第8話 『部屋の窓』
子どもの頃、親戚の家でお世話になっていた時期がありました。
子どもと言っても高校生にはなっていたのですけど。
父は単身赴任で、母も夜勤や泊りがけになる事もあるような仕事をしていました。
それだけならともかく、そういう事を平気で誰にでも言い触らしてしまう人が、近所に居たんです。
当時の私はよくわかっていなくて、その人に、
『今は居るんでしょ?』
『また出掛けちゃう予定があったりするの?』
なんて聞かれると、正直に答えてしまっていたんです。
女子高生が家にひとりなんて、誰に聞かれているかわからない場所で大声で触れ回られるのは、まあ物騒な話ですよね。
他人の口に戸は立てられないと言いますが。
それとなく両親が物騒だからと念を押しても、その人には言い触らすのをやめてもらえなくて。
それなら
両親が家に居ない日は、叔母のアパートでお世話になってたんです。
叔母は独身で、料理屋さんを一人で切り盛りしていました。
個人店なのですが、少し高級な材料で美味しい和食が食べられるような。
叔母のお店を手伝う時は、お下がりの着物を着つけてもらえたのが楽しくて。
いつも、進んで手伝いをしていたんです。
前置きが長くなりましたが。
これは、叔母のお店を手伝っていた時の、お客さんの話です。
開店直後のお店に入るなり、
「出して!」
と、声を上げたお客さんが居ました。
お客さんの声と言うより、お客さんの全身から響いたように聞こえたんです。
よくわからない時はスルーしていいと教わっていたので、
「いらっしゃいませ?」
と、疑問形で声を掛けてみました。
その女性のお客さんは、とても険しい顔をしていましたが、私が声を掛けると、ふっと我に返った様子でした。
表情から険しさが消えると、以前にも見た事のあるお客さんだとわかったんです。
「ご予約のお客様ですね」
「あ、はい。〇〇です。ごめんね、ボーッとしてたわ」
なんて、ちょっと首を傾げていて。
その時は、お疲れなのかなーなんて思っていたんですよね。
なにか考え事をしていて、無意識に『出して』なんて口から出てしまったのかなって。
カウンターで御予約の一名様。
高級店と言っても、大衆食堂のような一面もあるお店です。
食事をしながら、女将である叔母に愚痴をこぼしに来る人もいます。
その女性のお客さんも、その内のひとりでした。
その日は、叔母に困り事の相談に来たようで、
『誰も居ない部屋の窓を叩く音がする』
そんな内容でした。
窓や扉が叩かれる怪談も時々見かけますが、最近は、叩いているのは外からではないかも……という話も見かけます。
この相談も、まさにそれだったんです。
――ちょっと怖い話なんだけどね。
夜中に、窓を叩く音が聞こえるのよ。
マンションの3階で、ベランダもない小さい窓だから、外に人が立てるような場所じゃないの。
ベランダなら、すぐに大家さんや警察に連絡しちゃうところなんだけど。
家鳴りとか、夜になって涼しくなった温度変化で窓枠がきしむ音だと思いたかったわ。
でも、やっぱり人間が叩いているノックの音にしか聞こえない感じなのよね。
私が返事をしないせいなのか、徐々にノックが大きくなるの。
トントン、トントントンッて音だったのが、バンッバンッ、ドンドンドンッ、みたいな。
近所迷惑が気になるほどの音になると、その後はもう続かないの。
夜空と住宅地が見えてるだけで、手も何も見えないのに。
一応、調べたけど事故物件でも何でもなかったわ。
他のお客さんもまだ来ていなかったので。
私も叔母と一緒に、そのお客さんの話を聞いていました。
少し強引なお客さんなんですよね。
叔母が少し勘の鋭い人だったので、定休日に自分のマンションを見てもらえないかっていう相談でした。
叔母もお客さんを無下には出来ないものの、
「何もできないわー」
って、やんわり断ってたんですけどね。
叔母譲りで私も勘が鋭い方なので、すぐに気付いたんです。
そのお客さんが開口一番に言った『出して』という言葉。
「お店にいらしてすぐ『出して』っておしゃったの、覚えてますか」
と、私は聞いてみました。
「えっ?」
「考え事が口に出ちゃったりしたのかなと思って、スルーしてたんですけど」
「ううん。聞こえたけどね『出して』って。お店の中から聞こえたよね? 私は言ってないよ」
「〇〇さんが一番乗りで女将は仕込み中だったから、私しかお店の中に居なかったですよ」
首を傾げ合う私とお客さんを見比べて、女将である叔母が、
「この子が出してって言ってた訳でもないのよね?」
と、お客さんに聞きました。
「うん……あれ。誰だったろう。私が言ってた?」
「もしかして、部屋の中から、窓を開けて欲しくて叩いてる事ないですか」
「えぇっ、やめてよぉ。考えた事も無かった。そんな事あるの? 事故物件じゃないよ?」
そのお客さんは、窓から何かが入って来ようとしてるのだと怯えていたので。叔母が、
「何か入って来るかも知れない窓を開けるのは怖いわよね。じゃあ、部屋の中に向かって『こちらではどうですか』って声を掛けながら、別の窓をちょっと開けてみたらどうかしら。その窓までの部屋のドアなんかも開けておいてあげてね」
と、説明。
「なるほど……やってみようかな」
そんな感じで、帰られたんですよね。
ちょっと踏み込んだ事を言ってしまったので、後から叔母に、
「怖がらせるような、余計なこと言っちゃったかな」
と、聞きました。叔母は笑顔のまま、
「見えた?」
と、聞き返しました。
「お客さんがお店に入ってすぐ、怖い顔して『出して!』って言うのを聞いただけ。顔つきは別人だった」
「たぶん、その人だよね。御友人が最近、亡くなられてると思うのよ。形見分けなのか、ご両親が借りてるものでもあったら返したいって事だったのかわからないけど。亡くなった御友人の部屋から、貸してる訳でもない御友人の所有物を、勝手に持って来ちゃったんじゃないかなぁ。それで、御友人がついて来てしまって。でも彼女の部屋から出られないし、自分のお葬式やってるしで、今はもう亡くなられている事に気付いていて。やっぱり自分の家やご家族の元に帰りたいでしょ? それで、部屋の中から窓を叩いて、出してって言ってたんだと思う」
叔母は、そう話してくれました。
「持って来ちゃった物を返さないと、窓を叩くの止まらないの?」
「物に執着しているなら、勝手に持って来ちゃった彼女に対して攻撃的になると思うのよね。ついて来てしまったものの、閉め切った部屋から出られないだけだと思う。窓を開けてあげれば、自分で出ていけると思うよ」
と、叔母は教えてくれました。
頻繁に、そんな経験をする訳ではないんです。
親戚の中で、見えたり聞こえたりするのは私と叔母だけ。
それもあって、私は大人になった今でも、叔母のお店にちょくちょく顔を出すようにしているんです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます