バルーンアートの幽霊

 昔、テレビに奇妙な映像が流れていたのを思い出した。

 街中に巨大な人の頭が浮かんでいるというものだ。

 色はモノクロで、表情もどこをみているのか、虚無そのもの。

 どうやらとある芸術集団による『バルーンアート』の一種らしい。

 変なことを考えるやつもいるもんだなぁ、と思った記憶がある。


 どうしてそんなことを考えているかというと。

 ちょうど今朝、自宅を出てすぐのところで、少し遠くの公園のあるあたりに人の顔をした『バルーンアート』が浮かんでいるのを見つけたからだ。

 記憶と違うのは、風船に描かれているその人間の顔くらい。

「……なんだありゃ」

 ついて出たのはそんな言葉で。

 ポカンとしていると、近所でよく話をする老人が声をかけてきた。

「山梨さん、おはようございます。おや、どうしました?」

「あ、佐々木のおじいさん。あれ、なんですかね?」

 そう返しながら、俺は例の『バルーンアート』を指差した。

 佐々木さんは俺が指差したほうに顔を向ける。しかし。

「あれ、とは?」

「いや、ですからアレですよ、アレ! あの空に浮かんでる!」

「空……は、よく晴れてはいますけど」

 佐々木さんはよく分からない、という顔で首を傾げた。

「え、あの。人の顔みたいな、たぶん風船だと思うんですけど……」

「いやー、ちょっと分からないですねぇ」

 そんな馬鹿な。

 見間違えようもないくらい、いつもの風景の中に紛れた巨大な違和感だというのに、分からないなんて。

 困惑していると、ゴミ出しに出てきた近所のおばさんが声をかけてきた。

「おはようございます。どうしました、二人して」

「ああ、林さん。山梨さんが、空に何か浮かんでるというんだけど」

 佐々木さんが答えながら、俺の指した方向を指差す。

 言われた林さんがそちらを見たが、佐々木さん同様に首を傾げた。

「えー? 何かある? 特に何も変わったところはないけど……」

「……そう、ですか」

 どうやらあの奇妙なバルーンアートは俺にしか見えていないらしい。

 その場をとりつくろい、俺は会社に行くため駅に向かう。


 駅に向かう道すがら、チラリと公園のほうに視線を向けると、巨大な無表情がこちらを見ている。

 近所の知り合いに会うたびに、さりげなくあのバルーンアートについて聞いてみたが、誰にも見えていないのか、みんな首を傾げるだけだった。

 アートじゃなければ、やはりお化けや妖怪の類だろうか。

 それにしても、なんて嫌な顔をしてるんだ。


 だってあの顔は、先日俺が殺した同僚・栄川と同じ顔じゃないか。


 浮かんでいる場所も良くない。

 だってあの公園にある池に死体を捨てたのだから。

 お化けになっているということは確実に死んでいるし、騒ぎにもなっていないならまだ見つかってはいないのだろう。

 なんせ今日もアイツが無断欠勤を続けているからと、仕事の穴埋めのために早く出社する羽目になったのだから。

 とはいえ、いやではない。

 元々は俺が担当するはずだったプロジェクトなのだ。

 アイツが横取りしたせいで、俺のものじゃなくなっていたのが元に戻っただけなのだし。

 恨めしそうな顔で見ていればいいさ。

 そんなことを考えながら俺は電車に乗り込んだ。


 それからずっと、あの同僚の顔をしたバルーンアートの幽霊は浮かんでいた。

 朝起きても、夜遅い時間に帰宅しても。

 公園のあるあたりの空中に、写真をモノクロにして引き伸ばしたような顔は無表情でそこにある。

 しばらくして、栄川が公園の池から遺体となって発見され、公園のあるあたりは騒がしくなった。

 俺も軽い事情聴取も受けたが、アリバイも証拠隠滅も完璧にやったおかげか、容疑者にすらなっていないらしい。

 そうだ。おれが捕まることはない。

 しかしそれでも変わらず、バルーンアートの幽霊はそこにあった。

 不思議なのは、だれ一人として気付かないということ。

 やはり、俺にしか見えないのだろう。


 数日後、葬式をするというので栄川の家に向かった。

 ちょうど公園を通り抜けた向こうにあるので、せっかくだからバルーンアートの幽霊を近場で見ていってやろうと、公園の近くを通った。

 池の周辺は黄色いテープが貼られていたので、大きく迂回する形で公園を通り抜ける。

 ちょうどそこはバルーンアートの幽霊の真下だったので、都合が良い。

 真下からそっと見上げてみる。

 繋ぎ目のようなものは見当たらないので、やはりお化けの類だと確信した。

 しかし、まぁ。これから葬式である。

 それが終われば、そのうち消えるだろう。

 俺はひっそりと心の中で笑いながら栄川の家に向かった。


 葬式が終われば消えるだろうと思ったバルーンアートの幽霊だったが、奇妙な変化が起きた。

 なんと葬式の翌日から、少しずつ俺の家に近づいてきたのだ。

 今では俺の家の真上にいる。

 なんてことだ。とっとと成仏しろよ。

 プロジェクトは問題なく俺が進めているから、心配事なんてないだろ。

 ああ、殺したから恨んでるのか?

 恨まれるようなことを先にしたのはそっちなのに。

 そんなふうに思いつつも、俺は日に日に憔悴し始めていた。

 外に出ると恨めしい顔が見下ろしてくるんだから、気も滅入る。

 どうしたらいいんだ。


 さらに数日。

 マンションの真上に浮かんでいたバルーンが、俺の住む部屋の辺りにまで高度を落としていた。

 窓の外をみると、アイツの顔がある状態。

 耐えきれなくなった俺は、携帯電話を手に取ると電話をかけた。


「やはり、犯人は山梨さんでしたね」

 取調室で、刑事はニコニコと笑う。

「わかってたんですか」

 俺が不貞腐れた声で言っても、刑事の笑顔は変わらない。

「──栄川さんの顔の、バルーンアートですよ」

「は?」

「あれはね、真犯人を炙り出すために、芸術集団のみなさんにご協力いただいて上げていたんです」

「で、でも! 近所の人も周りの人も見えてないって……」

「ああ、容疑者になっていないみなさんにも協力してもらってね、見えないふりをしてもらっていたんですよ」

 刑事によると、栄川が行方不明になった時点で、死体の場所も犯人も分かっていたらしい。

 俺のアリバイが完璧で証拠も見つけられなかったので、犯人に自主してもらえるよう、栄川の顔のバルーンアートを飛ばしたらしい。

 なんともまぁ、思い切った方法だろう。


「まぁ、あなたにまだ良心があったようで、よかったですよ」

 刑事はニコニコと、最初と変わらない笑顔のままでそう言った。

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意味不明小説集『羊の匣』 黑野羊 @0151_hitsuji

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