霊園山(2)

 

 「相変わらずどこに目がついてるんだ。ってのは、お天道様が沈んでから言うセリフだよ」


 耳ざとく竜子たつこが七郎の、子供でも間違わないような挨拶を責める。


 「いではありませんか。竜子たつこ様とこうしてお話しできる時間が設けられたのはわたくしにとって、とぉってもウレシイことですから。昼であるか夜であるかの違いなど些細ささいなことです」


 「いやそういうことじゃなくてだね…」


 ――あんたもあんたでちょっとズレてるね。

 ――あらぁ、ありがとうございます。

 ――これがぬかに釘ってやつかい…


 かしましいレディ2人の会話を聞き流しつつ、七郎も客間の席に着いた。


 「あらあらあらぁ、お饅頭まんじゅうですねぇ。いただきまはむはむはむ」


 …シスターと言えば清貧を重んじるイメージを持つ人もいるのではないか。

 しかし、この場にいる年若い修道女は、甘味の存在を察知するや一瞬ではむはむした。



 「客に茶を出す前に、その客の土産にかぶりつくんじゃないよ」



 竜子もあきれ顔だが、知らない仲では無いので目をつむる。

 何より竜子は、火傷により不自由になった体を引きずり、過去を語らないこの怪しい修道女をいたわりながら、何かに付けて気に掛けているのだ。


 ――まあ、過去を語らないっていうんなら


 「(この男も大概たいがいだね。)」


 竜子にとっては、シスター・シルヴィアだけでなく、墨谷七郎とも長い付き合いとなる。


 10年ほど前、自身が所有する双山は、小さな霊園と、閉館し廃墟となった数むねの旅館があるだけの山であった。

 その白捨山のふもとから中腹にある宿場しゅくば跡地あとちに、夫を亡くしてからもたった1人で、竜子は住んでいたのだ。


 夫は大きな旅館を経営する一族の息子であったが、恋仲になったやくざ者の親を持つ竜子との結婚に、夫の一族は反対した。

 結局最後には、多少まとまった金を持たされ夫は家を勘当、放逐されたのである。

 竜子は、夫の家族にののしられながら夫の実家から歩き出した時の気持ちを、今でも思い出せる。


 夫に申し訳なさを感じながらも、家より‘私’を選んでくれたあの感動と言ったら。


 止まらない私の涙で、縋りつかれた自身の服のそでが濡れていくのを困ったように、それでいてどこか嬉しそうに見つめる夫は、誰よりも素敵だったのだ。


 夫と共にたどり着いた新天地であるこの双山。

 この山に細々とした温泉の源泉があることを知った私達は、有り金すべてと借金で、山と小さな宿を買った。

 そこから温泉と景色を売りに切り盛りさせた小旅館。

 評判を聞きつけた客足も悪くなく、一時期は周辺にいくつか他の旅館も立ち、にぎわったものである。


 しかし、いつからか温泉が枯れ、客足が途絶え、あっけなく私たち夫婦の夢の時間が立ち消えた。

 

 不便な山中の生活を捨て、町にくだり借り家でも借りて生活することを、考えないでも無かった。

 しかし、此処ここは心労がたたり先に逝った夫との思い出が詰まった場所。

 捨てられなかった。


  ‘いつかまた君と宿を開けたら’という病にむしばまれた夫が口にした、夢の時間への未練の言葉を思い出す都度つど、この場所にあった賑わう過去の情景が浮かび上がる。

 離れられなかった。


 そんな生活を続けている中、12年程前に原色の流星が夜空をまたぎ、魔法というまったく埒外らちがいの力が日本に広がったのである。

 日本中が激しい変化の荒波のなかにあるとき、この山や麓の町にも少なからず事件があった。

 とてつもなく凶暴な動物に人が襲われたり、‘幽霊を見た!’なんて話が異常に増えたりする。


 そして原色の流星から始まる魔法元年から、混乱が収まらないまま2年が過ぎたある深夜。

 

 突如、山の頂上付近で爆発のような激しい光が起こった。


 この光については未だに原因がわかっていない。激しい光であったのだが深夜の為、直接の目撃者は少なかった。

 少ない目撃談をまとめても「炎のようだった」「大きな鳥のような形が見えた気がする」と要領を得ない。

 この発光とほとんど同時期に、世間を騒がせた異世界のことわりによる大事件の後処理に、国の多くの関心が寄せられ、人的被害のない発光事件が調査されることは無かった。


 その発光事件から数週間後である。山のから、ふらりと男が現れたのは。


 その男は、年恰好で、暗い瞳をしていた。


 その男は山でひとり暮らす竜子を見ると、


 「こんばんは。一晩宿を貸してくれませんか?」


 と、真昼間にのたまったのである。


 ・

 ・

 ・


 ―この目の前に座る男…七郎とはじめて会ったのも、もうずいぶん前になるかい…。


 竜子は、もう長い付き合いになった客人達と共にテーブルを囲みながら、そんな2人と出会った当初の記憶を無意識に手繰たぐっていた。


 「どうかなさいました?」


 シスターの声に、竜子は我に返る。


 「なんでもないよ」

 「よかったです。ついに老人性健忘症けんぼうしょうがひどくなったのかと心配致しました」

 「ボケとらんわ!」

 「ふふふ」


 シスター・シルヴィアが嬉しそうにほほ笑む。

 少々距離感がつかみきれない冗談に、竜子も気丈きじょうに反論した。


 「ボケて死ぬにはまだ早い。生憎とまだ旦那が迎えに来んでな。あのひとが遅刻を詫びて引っ張ってくれんなら、考えんでもないけどなぁ。かっかっか」


 皮肉顔で笑いながら竜子はそんなことを言ったが、その言葉を聞いたシスターは笑顔のまま目に涙を浮かべ始めた。

 そのまま魔法で宙を滑り、すごい速さで距離を詰め、竜子を抱きしめ頭を撫で始める。

 先ほど冗談を言っていたシスターの声は震え、笑顔を浮かべながら泣いていた。


 「いいえ。いいえ。死んではだめです。いなくならないでください。ずっと此処で笑っていてください。此処でわたくしをいつも出迎えてくれるあなた。いやですよ……。いやです」


 ―情緒が少しおかしいのは昔からだが、だんだん抑えが効かなくなってる気もするねぇ。


 そう思いながら、約10年前からの付き合いのシルヴィアの頭を撫でる。

 

 このシスターは、墨谷があたしんとこに居ついてからしばらくして…、どのくらいだったか。

 物々しい全身鎧を纏った騎士なんて、とんでもないヤツらを引き連れてウチに現れたんだよ。

 車椅子に乗りながらさ。


 ―‘夢の時間を、取り戻したくはありませんか?’

 ―‘わたくしに任せてくださるなら、この場所の営みを取り戻すことができるやもしれません’


 ‘ですからこの山をわたくしに任せてくださいませんか?’って怪しさ満載のセリフを、大真面目に言いのけやがった。


 「そういえばあんたら2人が霊園山ここ居つくようになったのは、その同じ年のあいだか……。それからが目まぐるしすぎて忘れてたよ」


 なんとなしにそう竜子はつぶやきながら、若干情緒じょうちょあやういシスターに、頭を撫でられるがままになっていた。

 経験上、彼女は誰かをいつくしみ、あやしているような行動を起こしている時間が、一番安らかになれていることを竜子は知っていた。

 まあ、さすがに鬱陶うっとうしくなってきたので振りほどくが。


 「ああん」


 残念そうな声をあげて、落ち着きを取り戻したシスターは’にゅるん’とした動きで宙を滑り席に戻る。


 竜子は、無意識に思い出した自身の過去と、今日の客人たちとの出会いの記憶から、今日こんにちまでの目まぐるしい日々のいきさつを想起そうきせざるを得ない。


 当事者でもある客人たちに、聞かせるように語る。


 「あたしもあの頃はいろいろ投げやりになってた。シルヴィアの話のあやしさも承知で本当に自由に使わせてやった。そしたら魔法ってやつを使ってみるみる土地を整えて、人が集まって金が回り始める。なんでか墓が広がって、それが名物みたいになるのには閉口へいこうしたがね。毎日少なくない人間がこの山に来て、賑わうようになってから国やら義瑠土っちゅうよくわからん組織が‘ここがダンジョンだ’なんだって騒ぎ出したことがあったが、結局シルヴィアをアタマにしてみんな上手くやって納まっちまった」


 そこまで語り、最後に


 「最後には山の中に、線路まで引いちまったのには驚くばかりさね」


 と締めた。


 「わたくしだけの力のようにおっしゃられますが、竜子さんの人脈や手腕もあってこそです。それこそわたくしが驚かされることも、多かったように思いますけど」

 「かかか」

 「ふふふ」


 2人が思い出したように笑っている。


 そんな女2人の密月を蚊帳かやの外で眺めている男が1人。

 なぜ自分はここに呼ばれたのか。

 来訪してからも全く解消されない疑問を、日課となっている脳内での魔術式の構築研究と並行しながら思ったのだった。

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