焦りと薄絹


 驚いた……! 本当に、驚いた。

 

 リンカは掃除と、クジャクの看病をしていると思っていた。

 強く警戒していたわけでは無いが、階段の上に居た彼女の気配に気付かないとは。

 いや、地下室から階段上までの距離……連絡の内容がつぶさに聞こえていたわけではないはず。

 

 「り、リンカ……どうしたんだ? こんなところに」

 「女の人の声が聞こえました。お知り合いですか? その地下室にいらっしゃるのですか?」


 「い、いや、そうじゃない。電話という通信……魔法のようなものだよ。知り合いの、世話になってる人なんだ。相談したいことがあって」


 「…………」


 なぜ俺はこんなに気圧けおされているんだ!?

 彼女に知られたい内容では無いが、なんでか、とても、言い訳したくなる。


 目だ。リンカの金色の目が、責めるような色で俺を覗いてくる。

 普段の健気で可愛らしい姿からは、想像もできない眼光。


 リンカには意図して保護者の様に振る舞っていたが、重い空気が包むこの瞬間だけは立場が逆転したように感じた。


 う、動けない。


 するとリンカは何かをこらえるようにうつむき、再び上げた顔は真剣そのもの。

 どこか出会ってすぐの不安げな、そして覚悟を決めたような表情であった。


 ――助けられるだけじゃ、七郎様には……


 「?」

 「いいえ、失礼しました。リンカはお掃除に戻ります」


 それからリンカは頭を下げると、部屋のある方へと静かに歩いて行った。

 

 「なんだったんだ……大丈夫だろうか」


 どこか様子のおかしい彼女が心配になる。

 彼女には絡新婦じょろうぐもやクジャクの病状など、想うところが多いのだろう。

 

 そろそろ隠れ家から連れ出して、気分転換させてあげた方がいいかもしれない。


 ・

 ・

 ・


 七郎様が夜にあたりを警戒したり、外に出て隠れ家を空けられていることは、もちろん知っていました。


 今日もお掃除を頑張って褒めていただき、リンカはそれだけで胸が一杯になります。


 頭に乗せられた優しい手の感触を思い出しながら働いていると、七郎様が厨房の方へ歩いていくのが見えて……。


 何となく後を追うと、あの方が地下室へ続く扉の先へ消えていきました。

 入ったことのない場所。

 “危険だから”と七郎様から立ち入りを禁止されていて、私やカルタ姐さんでは不思議と扉は明けられないのです。

 おそらく、魔法の仕掛け。


 「(どうしても気になります)」


 はしたない事ですが、体がすぐに動いていました。

 クジャク様の元で働いて数年、下働きとしていろんなことを仕込まれています。

 対人格闘、対武器格闘、対術戦闘、隠密行動、その他諸々。


 とりわけ、私の特技。

 人間や物が発する魔力を、少し距離が離れていても把握できる感応の技。


 この技だけは、クジャク様が褒めてくれる私の自慢。

 

「(と言っても、同じ建物の中で……壁の向こうの様子が分かるぐらいなんですけど……えへ)」


 体調も良いです、これなら扉の向こうの様子が分かります。


 意識を集中させれば、地下室の七郎様の姿が見えるよう。

 やった。魔力の振動で声も拾えて――


 『七郎。連絡をお待ちしていました――』


 え。

 え…………え?


 「(女の人の綺麗な、声……)」


 ・

 ・

 ・


 その日の夕方。

 俺は風呂を沸かしてから森の巡回に行き、切り上げて隠れ家に戻って来ていた。

 

「(少しの間なら、全域を逆柱達に任せて問題ないだろう)」


 ここ数日絡新婦の手先をめっきり見なくなった。打ち止めだろうか?


 「今日ものぞかなかったな。褒めてやろう、くくく」

 「いつも先にいただいて、悪いね」


 湯上りの香りを漂わせながら、廊下を歩いているカルタとクジャクにすれ違う。

 

 2人はたっぷりの湯に浸かった後で機嫌がいい。

 いつも当たりの強いカルタでさえ、この時は笑顔。

 クジャクの湯あみを手伝うという理由で、カルタはいつも同伴していた。


 ――クジャク様、寒くないですか?

 ――ちょっと、くっつくと動けないよ。ふふ


 時折風呂場の外まで、水音と楽し気な声が聞こえてくるのだ。

 

 「(このお湯……流石シルヴィアが気に入っただけのことはある)」


 まだ霊園山が迷宮として機能していなかった頃。

 隠れ家を下見(無断)した際、試しに評判の地下水を魔法で沸かし、火傷の後遺症に苦しむシルヴィアが湯に入った。

 竜の息吹による傷は呪いの様に肉体に刻まれ、魔法での治癒が難しいらしい。

 

 ――足の痛みと引きつりが、楽に……

   すごいですよ七郎。お湯に魔力は無いのに、どうして


 そう驚いていたのを、湯に入れるのを手伝った俺はよく覚えている。

 体は殆ど人間を辞めているとは言え、男に薄布一枚の自分を抱かせてまで湯に入ろうとは…………すごく喜んでからいいけど……。

 

 「まあ、俺もこうして入っているワケだが」


 すでに体は湯の中。

 欺瞞ぎまんの下にある体に本来入浴は必要ないのだろうが、不思議と錆びた鉄に油を刺す様な開放感があるので、つい浸かってしまう。


 水場は本来、俺の弱点。

 身体強化の技法である自重の軽量化が無ければ、俺はただ水に沈むのみ。

 水底から浮かぶために軽量化を強めれば、今度は膂力が発揮できない。


 当ての無い事を考えていると気が緩み、【愚か者の法衣ほうえ】の展開すら億劫おっくうになってきた。

 半ば本気で欺瞞の一時解除を悩む俺は、脱衣所に人の気配があることに気づく。


 シュルシュルと着物がほどかれる音が、静かな風呂場に響く。

 この衣擦きぬずれの音は……。


 脱衣所へのドアが開く。


 「……リンカ?」


 風呂場に入ってきたのは、薄絹うすぎぬ一枚を纏っただけのリンカであった。

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