女神の領域
たびー
第1話 女神の領域
「お客さん、あんた佐々木って名乗ったけど、ほんとは佐伯でしょ?」
木島はボートの後部に座って操作しながら、自分の父親ぐらいの年代の小柄な老人に問いかけた。
小型ボートの中央部分、屋根の下に座る麻のサマースーツに身を包んだ老人は、耳が遠いのかもしれない。すぐに返答はなく、ただボートのモーター音と、周囲の山からのヒグラシの声だけが夕暮れ時の湖面に響いた。
「仲間内で噂になってる。佐伯って奴から、人がめったに行かないような場所に連れて行ってくれって依頼が来る。おれたちみたいな便利屋に、わざわざ月から」
便利屋はどんな小さな仕事も請け負う。使いっばしりから、逃げ出した猫の捜索、気晴らしの散歩への付き添い、時には遠くの病院までの送迎。
温暖化して海面が上昇したせいで、河川があふれ。道路が寸断された。交通手段は車から船へと移った。通常、便利屋たちは、手漕ぎではなくエンジン付きのボートを持っている。星間飛行もできるというのに、なんという格差だろう。
老人は苦虫を噛み潰したような顔つきで、面倒くさげに応えた。
「あなたたちに、仕事をさせてやっている。なにか問題があるか」
肺活量に乏しい声は全体的に細く、エンジン音に負けがちだった。木島は眉間にしわを寄せて耳をすませてようやく老人の声を聞き取った。
なんだか途中から言葉遣いがぞんざいになったな、と木島の眉間にはしばらくしわが寄ったままだった。
木島は強めにため息を吐くと、首からさげたタオルで汗を拭いた。ランニングシャツとハーフパンツで過ごす連日の猛暑の夏も、水辺にいるとずいぶん違う。涼しい風を受けている心地よさがある。このまま仕事を終えて帰れたらいいと思った。スコールはごめんだ。
前方には湖のうえから突き出す、緑の茂る小島が見えた。島の名前は通称、粟島だと佐伯が木島の事務所で説明した。あわ粒ほどの大きさだからだとも。
地球の自然環境がほぼ壊滅的になって、おおかたの人間は月や火星に移住した。
今、地球に残っているのは、金のないやつか物好きばかりだ。
地球のいいところなんて、税金が極端に安いってことだけだ。観光目的で来たところで、客をもてなす高級ホテルはない。もとより環境を回復させるために、大型の商用施設は一切ないのだ。
税金が安い代わりに、住民サービスというものが極端に削られた。病院がほぼない。あっても在中しているのは、AI診断機とアンドロイドの看護師。
体が不自由になったら、病気になったら、けがをしたら。ご近所の支えあいでなんとか死に水を取ってもらえたら上等、そのまま野垂れ死にが珍しくない。
地球にとっては、そのほうがいいのかも知れない。環境を破壊する人間がいなくなった方が。
「きみは未婚か、子どもはいないのか」
ぶしつけとも取れる質問を佐伯は木島に投げかけた。
「未婚だし、基本地球では年間に増えていい人数は決まっている。手続きがめんどうだから、わざわざ持とうなんて考えたこと、ないね」
全体的に高齢化した社会のなかで、そうそう相手もみつからない。気づけば木島は五十路を超えていた。
「だからってわけじゃないが、猫たちが家族みたいなもんだな」
「猫など……子どもをもてないとは虚しいな」
「そうでもないさ、気楽でいい。そういうあんたはどうなんだ」
学者のような雰囲気をまとう佐伯からは、所帯じみた感じはしない。
「息子を一人育てた」
「育てったって、育児は奥さんがしたんじゃない?」
皴ひとつないシャツに、サマースーツと中折れハット。どこから見ても誰かに世話をされていそうな佐伯が、育児に積極的だったとは思えない。
「妻は出産時に亡くなってな。それから男手ひとつだ」
ステッキを支えた両手の上に顎を乗せて、まっすぐ前を見たまま、佐伯は答える。木島は少なからず驚いて目を見開いた。男手ひとつとはいえ、今は子守をするアンドロイドもいる。それにしたって、レンタルでも代金は安くないはずだ。
まあ、人は見かけによらないものだから、と木島は胸の中で独り言ちした。
貧乏暮らしだと思っていた古アパート住まいの老人が押し入れに大金を残していたり、人当たりのいい無害な老女と思っていたら、寸借詐欺の常習犯だったりとか。
それにしても、わざわざ不便なところにある神社を訪ねる理由は何だろう。
佐伯と木島は、もう言葉を交わさずに暮れ始めた湖のうえで晩夏の風に吹かれた。
季節を問わずに降る大雨、大型化した台風、四季というより夏と冬の二季になったようだ。もう何が「季節外れ」なのか分からなくなっている。
それでも、木島は今の暮らしも悪くないと思っている。三十年近く前、二十代のころに勤めていた会社は、文字通り朝から晩まで、月に一度休みがあるかないかくらいのブラック企業だったから。
それにくらべれば、のんびりしたものだと。
木島の両親はすでに亡くなっている。月への移住条件は、帯同できるペットが一匹だけだったので、木島は五匹の愛猫と地球に残った。少ない元手で始められる便利屋を始めたのは自然な成り行きだった。
佐伯は夕方、六時くらいに粟島の中にある神社へ連れて行ってほしいとい依頼してきた。
「間に合うんだろうな、神楽の開演は七時だ」
佐伯は焦れたように、貧乏ゆすりをしている。
「大丈夫だ。まだ時間はある。神楽見物をするにはまず草刈りだ」
木島はクーラーボックスからラベルのないペットボトルに入った麦茶を佐伯に渡した。キンキンに冷えているとはいいがたいが、熱中症予防のためには飲んでもらわないと困る。体調を崩しても、すぐには病院へ連れていけないのだ。
木島も麦茶でのどを潤した。飲みながら、島の様子をうかがった。
粟島は目の前だ。周囲が二キロくらいだろうか。お椀を伏せたようなかたちで、水面から頭を出している。
島には神社があるという。先に佐伯を案内した連中から、人が行かなくなった境内の草や堆積した落ち葉の厄介さを耳にしていた。木島は安全確保のためにも、下準備の時間を設けた。
「こんな誰も来ないような場所で、神楽をやっているなんて、信じられないぜ」
「ここにはダムに沈んだ村があったのだ。祈りは続けなれば。たとえ誰も見る者がいなくても」
見物人がいないのなら、神楽の必要もないと思うが。佐伯の言葉は理解不能で、木島は首を一つ傾げた。
島にある形ばかりの船着き場に着くと、木島はボートを寄せて斜めになった杭にロープを巻き付けた。
佐伯が言うには、船着き場から少し行くとすぐに石の階段がある。そこを上がれば神社だそうだ。
草刈り鎌に、虫よけスプレー、虫刺されの薬に絆創膏、大き目の懐中電灯。それから、麦茶と乾パンなど。諸々詰め込んだディパックを背負い、木島は長靴に履き替え船を後にした。
「最初におれが草を刈りながら上まで行って、様子を見てくるから」
木島は軍手をはめ、帽子をかぶるとヘッドランプを装着した。
石段はすぐに見つかった。石段の幅は二メートルにも満たなく、左右から草がおい茂り中央部分にしか安心して足を置けなかった。
さっそく石段の草を鎌で薙ぎ払った。とたんに青臭いにおいでむせ返る。
木島は慎重に一段一段登って行った。草むらに蛇が潜んでいたら敵わないし、スズメバチの巣に足を突っ込んだら、お陀仏だ。日没までにはまだ余裕はあるが、石段の上には木々が枝を伸ばして影を作っている。すでに薄暗く、木島はヘッドランプをつけて草を刈った。
五十段ほどの階段を登りきると、朱のはげた鳥居と苔むした狛犬が木島を迎えた。カナカナと鳴くヒグラシの声のがあるばかり。木島は額の汗を軍手で拭った。人の気配はない。けれど、正面の拝殿と右手の神楽殿には明かりが灯っていた。
「ソーラー電池の明かりか」
立派な杉木立に囲まれた境内には、杉の葉や小枝が何年分かわからないほど、数ヵ所かに吹きだまっていた。しばらくは、誰か足を踏み入れたようには思えなかった。
「神楽殿の床、腐ったりしてないんだろうな」
木島は伸びあがって舞台を見た。磨きこまれた黒い板間が見えた。正面奥には幕が張られている。三方をガラスの引戸で閉ざされていて、雨風にはさらされていないようだった。
木島は拝殿に向き直ると、柏手を打って頭を下げた。鈴はいつの時にか落ちてしまったのだろう。誰が片づけたのか、拝殿の軒下に置いてあった。
「なあ、ほんとに神楽なんか始まるのか?」
汗だくになった、長袖のヤッケを脱いだ木島は佐伯にぼやいた。
「そのうちわかる」
ふん、と鼻を鳴らすと木島は佐伯へ手を差し伸べた。佐伯は無言で木島の手を頼みにし、船から下りた。
木島は佐伯を前にして石段を登り直した。杖を突いた佐伯は一段一段ゆっくりと登る。途中でなんどか休み、それでも自力で最後まで登って見せた。
鳥居の下へ来ると佐伯は乱れた呼吸を整えた。佐伯は何歳くらいだろうか。九十とまではいかないが、八十はゆうに超えているように見える。どうかこのまま体調を崩さないでくれ、と木島は切実に思った。
木島が佐伯について神楽殿へ回ると、驚いたことに三方の扉が消えて舞台は開け放たれていた。
「あれ? さっき来た時には閉まっていたのに」
木島の疑問の声に佐伯は無言で舞台を見つめている。
「椅子を持ってこい。拝殿の下にあるはずだ」
まるで勝手知ったるなんとやらだ。木島は小さく舌打ちすると、依頼主の要望に応えるべく拝殿の下からパイプ椅子を二脚持ってきた。
「まいった、蜘蛛の巣だらけだった。ほいよ」
木島は椅子の座面を首のタオルを外して拭くと、佐伯の後ろにしつらえた。
少し離れて木島も椅子に座る。ヘッドランプを消せば、境内は夕闇に沈み、足元は暗くて見えない。目の前の神楽殿の明かりが、いよいよ明るさを増したように見えた。
午後七時。
不意にお囃子が始まった。
「え、どっから?」
「タイマーで音楽が流れるようになっている」
「は?」
「毎年、八月二十五日午後七時に、例大祭の前夜に神楽は奉納される」
佐伯は短く解説したが、視線はまっすぐに舞台を凝視している。木島は佐伯のカミソリを思わせる真剣なまなざしに、一瞬背中が冷たくなった。
軽快な旋律を何度か繰り返し、横笛がひときわ大きく鋭く鳴った。笛の高い音は長く尾を引き、太鼓が次の拍を叩き始める。さっと舞台奥の垂れ幕を跳ね上げて、人影が現れた。
「な……」
神楽など、生まれてこのかた見たことがなかった木島は、あまりの異質さに身じろぎした。いや、その迫力に、その美さに目が釘付けになった。
あれは女神、五穀豊穣を感謝する舞だ、と佐伯から短く説明されたが、木島の耳には半分も入らなかった。
よく見れば、着物は独特な着方をされていた。二枚のうち上の黒い着物は上半身を脱いで帯とひもで腰回りに固定している。下の浅黄色の着物のあでやかさが映える。 二色の着物を着ているわけではないのだ。
体を翻すたびに、腰の部分で畳まれた黒い袖と、身に着けた浅黄色の袖とが揺れる。上げた腕の質感がなまめかしい。体をするりと旋回させると、真っ白な足袋が目に飛び込む。
アンドロイドとは思えぬほどの、滑らかな動きに舌を巻く。わずかに首をかしげるだけで面の陰影は変化し、まるで生きているかのように表情を変える。
なんだこれは、なんだこれは、と木島は魚のように口を開けたり閉じたりして舞台を見続けた。
「もうずいぶん前になる。人口が減少する地域の貴重な民俗芸能が消えていくのを惜しみ、記録していくプロジェクトが組まれた」
佐伯は上着の胸ポケットからモバイル通信機を取り出した。地球上からほぼ消えた通信機器だ。佐伯はモバイルを操作して、木島に見せた。
五人ほどの男女が映っている。年齢は三十から五十くらいだろうか。中の一人に佐伯を見つけた。
「左端が、わたし。その隣にいるが妻で助手のみかげだ」
言われて木島は目を見張る。佐伯とはだいぶ年が離れているように感じる。むしろ女性の左隣にいる長身の男性と夫婦といったほうがしっくりくる。
佐伯の妻はすらりとしていて、佐伯よりも背が高かった。うりざね顔に切れ長の瞳、胸まで素直な黒髪がおりている。
「きれいな人だ」
佐伯は木島の答えに満足するようにうなずいた。
「神楽を記録して、アンドロイドに舞わせる。手練れのプログラマー、第一級の人形造形師、そしてわたしのような民俗学者。産官学連携してプロジェクトを進め、月へ移住する前にとみんな急いだ」
木島から返されたモバイルの画像を佐伯はもう一度見つめてから、ポケットに戻した。
「みんな一生懸命だったよ。高い熱量があった。プロジェクトチームがまるでひとつの家族のようだった。その土地土地に伝わる祈りを、途絶えさせまいとしていた」
お囃子に低く
「全国の過疎地の神社の神楽、百か所近く。アンドロイドに舞わせる計画だった」
「百か所って、アンドロイド百体!?」
「計画だった」
佐伯はくいいるように神楽を見つめ続けている。
「人形師が途中で亡くなった。写真、さっき見たろう? 妻の隣にいた男だ。結局彼が作れたのは八体だけだ」
木島は思い起こした。背が高く、顔の彫りが深い男性がいた。まだ若そうだったが、事故か病気で亡くなったのか。
「じゃあ、あんたがわざわざ何度もこっちまで来ていたのは、人形を見るためだったのか」
「ああ。探し物だ」
佐伯は杖につかまり、立ち上がった。曲がり気味だった腰を伸ばすと、佐伯は舞台で舞う人形を目で追った。
「帰るか?」
他の便利屋がいうには、佐伯は時間をかけて不便なところへ来たというのに、神楽見物もそこそこに帰るというのだ。
なので、佐伯が帰り支度をし始めたのだと木島は思った。しかし違った。立ち上がった佐伯が動いたかと思うと、光りの輪から外れた。木島は佐伯を一瞬見失った。
突然、警告音が鳴り響いた。木島が驚き周囲を見ると、あろうことか佐伯が舞台に上がっていた。
動きを止めた人形と、人形の正面に立つ佐伯と。二人は舞台の上でにらみ合っているように見えた。
【舞台からおりてください、舞台からおりてください。これは文化庁民俗芸能保護課へと通報されます。繰り返します、舞台からおりてください】
佐伯の侵入により、事態がおおごとになっていることに木島はあせった。どこかの警備保障会社へ通報されて、いますぐ警備員が駆け付けるのではないか。
「ま、まずいんだよな?」
木島が椅子から尻を浮かせたとき、佐伯の杖が動いた。
がっ、と杖の先が直立不動の人形の面をはじいた。面は床にぶつかり、音を立てて二つに割れた。
「ちょーっっ、じじいーっ!」
警告音が一段階大きくなる。木島は舞台横の階段を全力で登って佐伯の肩を押さえた。佐伯の肩は大きく上下していた。木島の心臓も心拍数を上げている。
「なにしてんだよっ!」
佐伯は大きく息を吸い、杖を人形の顔面に向けた。木島も人形の顔を見た。
「え、これ、あんたの……」
うりざね顔に切れ長の瞳、唇にはかすかに笑みをうかべている人形の顔は、ついさっき佐伯に見せられたモバイルの画像のなかにあった。
「妻だ。亡くなった、みかげの顔だ」
言い終わるや否や、佐伯は木島の手を振りほどいた。老人の動きとは思えぬ速さで杖の上下を逆さにもち、人形の顔を躊躇なく殴りつけた。神楽殿の軒下につるされていた赤色回転灯がサイレンとともに回り始める。木島はサイレンと佐伯、どちらを止めるべきか、一瞬迷い体が左右に揺れた。
「やめろ!」
木島が佐伯に飛びついた。すでに数回殴りつけられた人形の顔は粉々に壊れた。屹立していたボディはゆっくりと音を立てて倒れた。ボディは板敷きの床を割り、痙攣したように二三度足を動かしたあと、静かになった。
「ああ……」
佐伯は長い溜息をつくと、床に足を投げ出した。
帰りの石段は長く感じた。登りとは反対に、木島が先に降りた。木島は佐伯が一段一段降りる足音に耳を澄ませた。秋の虫が鳴く中、月の光は周囲を青く染めた。湖面を渡る風がかすかに波を立てて吹いていく。
佐伯の杖は人形に叩きつけられて半分が砕けていた。杖代わりの木島の肩に佐伯の手が乗っている。
肩に乗せられた手は紙のように軽かった。
しばらくして、佐伯が亡くなったことを木島は知った。
佐伯の息子が木島の店まで訪ねてきたのだ。
「父がご迷惑をおかけしました」
佐伯の息子は、佐伯に似ず長身ではっきりした目鼻立ちをしていた。
青年は月の銘菓の入った紙袋を差し出し、背の高い体を二つ折にするようにして木島に頭を下げた。
「月に戻ってから、
これを、と息子は木島に鞄から出して見せたのは、白い破片だった。
「アンドロイドのものですよね? 脱いだ服から欠片が落ちて。父はいつまでも見つめていました」
「壊したときに、ポケットにでも入ったのかな」
木島は思わず口元を押さえた。息子がくすりと笑った。
「大丈夫です。アンドロイドに神楽を舞わせるには、メンテナンスも大変なので、ホログラムに置き換わる予定ですから」
「まだやるのか?」
「ええ。父が残した膨大なデータを無駄にするわけにはいきません。と、いっても不肖の息子は、学者じゃなく人形師をしていますが」
照れたようにして頭をかく青年の顔を、木島はじっくりと見た。木島の中で、バラバラだったものが一つになるような気がした。
なぜ、佐伯はアンドロイドを壊したのか。
なぜ、人形師はアンドロイドの顔に佐伯の妻の顔を選んだのか。
なぜ、佐伯の息子は、佐伯に似ていないのか……。
「あの、何か?」
無言でいる木島を奇妙に感じたのだろう、佐伯の息子が腰を屈めて木島の顔を覗き込んだ。
「いや、なんでもないんだ」
木島は取り繕って笑ってみせた。
そこで話は終わり、彼は丁寧にお辞儀をして去っていった。
木島は事務所の戸口で、佐伯の息子が乗ったボートを見送った。
たぶん、佐伯は何もかも分かっていながら子どもを育てたのだろう。いまどき、遺伝子の親子鑑定なんてすぐできる。それでもなお、息子を手元に置いた。そして息子も、たぶん分かっている。
なかなかに見上げた親子だと、木島は思った。
我が子を残せぬことを、虚しくはないかと木島に尋ねたときの、佐伯の口調には皮肉めいたものは含まれていなかった。
虚しくはないね、あんたもそう悪くないと思っていたんだろう。木島は小さくなる小舟を見つめて思った。
時として空虚に感じられるものはあるだろう。ゆっくりと終わっていく地球においてはなおのこと。
例えば誰も行くことがない場所、例えば血のつながりのない子ども。
「まあ、それはそれでいいのかも知れないけどな」
木島は足元に来たキジトラ猫を抱き上げた。目をつぶり、湖面を吹き渡る風を思い出してみた。
アンドロイドが足を踏み出し、扇子を広げた時に感じたおごそかな何かを、木島の肌は覚えている。
誰も訪れない朽ちかけた神楽殿で、見る者がいなくとも奉納され続ける神楽に意味はあるのか。
――意味はある。あれは、祈りだ。
佐伯なら、そう答えただろうか。
女神の領域 たびー @tabinyan0701
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