最終列車

煙 亜月

目、つむるんじゃねえ。

 地元まで辛うじて延伸した三セクのディーゼル機関車は、勾配のきつい単線をゆっくりと走ってゆく。赤字覚悟で始めた事業も運行開始とともに超大赤字で、年寄りの足として社会的責任という見えない軛を負ってきょうも無言の就業だ。田園風景を一両編成が走る姿を『レトロ』『ほのぼの』だなんて鉄道ファンの間で人気を博したのか、沿線の田畑は足跡でいっぱいだ。

 高校時代、その車両に乗っていたおれは枕木のごとんごとん、という振動にいつも眠気を誘われ、ワンマンの運転手には降車駅すら憶えられてしまった。いい目覚ましである。


 遠く見える高速道路の高架は、地元住民には大博打の事業だった。運よく地上げにハマれば一攫千金、ただ近所を通るだけならうるさいだけで何も得るものはない。


 おれらはその高架を見上げ、『ほのぼの』列車に乗りいつものように駄弁っていた。


「なあ、バイクどしたん? 昔みてえに風になってくりゃ速えのによ」

「おれがあの高速きらいなの、知ってるくせに。——それに、あんなツーストもうエンジンがダメだわ。修理うんぬんじゃなくってな。もともと減算歴車だったし」


 ダルそうにおれが答えると金村は大欠伸をする。薄い色のサングラスの奥、目は閉じられておらず、こちらを見ている——いちいち切れる男だったが、それは一〇年経っても変わらないようだ。そのことにおれは唇だけで薄く笑う。

「なんだよ」

「いや、一〇年経っても変わってないから面白えって思っただけ」

「なんそれ」

 ふたりして肩でくつくつと笑う。


「トキワ」

「ん?」

「暇じゃね?」

「しりとりする?」

「しりとりなら、いい。勝ったらかわいそうだし」


 以前、ほんとうに金村としりとりで三〇〇〇円賭けたことがあったが——負けた。カネ以前に、ガチでしりとりをして負けたことに自体に腹が立った。そのことを思い出し、おれはまた薄く笑う。


「おまえのその薄笑い、いいね。コロシヤみたいな感じがする」

「金村こそ、片目開けたまま寝れるんだろ? そっちの方がキマってると思うけどな」


「ああ、でも退屈なのは賛成だわ。こんなインポみてえなド田舎」

「ん——席空いたぜ、トキワ。座ろうや」


「金村、マジでおまえ以外にいい思い出なんて無いわ、ここ。——あ、いまの気があるって意味じゃねえからな」

「ふうん。それは残念だな。あーあ、おれの青春はたったいま終わった」

「青春なんか元からねえだろ。地元がこんなとこじゃあな——それでおれは横浜に行ったわけだ」

「なんだよ冷てーなトキワ。——そういえばおれのケータイ知らね?」


 おれは黒いA4トートに忍ばせた金村のガラケーを投げ渡した。表面の液晶が時刻を表示し続ける。十四時十七分。まだ終点まで辿り着く時刻ではない。


「おまえ、まだこんなの使ってんのかよ」

「は、最新式だぞ? ってか、なんでお前が持ってんだよ」心底不思議そうな顔で金村がいうので、面白くなってしばし笑う。

「最後に会ったとき、借りっぱなしだったんだよ。いつか返そうと思って預かったままで、そんで」

「いや、ずっと持ってたのかよ! そんなにこのケータイ大好きなのか!」

「わ、悪いか! もっと早くおまえに会えれば、おれだって」


 周囲の怪訝な表情に気づき、おれは声のトーンを落とす。ズレたマスクを調整し、視線を再び車窓に移した。


 悪い夢なら納得できるのに、地に足がつくような感覚はこれを現実だと暗に伝えていた。おれは、既に狂っているのかもしれない。



 おれと金村は同じ街で生まれ、同じ悩みを抱いていた。ビニールのデスクマットに爪を立てるようなもどかしさと、小鍋の把手を焦がすような強い灼けつく炎の熱感。束縛はいらない。刹那的な自由だってあればいい方だ。が、十代のうちほとんどは意味のわからない焦燥感と無力感が占めた。それでもおれたちは走った。走って走って、うまくいけば全てから逃れ全てを享受できるかもしれない。しかし行き詰った。おれは横浜へ飛んだが、金村はド田舎でむき出しの敵愾心を方々に向け、どんなグループにも所属せず、またそれを可能にする剛腕を持っていた。虎に牙。どんなに苛烈な——複数相手の喧嘩でも負け知らずで、あいつの顔には傷痕ひとつない。長い髪を王者の証しのようになびかせ、内から湧く情動を発散させるように暴れ回るのだ。

 髪を切らない理由を尋ねたことがある。いつものニヤニヤした笑みでこう答える。


「ハンデだよ、ハンデ。こうやって髪掴まれたらもうボコボコになる。でも、おれの顔に傷なんて無いだろ? おれは誰にも殴らせなかった。だからおれには散髪が必要ないんだ」



 金村はリスクを厭わない男だった。峠では「スリルが欲しい」と車輛の持つコーナリング性能ギリギリの速度を出していた。都会で買った天国にさえ飛んでってしまえそうなクスリをやろうとしたときは流石におれが止めた。


 今思えば、生き急いでたのかもしれない。あいつにとっては長生きなんか退屈でしかなく、命を縮めようともただ楽しくあればいい、たっぷりと堪能したのなら、結果がどのようなものであれ——それが自身の死でも——甘んじるだろう、そう思わせた。あいつの一番そばで見ていたおれですら、翻意を促すことは不可能だ、そう確信していた。


 それが表面化したのは、高校卒業を前にした冬だった。お互いに避けていた将来の話について、金村が口火を切ったのだ。


「トキワ。こんなクソみてえな退屈な街出て行こうぜ。おれらで都会に住んで自由に暮らすんだよ。このままここで腐るなら、死んだ方がマシだ。向こうで好き勝手暴れて、おれらの存在を知らしめてやるんだ! 最高だろ?」


「金村さあ——まだそんなこと続けんの? おれ、普通に就職するつもりなんだけど」


「は? トキワちゃんよ——なに日和ってんだよ。こんなとこ出てった方が絶対楽しいって! 絶対イケる。ふたりで一緒にデカいことやるんだよ」


 おれは溜め息を吐いた。こいつの未来に、希望なんてない。そう悟ると、今まで振り落とされないように必死に着いて行ったことさえ、その時は馬鹿馬鹿しく思えた。


「確かに都会には行くよ。でも、それはこれから真っ当に生きるためだ。お前と一緒に、無軌道に暴れるためじゃない。向いてなかったんだよ、おれには。っていうか、おまえはなにかプランでもあるのか? 金銭面のアテは? まさか老後もこんなことしてられるとか思ってんじゃねえだろうな?」


「——笑えるわ。マジでクソ。大爆笑。おまえまでおれを裏切んのか? あーはいはい。わかったよ。じゃ——最後におれからのメッセージだ!」


 金村が右腕を大きく引く。おれは顔を反らし、腕で防御する。


「——目、つむるんじゃねえ。それだけいいたかった。じゃあな——相棒」


 拳を下ろしてそういったきり、金村はおれの前から姿を消した。後に残ったのは、あいつが置いていったガラケーともやもやした感情だけだ。


 ただの突発的な家出で、数日経てば戻ってくるだろう。おれもあいつの家族もそう思っていたのか、行方不明者届などは出さなかったようだ。が、結局あいつが帰ってくる事はなく、おれは金村が都会に出たことを確信する。そもそも家族とも折り合いが悪かったらしく、おれは引っ越し先の横浜であいつの私物やら何やらを預かることになった。いなくなってせいせいした——そんな考えがあったのかもしれない。


 それから一〇年が経った。一人暮らしのリビングの一角に置かれたあいつのガラケーは充電したままで、おれは時折その存在を再確認する。


 おれにとって荒れていた過去は遥か昔の話で、今は平凡な生活を送っているのだ。あいつが今どこで何をしているかは知らないが、一〇年の月日でお互い袂を完全に分かったのは事実だ。もう会えることはないかと思い、私物も含め大掃除のたびに処分しようか迷うようになっていた。決断を先送りにして、充電したまま捨てられずにいる。


 それゆえに仕事から帰って留守電が入っていたのに気付いた時は驚いた。通話を掛け直すと、驚いた声の女性が出る。金村の妹だ。


「お久しぶりです、トキワです! すいません、あいつのガラケーを預かったまま返しそび」

「あーいえ、こちらはとっくに捨てられているものだと思ってたので。兄の遺品を預かっていただいて、ありがとうございます」

「は、遺品」

「ご存知なかったのですか? 兄は数ヶ月前にこちらに帰ってきました。損傷が激しくて、すぐに荼毘に付したのですが」


 その電話で詳しく事情を聞いた。


 金村は町を出た後、チンピラとして生活していたらしい。ヤクザや半グレなどの集団とは距離を置きつつなんとか生活をしていたらしいが、そのせいか目の敵にされ、トラブルに巻き込まれたらしい。ヤクザ者のグループにしつこく絡まれた商売女を助けようとしたが運の尽き、その場で文字通り全身の骨がばらばらになるまで殴られ、生活反応の消失した後も殴打は執拗に続いたという。


 驚きはなかった。あいつとはもう住む世界が違うと思っていたし、昔から生き急いでいたツケが今やってきたのだろう。けじめというやつだ。

 代わりに胸を行き交った感情を、おれは静かな失望だと解釈した。あの頃の強かった金村はもういない。所詮は井の中の蛙で、あいつの死顔には消えない傷が残っているのだろう。背中を追わなくて正解だった。


 持ち主のいなくなったガラケーを捨てようかとも考えたが、これも形見ともいえる。固執はしないがぞんざいにも扱えない。せめて墓前に手向けようと思い、おれは久しぶりの帰郷を決意する。おれの脳に息づく金村へ正しく、いまは分からないが——おれでしかできないやり方で蓋をするには、ちょうどいい機会だと思ったのだ。


 一人暮らしのアパートから故郷に帰るには、電車や新幹線を何本も乗り継ぐ必要がある。既にバイクを手放していたのでホームで黙々と電車を待っていた。聞き覚えのある声が聞こえたのは、発着音が鳴った直後である。


「へいへーい、トキワちゃん? 久しぶりじゃん、何やっとんの?」


 最初は悪質なイタズラだと思った。あいつの妹がおれに嘘を吐いていて、本当はこの街のどこかで生きているのではないか、と。振り向けば、金村が立っていたからだ。


 その顔に消えない痣は無い。折れているはずの骨も見た限りでは何も問題なく、何も起こっていないかのようだった。別れた日から何も変わらない姿で、おれに笑いかけている。


「お——おまえ、なんで」

「あっ、電車来るぞ。乗らんの?」


 慌てて乗り込み、状況を整理した。——違う、違う違う。嘘だ嘘だ嘘だ! おれだけ一〇年の月日が経って大人になり、あいつの姿は変わっていない。自分の脳が信じられなくなったわけではないが、幻覚や幽霊の可能性だってある。まとまらない思考は目の前の幼馴染の影を薄くさせ、おれは自分がおかしくなっていくような感覚に陥った。


 あいつが幽霊にでもなったなら、納得できるかもしれない。あの最期では未練も恨みもあるだろう。自分が死んだことも理解できず、おれに会いにきたのかもしれない。


「金村。おまえ、後悔してることとかある?」

 呟くようにそう尋ねると、金村は意外なように笑う。

「してるわけないだろ。退屈とは無縁の、いい人生だったよ」


 あいつはこういう時に嘘を吐かない。考えてみれば、昔から生き急いでいたような奴が後悔なんてするはずがないのだ。おれも同じように笑い、独り言を呟くように一〇年振りの会話を続けた。この際、生きていても死んでいてもよかった。久しぶりの再会に、話したいことがたくさんあるのだから。


 水面に反射する陽光が川を染め、列車は揺れながらトンネルに入っていく。おれの目の前に座っていたはずの金村は、気付けば煙のように消えていた。


 未練があったとすれば、おれの方だったのかもしれない。別れてから忘れる事だって出来たのに、おれは記憶を形に残る形で抱え続けていた。一〇年ぶりの帰郷は、それをより克明に想起させたのだ。


 ——墓まで待てずに会いにきたなら、もうちょっと居てもよかっただろ——全部早いんだよ、生きるのも死ぬのも。このクソ金村。なんで先に目、つむっちゃったんだよ。


 あいつの背中を、今も追っていたのかもしれない。どんどん離れていく様子に一度は諦め、いつの間にか逃げ切られていた後悔が重くのしかかる。あの日喧嘩別れしなければ、あいつの生涯を近くで見ることができたのかもしれないのに。


「だけどこれも、たらればだな——相棒」


 後悔を抱えながら、各駅の列車はゆっくりと進んでいく。あいつを忘れるための旅は、まだ終点まで到着しないようだ。

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