手紙を届けて

南村知深

 

 放課後の図書室はいつも静かだ。

 大した蔵書量でもなく、珍しい本があるわけでもない。話題にのぼるような新刊も入荷するのは半年後、しかも一冊か二冊だけ。勉強するにもフリースペースが狭いので、利用する生徒はほとんどいない。

 そんな人気ひとけ人気にんきもない図書室に、わたしは一人でいる。紙の本が好きだからということもあるけれど、単純に図書委員の貸出かしだし業務のためだ。

 もっとも、高校に入って図書委員になってから一年と少し経つが、貸出業務を行ったのは片手で数えるほどしかない。今どきはスマートフォンなどで簡単に調べものができるし、本が読みたければ電子書籍がある。図書室に来る人が皆無とは言わないが、流行はやりでもない古い本を借りていくような人はほとんどいないのだ。

 そんな無人の静かな図書室で、古い紙とインクの匂いに囲まれ、わたしは本を読んでいる。



 その日の放課後は、珍しく図書室にわたし以外の人がいた。

 同じクラスのばたくんだ。明るい性格の彼と大人しい性格のわたしではタイプが違うので話したことはないが、入部直後からサッカー部のレギュラーを外れたことがないという運動能力を誇るさわやかイケメンで、全校女子に人気があることくらいは知っている。わたしにとっては別世界むこうがわの人物なので興味ないけれど。

 江端くんはしょの間を何度も行ったり来たりしていた。探している本が見つからない――というふうでもなく、書架を見ながら時折ときおりわたしのほうにチラチラと視線を向けてくる。まるで書店員に万引きしているところを見られないかと警戒するような雰囲気だ。

 控えめに言って、すごく怪しい。

 けれど、江端くんが本を盗むなんてことはない(盗む価値があるような本もない)だろうから、気にしないことにして手元の小説の続きに戻る。

 それから少し経って。


「あの、ほんじょうさん」


 かけられた声に顔を上げると、江端くんがカウンターの前に立っていた。貸し出しにしては本を持っている様子もなく、探している本が見つからなくて訊きに来たわけでもなさそうだ。いつも友人たちと楽しそうに話しているときの笑顔はりをひそめ、思いつめたような表情で微妙にわたしと視線を合わせないように斜めを向いている。


「……?」


 いったい何の用だろう、と首を傾げていると、江端くんは意を決したように制服のポケットから封筒のようなものを取り出してカウンターの上に置いた。

 それには宛名が書いてあったので、すぐに手紙だとわかったが――


「本荘さん、みずさんと仲がよかったよね。それで、この手紙を届けてもらいたいんだけど、頼めないかな……?」


 江端くんは顔を真っ赤にしながらそう言った。

 水居美音みおは隣のクラスの女子で、友人のいないわたしが会話をする唯一と言っていい人物だ。彼女もクラスに仲のいい人がいないので、普段は一人で教室の隅の席からぼんやりと窓の外を眺めていることが多い。と言っても孤立しているわけではなく、話しかけられたら誰にでも普通にこたえるので悪印象は持たれていない。

 ついでに言うと、美音は十人並みなわたしと違ってかなりの美人だ。だからそうしてものげにしている姿が非常に絵になると評判で、無口でクールな印象とあいって彼女に強くかれる男子は少なくない。

 どうやら江端くんもその一人のようだ。


「いいよ。今日はもう美音は帰っちゃってるから無理だけど、明日にでも渡しておくね」

「ありがとう。ごめん、変なことを頼んで」

「気にしないで。


 そう答えて手紙ラブレターを預かる。

 わたしが美音との橋渡しを頼まれた回数は、一年間でこの図書室から貸し出される本の数よりもずっと多いだろう。美音を呼び出してほしい、連絡先を聞いてきてくれないか、自分のメッセージアプリのIDを渡してほしい……等々、数えれば枚挙まいきょいとまがない。


「本当にありがとう、本荘さん」


 何度も礼を言って、江端くんは図書室を出て行った。わたしはこんな光景を何度も見ているので、感謝されて嬉しいとか、今ではそういうものはなかった。

 ただ、江端くんのように手紙をたくされたのは初めてだった。スマートフォンのメッセージアプリやメールでのやりとりが全盛ぜんせいの今、古典的な手紙を使うというのが珍しい。ましてサッカー部のレギュラーという今を輝く華々はなばなしい感じのする江端くんらしくない気がして、預かった手紙が妙に重く思えた。

 美音もこんなアプローチを受けたことがないだろうし、どういう反応をするのか……それが少し気になった。



 翌日の朝、一時限目が始まる前に隣のクラスを訪ね、相変わらず窓の外を見つめていた美音に図書室での経緯いきさつを話して手紙を渡した。

 美音は「ん」と小さく返事をして、受け取った手紙を一瞥いちべつしただけでバッグに入れて、気だるそうに頬杖をついた。


「手紙は初めてだよね」

「そうだね」


 興味がないと言わんばかりの曖昧あいまいな返事。

 だった。アプローチの方法が違っていても美音は美音のままで、少しくらいは慌てたり動揺したりするかと期待していたのがからりに終わった。でも、そうなるだろうと確信に近い予想をしていたから残念だとは思わない。


おり、これの返事はいつまで?」

「読んでもないのに返事の心配は早くない? 読む気ないの?」

「読むよ。きちんと読んで返事する。それが私に好意を持ってくれた人に対する最低限の礼儀でしょ」

「美音はそういうとこ、ちゃんとしてるよね。偉い偉い」

「ありがと、褒めてくれて」


 ふ、と小さく笑んで、美音は照れ隠しするように窓の外に顔を向けた。



 放課後。

 今日もわたしは図書委員の仕事で貸出カウンターに座っていた。相変わらず利用者はなく、しんと静まり返って耳が痛いほどの無音に満ちている。グラウンドで部活に励む運動部の声も、校舎の端にあるこの図書室までは届かない。

 だから、この部屋に向かってくる廊下の足音がよく聞こえるのだ。

 それがであれば、なおさらよくわかる。


「いらっしゃい、美音」

「うん」


 引き戸を開けて入ってきた美音に声をかけると、彼女はうなずきながらカウンターの前を通り過ぎてフリースペースの机についた。肩にかけていたバッグから購買部で買ったらしいレターセットを取り出し、カチカチとシャープペンシルをノックして便箋びんせんの上を走らせる。

 江端くんの手紙の返事を書いているようだ。


「…………」


 返事の内容はすでに決まっているらしい。それをただ文章にするだけという感じで美音の手がよどみなく動き続けている。迷いもまどいもない。

 のだろう。

 今まで一度だって、美音は男子の告白にうなずいたことがない。理由は「興味がないから」の一言。

 正直もったいないと思うこともあるけど、当人にその気がないのだからわたしにはどうしようもない。


「これ、ざきくんに渡してくれる?」


 十数分で書き上げた手紙を封筒に入れて、カウンターに置く。興味がないからと言っても相手の名前を間違えるのはどうかと思う。


「美音、『江崎』じゃなくて『江端』だよ」

「え?」


 指摘されて慌てて封筒を開けて、便箋を広げる美音。

 どうやら便箋には間違わず『江端くん』と書いていたらしく、ほっと胸をなでおろした。

 何事もそつなくこなす美音にしては珍しいミスだ。


「手紙を書くのに慣れてないから、変に緊張しちゃったよ」

「まあ、今どき手書きでっていうのは少ないよね」

「メールもメッセも、なんならレポートもスマホやパソコンで書くからね。……だからかな、なんだろう、手紙もメッセとかメールとかと同じ文章の表現でしかないんだけど、人の手で紙につづられた文字って不思議な何かがあるように感じるのよね。江端くんのことは何も知らないのに、手紙を読んでると、文字の形や大きさ、書き方のクセなんかで彼の為人ひととなりがわかる気がした。告白にこの方法を選んだ江端くんのセンスは悪くないと思ったよ」

「それで名前を間違えるのはどうなの?」

「それはごめん。ちょっと他に考え事をしてたから、つい。でも、手紙って私が思う以上に人の気持ちが込められているものだって初めて知ったよ」


 言って、感心したような、新しいことを知ることができて嬉しいというような、少しはにかんだ笑顔を浮かべる。


「じゃ、お願いね。紫織」

「……もう帰るの?」

「うん。ちょっと用があるから」

「そっか」


 預かった手紙を足元のバッグにしまって、美音に手を振る。

 それに応えながら引き戸を開けて、


「案外いいね、手紙って」


 そんなことを言いつつ、美音は図書室を出て行った。



 翌日。

 美音からの返事を期待と緊張で震える江端くんに渡し、わたしは役目を終えた。

 隣のクラスを訪ねてそのことを報告すると、美音は教科書とノートを開いてせわしなくペンを走らせながら「ああ、うん、ありがとう」と上の空で返事した。次の授業で提出しなければいけない宿題が出ていたのを忘れていたらしい。美音にしては珍しいことだ。

 邪魔になると良くないので、おしゃべりはやめて早々そうそうに辞することにした。



 放課後になり、いつも通りわたしは図書室の貸出カウンターで読書をしていた。

 変わったことと言えば、部活が始まる前の時間に江端くんが訪ねてきて、お礼を言ってくれたことだろう。ふられてしまったというのに落ち着いた雰囲気で、この様子だと美音に付きまとったりすることはなさそうで一安心だ。

 これだけ気遣いができる彼なら、きっとすぐにお似合いの彼女が見つかるだろう。そうあることを願っている。


「……?」


 江端くんが帰ってしばらくして、聞き覚えのある足音が近づいてくることに気がついた。

 美音だ。しかもちょっと早足気味だった。

 何か急ぎの用でもあるのかな、とぼんやり思いながら待つ。

 ややあって、すりガラスに人影がうつり、がららっ、と引き戸が勢いよく開いた。


「いらっしゃい」

「ん」


 わたしの声に短く返事して、美音は小走りにカウンターの前にやってきてわたしをじっと見つめた。よほど慌てて来たらしく、少し顔が赤いし、若干興奮しているような感じだ。目つきもなんだかいつもと違う。


「どうしたの? 美音がんで図書室に来るなんて珍しい」

「紫織に頼みたいことがあって」

「わたしに?」


 わたしが美音に頼み事をすることは多々あれど、美音から頼まれることはあまりない。ますますもって珍しい。

 それだけ切迫せっぱくしたことが起こったのだろう。協力しない手はない。


「いいよ。何をすればいいの?」

「この手紙を届けてほしい」


 肩にかけたバッグから封筒を出し、カウンターに置く。あては書かれていない。

 また誰かから手紙をもらって、その返事を書いたのだろうか。手紙で告白するのが流行はやり出しているのか?


「相手は誰?」

「裏に書いてあるから。絶対に届けてね。じゃ、よろしく」


 と、美音は言いたいことを言って、そそくさと部屋を出て行った。


「…………」


 彼女らしくない慌てた態度もそうだが、ぎわの恥ずかしそうな顔が妙に気になる。この手紙を届ける宛先は、美音をそんなふうにしてしまうような相手なのだろうか。

 少しためらってから、美音が置いていった封筒を手に取る。

 心臓がいつも以上に強くどうを刻み、静かな図書室全部に響き渡るようだった。

 なんとなく。裏返すのが、ちょっと怖い――


「…………」


 何度か深呼吸を繰り返し――意を決して裏を見る。


 ――ほんじょうおり 様――


 宛名はだった。

 自分でも驚くほど長いあんのため息が漏れた。


「もう、何のつもりなの……」


 普段はこんなことをしない美音に怒りながら封筒を開ける。中には便箋が一枚だけ入っていて、その中央にたった一行、美音の字が綴られていた。



 『紫織  好きだよ 大好き。』



 と。


「……まったく……」


 便箋には何度も書いては消しを繰り返した跡が残っている。たぶん、宿題そっちのけで一晩中かかってわたしに手紙を書こうとしたのだろう。

『江端くんの告白は断ったから』『心配しないで』『私は紫織が一番だから』

 そんな言い訳めいた言葉の痕跡が便箋の半分以上を埋めていた。相手の気持ちが手紙だとよくわかる、とわたしに話したときに江端くんを褒めるようなことを言って、わたしを不安にさせたと思ってのことらしい。

 だけど何を書いても納得できなくて、不安で、いっぱい書いて、いっぱい消して――結局この一言だけになったのだろう。


 可愛いことをするなぁ……は。


 ふふ、と思わず笑みがこぼれる。

 わたしはそんなことで美音の気持ちを疑ったりしない。誰かが美音に告白するときの橋渡しをしても、美音がわたしを疑わないのと同じ。


「…………」


 もう一度、手紙を見る。

 美音らしいまっすぐな言葉だなと改めて思う。

 メッセージアプリで。あるいは彼女自身の声で。

 今まで何度となく、わたしは美音から「好き」と伝えてもらっている。

 けれど、大きな便箋の真ん中に、美音の手で、美音にしか書けない字で綴られたたった一行の言葉が、わたしの気持ちを大きく揺さぶる。

 なさすら感じる短い言葉なのに、美音がわたしのために書いたというだけで、これまでよりもずっと……泣いてしまいそうなほど嬉しい。


「案外いいね、手紙って」


 美音がそう言った意味が、この瞬間にわかった気がする。



 だから、わたしも同じように手紙を書こうと思う。

 美音を想って、気持ちを込めて。

 わたしらしい、ちょっと持って回った言葉で。



 『わたくしも、他の誰より貴女あなたを心からお慕いしております。』



 その一行だけをしたためて。




       終

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手紙を届けて 南村知深 @tomo_mina

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