ゆりかごから墓場まで。私は、コウテイと母と一緒に旅をする。

 吾輩は、君の笑顔を目にすると、胸が苦しくなる。どうか、勘違いしないでほしい。これは君の笑顔に対して、ではなく君の笑顔の裏側に隠れた病気をきっと見てしまうから。それを押し殺してまで、君が吾輩に笑いかけてくれるからなんだ。
 理由 というプラカードでもその辺に落ちていればなんの苦労もないのだが。だが、吾輩はなんとしても探しだしてみせるぞ。

 唐突に私の目の前に現れたコウテイ。せめて、何かしらの前兆だとか、前触れだとか、そんなワンクッションを挟んでほしい。コウテイ(工程)だけに。私の記憶を嗅ぎまわっている宇宙ペンギン。記憶を嗅ぎまわるくらいなら、マカロニグラタンをひっくり返して臭いを思う存分嗅がせてやろうか。なんて、罰当たりな妄想は心の内に秘めておく。あるいは〇次元先の世界へ放り投げておく。おっとこれは失礼、母の記憶でしたか、皇帝殿。
〝なぜ捜しているかを探している〟のか答えを知っている なんてどこか命題めいているけれども、記憶にないものはどうやっても思い出せない。悪魔の証明だ。どうしても思い出せと、残して消えたけれども……。どこか宿命めいた宿題(略して命題)を出されたようで、どうにも首を傾げざるを得ない。ペンギンのように。
 生活には何不自由していない。だからこそ、不意にかけられるリアム兄さんの一言にはドキリとする。それは図星だからか、それとも身なりを誉められた嬉しさからか。質問に質問で返すのは失礼とわかっていながらも、この顔の火照りを冷ますには致し方ない。

 吾輩にできることはない。確実に死をもたらす病では、手の施しようがない。不謹慎であることを先に詫びておくが、私には手すらないのだから。上下に動かすフリッパーでは、人間以上にしてやれることはない。……いや、そこまで感情移入するのもおかしな話なのだけれど、なぜか君は例外で。
 その儚い声で、「今日は早くからいらしてたのね」なんて語りかけるでない……。そなたは人なのだろう? まだ希望を捨てるな! 夢を持て! ほら、「人」に「夢」と書いて「儚い」読むではないか! だからその言葉には夢を乗せろ!
 子は宝だろう! そのお腹に大事に大事に育てている宝がすやすやと寝息を立てているのだろう? 夢に宝に人間は実に素晴らしいものを持っている! みっともなくてよい! みっともなく何かに縋ったとして、その夢も宝も価値を失うというのか! 否! 決してそんなことはない! 吾輩が保証する! あぁ「人」が「呆」けると書いて「保」か。だが、吾輩の「言」うことは「正」しいと「証」明させてやるぞ! 絶対だ!
 この鍵で未来という扉を開けるんだ!

 現れた一言目から、偉そうな態度全開で、温室の温度以上に私のボルテージが上がりそうなのだけれど、グッと我慢して語りだす昔話。
 命を賭して、命を産み落とした母。このたくさん溢れているのはあれだ、汗だ。きっとそうに違いない。しかし、私の上がり切ったボルテージも温室の温度設定には敵わなかったなぁ……。それでも、コウテイは確保したんだけれど。……頭に乗せたハンカチがドクターストップで投げ入れられるタオルみたいに思えて、ならこの温室はリングだったんじゃないか……なんて妄想し始めてしまったから、そろそろクールダウンの時。さすがに死体蹴りする趣味は私にはない。……いや、死んでいるかはわからないけれど。

 全てが適切に管理されたこの街……とは言えなくなってきた……。
 セントラルへ行こうとする私を止めるリアム兄さん。その言葉を今聞くと、まるでその顔と同じ、黒い色を乗せているように感じられる。何を考えている?
 ハウンゼルさんも夫人もおかしい……。いや、初めからおかしかったんだ。バイオボットなんて、無機質な手触りのひんやりとした金属と変わりない。ほら、キーンって音がした……?
 復活したコウテイに手を引かれ、セントラルを通過し、火星基地のドームが眼下に広がる。それらを取り囲むように広がる、お墓。私にも、いずれ眠りの時が訪れるのだろうか。

 吾輩は君に託したんだぞ! 托卵というやつだ! いや、違う! 託卵だ!
 これも違う! もともと君がその身に宿している命だ。だから吾輩は元々君に託してはいない。赤子の隣にいて育てるというバトンは渡したかもしれないが。
 くそっ。なんでこんな時に降りてくるのだ……。WISH。あぁ、なんと情けない。こんなことまで忘れてしまっていたとは……。
 そうして君は、吾輩に最後の言葉(WISH)を託してくれたのだな。前言撤回だ。これはまさに「託卵」だ。しっかりと温めさせていただこう。この宿命のような宿題を。
 そうやって、受け取った「命題」を吾輩は捜し続けた。そして、その長い長い旅路の果てにようやくその答えにたどりついたのだ。

 旅の終着点にして、すべてが収束する場所、教会。そこに感じる温もりは間違いなく母のものだった。そこにいる。
 あんな偉そうにしていたのに、滑稽だと笑う人はここにはいない。だから私はただ、コウテイに聞いた。
 コウテイはまるで私の言葉をフリッパーではじくように。あるいはほんの少しキザに。でも、そんな言葉を言われたら、私はほんの少し母に妬いてしまうのだろうか。

 長い長い時間が過ぎて。
 私は、再び火星へ行く。春風がきっと父の元まで言葉を届けてくれると願って。