第10話 『事件だった』
私は、ホラー小説を書いているお姉さんです。
夫が単身赴任で海外に行っているのですが、近所に両親も住んでいる地元なので、独身時代に戻ったような気分でのんびり過ごしています。
あれは、半年ほど前のこと。
マンションの隣室に、高校時代の後輩が夫婦で引っ越してきました。
後輩の家庭は奥さんがキャリアウーマンだそうで、後輩の彼が専業主夫とのこと。
後輩は時々私の家に、近所で遊べる場所や安価なスーパーの場所を聞きに来ました。
いえ、もちろん昼ドラのような不倫劇は始まりませんよ。
私も家に居るとはいえ、小説を書いているので暇ではありません。
後輩はホラーとミステリーを混同しているくらいで。
私がふたつの違いを説明しながら読書を勧めると、後輩はあまり私の家に来なくなりました。
元々、読書好きなタイプではなかったんです。
奥さんとも何度か会った事がありますが、とても忙しそうで、いつも慌ただしく出勤して行きます。
パンツスーツの似合うキャリアウーマン。
憧れますが、大変そうです。
後輩夫婦が越してきて3か月ほど経ったころ。
後輩が慌てて訪ねて来たんです。
なんだか落ち着かない様子で、キョロキョロそわそわして。
すぐ後ろでは、奥さんがぼんやり立っていました。
「帰って来たら妻が倒れてたんですよ! 先輩、推理作家でしょ。絶対、俺が疑われる! こういう時どうしたら良いんですか!」
「えぇ? ちょっと、落ち着いてよ」
久々に外出して帰って来たら、奥さんが倒れていて意識がないっていう状況を、大慌てでまくし立てているんです。
でも、どう見てもそこに居らしたので、奥さんのドッキリジョークを本気にしたのかなと思ったんです。
「落ち着いてよ。奥さん、後ろに居るじゃない」
私は笑って言いましたが、後輩の硬直の仕方が尋常ではありませんでした。
表情を固めたまま、ホラー映画の恐怖シーンのように、ゆっくりと背後を振り返りました。
奥さんとは顔を合わせないままキョロキョロして、
「いませんよ。いませんよ……」
と、声を震わせています。
そこでやっと、気付いたんです。
奥さんがすでに、後輩には見えない状態になっていること。
「どうしたら良いんですか。俺は悪くないのに――」
後輩は挙動不審で、焦点も定まらなくなっていました。
「落ち着いて」
と、静かに声を掛け、後輩に不審がられないように気を付けながら、私は奥さんを観察しました。
首が、妙にデコボコしていました。
首筋のスッとした奥さんだったんですけど。
顔を私に向けて、視線だけギロッと後輩に向けながら、奥さんの口が動いています。
でも、声は聞こえません。
唇の動きは『こ ろ さ れ た』と、読み取れました。
「こういうの、先輩の分野でしょ? 俺が悪くないって証明を作って下さいよ。いくらでも払いますから――」
後輩は、ミステリー作品のようなトリックやアリバイ作りに、お金を払うから協力してくれと言いたいようでした。
私は幽霊が出てくる方のホラー小説作家なので、推理小説のようなトリックもアリバイ作りも苦手だと話しました。
すると後輩は息も荒くしながら、
「俺は悪くない。あいつが悪いんだ……別れたいとか証拠があるとか、脅す方が犯罪なのに……」
と、自白と受け取れそうな言い訳を始めました。
「……とにかく、咄嗟に手が出てしまったとしても、すぐに救急車を呼べば後悔や反省の現れと受け取られるから」
と、なだめて、自宅へ119番をしに戻るように説得したんです。
それで、後輩は顔面蒼白のまま戻って行って、隣室の扉が閉まる音は聞こえました。
後ろで後輩に視線を向けていた奥さんも、後輩について行きました。
一応、私の部屋の扉も鍵を掛けて110番したんです。
後輩は救急車を呼ぶ事なく、お財布や貴重品を持って逃げたようです。
駆け付けた警察官に職務質問され、逃げようとして取り押さえられていました。
今は自宅でギャンブルが出来るのだとか。
すごい時代ですね。
後輩は完全なヒモ状態で、主夫と言いながら家事も奥さんに押し付けていたそうです。
奥さんのお給料で遊んでいたそうですが、
『家族になれない。分かれて欲しい』
と、言われた事にキレて、首を絞めて殺してしまったそうです。
うちの単身赴任中の夫は、私を心配して玄関の外側と内側に防犯カメラを設置してくれていたので。
後輩の自白ととれる言い訳発言も、荷物を抱えて扉の向こうを走り去って行く表情も録画されていたものを警察に提出しました。
幽霊が見えたところでね……。
壁の向こうが透けて見えるわけではないので。
奥さんがこんな事になる前に、何か気付けることが無かったのかなと。
家庭の事情に立ち入り過ぎるのもどうかと思うし、
「大丈夫? DVされてない?」
なんて、ずけずけ聞いて来る人を信用して本当の事を答えられる人も少ないでしょうし。
難しいです。
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