばして、家での態度からは想像できないほど、ちゃんとしている。
「ところで安浦先生、ご報告したいことがありまして」
「ほう、何かね?」
「実は、私、ここにいる真宮と結婚することになりまして」
と言って、笑顔で私の肩を抱いてくる。
やっぱり、ここで言ってしまうのね。
今まで父親である穂鷹会長以外、社内の誰にも言っていなかったのに。
「おお、そうなのかね!?」
「今はまだ婚約という間柄ですが、結婚式の際には、ぜひ安浦先生にもご出席していただきたいと……」
「もちろんだよ! いやぁ、めでたいねぇ!」
「はぁ……」
私は、気の抜けた返事しかできなかった。
結婚……していいのだろうかと不安になってきていたから。
告白された時はすごく嬉しかったし、裕貴となら、って思ってた。
でも、なんだか最近、自分がいいように扱われているだけのような気がしてきて。
安浦先生の手前、作り笑いを浮かべるのだった。
その後、いつものように安浦先生の洗濯物を預かって、安浦家に来た。
しかし今日は、裕貴も一緒だ。
「わかってると思うけど、私が入っていいのは洗濯室とキッチンだけだから。特に安浦先生の書斎には入れないからね」
「はいはい。いやー、懐かしいなぁ。俺も編集時代よくここに来たもんだよ」
洗濯機を回してから、二人でダイニングで待機する。
「この時間、いつも何してるんだ?」
「キッチンを使わせてもらって、お昼ご飯を食べてるわよ」
「それだけ?」
「……それだけよ?」
……本当は、桐人さんの分の食事も作って冷蔵庫に入れている。
だけど、言ったらまた嫉妬しそうだし、それは黙っておこう。
「例の息子さんは? 桐人さん……だっけ?」
「この時間に、ここで会ったことはないわよ」
初日に案内してもらった時と、うっかり寝てしまった時だけだ。
「はぁ〜。なんだ……」
「嫉妬するほどのことでもなかったでしょ? 安心した?」
「でもまあ、考えてみたら、しのぶを好きになる男なんて、俺くらいしかいないよな! ははは!」
「そ、そうよ〜。心配性なんだから〜」
苦笑しながら、それはどういう意味なのかしら? と背中側で握り拳を作っていた。
安浦先生が入院されて、数日が過ぎた。
今日は、病室に来ると先生が原稿を書いていた。
少しだけなら書いてもいいと、医者から許可が下りたようだ。
しかし、数分も書き続けていると手が疲れてくるようで……。
私は、先生の腕や手をマッサージしていた。
「すまないね、真宮くん」
「いえ、先生には一刻も早く元気になってもらいたいので!」
私も、友人に手をマッサージしてもらったことがある。
これが、意外にも気持ちいいのだ。
「しかし今更だが、さすがにこれは勤務範囲外だろう。……そうだ。何かお礼をしなければな」
「そんな、滅相もないことです」
「遠慮はいらないよ。私にできる範囲ではあるが、何か望みはあるかな?」
望み……。
言われて思いついたのは、小説のことだった。
「あの、実は私、小説を書いていまして」
「ほう!」
「ほ、本当、拙いものなんですが! 一度先生に見てもらえたら、と……」
「そんなことでいいのかね?」
「そんなことだなんて、先生に読んでいただけたら光栄です!」
「わかりました。今度、持ってきなさい」
「はい、ありがとうございます!」
やった! 先生に私の小説を見てもらえるなんて!
小説はすでに完成していて、昨日のうちに印刷してある。
今日はそれを見直して、ちゃんと校正したものを見てもらおう。
スキップしたい気持ちで家に帰ると、裕貴が私の原稿と、ノートパソコンを開いて見ていた。
裕貴の様子が、いつもと違う。
「……しのぶ。なんだ、これは?」
あの時のような、低い声で。
私の小説を画面に映して言った。
しまった、隠しておくべきだった。
「……何って、小説を書いてるの」
「こんなものを書いてるから、家事がおろそかになるんじゃないのか?」
束になった原稿を、バシッと机に叩きつけられる。
「はぁ!? それは、裕貴が家事を何もやってくれないからでしょう!?」
「話を逸らすな! 今は
「逸らすなって……」
家事の話をし出したのは、裕貴の方なのに……。
最近の裕貴、おかしい。
ううん。もしかしたら、私が気づいていなかっただけで、最初からだったのかも……。
告白とか、頼ってくれることに浮かれて、私、何も見えてなかった。
「まさか社長である俺をコネにして、自分の小説を出版しようなんて考えてるんじゃないだろうな?」
「そんなわけないでしょう!? 私はただ、息抜きに好きで書いてるだけ!」
机に叩きつけられた原稿を手に取ろうとすると、それを奪うように、さっと裕貴が手にする。
そして、有無を言わさず私の目の前で、原稿を破った。
「ちょっ……と!!」
残りを奪い返そうと、原稿の端に手をかける。
すると、引っ張り合う形になってしまい、さらに原稿は破れてしまった。
「あっ……」
ビリッ、と嫌な音が耳に入って、反射的に手を離した。
「あーあ。しのぶのせいだね、これ。これに懲りて、もうコネで出版しようなんて考えないようにな」
言いながら裕貴は、どんどん、どんどん、原稿を破っていく。
止めなきゃ。
裕貴を止めなきゃいけないのに。
私にはもう、その気力がなかった。
さらには、パソコンのデータまで消してしまった。
ちがう、ちがうのに……。
なにが起こっているの……?
このひとは、ほんとうにわたしのすきだったユウキなの……?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます