忘れないで

 気付けば、店の中だった。


 手には、本を持ったままだった。

 ページは開いている。文字が綴られていたが、日に焼けたせいか、かすれたように薄い。かろうじて漢字とひらがな、日本語だと分かる程度だった。


「その本に書かれていた物語は、忘れ去られ消えようとしているの」


 振り向けば、カウンターの少女が立ち上がっていた。

 貴方は驚き、後ずさった。

 立ち上がった少女の背に、蝙蝠のそれを大きくしたような羽根が生えていたからだ。

 少女の左右に広がるそれは、小さく震えている。機械でも作り物でもない、生々しさを感じた。


「貴方が探し出し、覚えていてくれれば、その文字は蘇る」


 少女の赤い瞳がほのかに光っている。貴方は恐怖し、さらに後ずさる。

 背中に扉が当たる。

 扉が押し開き、貴方はそのまま店の外で転がり出てしまう。

 地面に尻を打ち、痛みに顔をしかめる。


 見上げると、そこに店はなかった。

 ガラス張りのブティックと、コンクリート打ちっぱなしの現代風な無国籍料理店の間には、僅かな隙間があるだけで何もない。


 貴方は驚き、周囲を見回す。

 しかし、あのアンティークな店を見つけることが出来なかった。


 夢だったのか。


 そう思い、貴方は首をふる。


 ──忘れないで、私たちを。想像を創造する物語があったことを。


 少女の声が、聞こえた気がして、貴方は振り返る。

 だが、やはりそこには何もなく、ただ街の喧噪だけが聞こえてきていた。



─── 了 ───

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霧の中の遠き書架 青村司 @mytad

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