54.王都への旅立ち
「……よし」
まだ肌寒さを感じる夜明け前。俺はガルシアに貸してもらっていた鍛冶場を出て伸びをする。革製のエプロンを脱ぎ、リネンのシャツを整えれば、軽く自身の手持ちを確認した。
「残ったのは、これだけか」
俺はそう言って見たのは、ラスティからもらったレッドピノだった。体にいいからとなし崩し的に渡されたものだ。最後に手元に残ったのが葉っぱだけとは、笑えばいいのやら悲しめばいいのやら。ラスティのよく分からない気遣いに、俺は思わず笑みを溢してしまう。
「はぁ、武器もなければ、身銭もない……やれやれ、とんだマイナスからのスタートだ」
俺はレッドピノを巾着袋に押し込めると、ざくざくと地を踏みながらバーモット村の中央通りを歩く。
まだ太陽が昇るには時間があるためか、村はいやに静かである。時折、風が靡く音が耳に入るだけで、生物の息遣いは聞こえてこない。
王都を追い出された時と似ていると思った。あの時は詠唱師たちに放り出され1人で出立ちをしたんだっけ。
村の入り口まで歩くと、俺はふと振り返る。
王都を追い出された時と同じように。
けれど、今回は鬱屈とした感情は微塵もなかった。どころか晴れ晴れとした気持ちさえある。
「……短い間でしたが、お世話になりました」
俺はそう言って一礼した。
一宿一飯を与えてくれただけでも、俺にとってこの村は十分に恩義ある場所だ。下手に巻き込みたくはない。呪いを解呪するために俺に協力したとなれば、あのイドヒが何をしでかすか。癇癪だけで、山を軽く吹き飛ばすような奴だ。情緒が狂って、村民全員を虐殺するなんて言わないとも限らない。
ならばこそ、俺はここで身を引くのが最善だろう。これ以上、俺と関わって彼らに何かしらの利益があるようには到底思えなかった。
ラスティにもよからぬ影が迫っている。あの魔狼がなぜ俺に
「……別れの言葉はなしだ、ラスティ。全部終わったら、また会いにくる」
俺は最後にそう言って、村を出た。
あの娘の目的を果たせてやれなかったことは正直に申しわけないと思っている。
けど、あの娘が王都に入る時、何もそれが動乱の真っ只中である必要はない。俺がイドヒとの因縁を全て終わらせたあと、堂々と迎えてやることこそが、彼女の本当の目的とやらに繋がるだろう。
少なくとも、俺はそう信じている。
⬛︎
バーモット村を経って、7時間が経過した頃。すっかり日も登り、日照りの暑さが体を襲う時間になった。
そんな時、俺はコークシーン地方の主要城塞都市ユステメイトの前にいた。
「どうしたもんかねぇ……」
なぜこんなところで油を売っているのかというと、それには海よりも深く、空よりも広い理由があった。
最初の3時間ほどは、俺も順調に王都へ向かっていた。時々、武器になりそうなものを探しながら、食料を見つけたりもして、そのままマトークシの森を抜けたのだ。
しかし、街道へ出てみると、普段はないはずの陸路規制が掛けられていた。何事かと思えば、どうやら先日の天災やらで、コークシーン地方の街道が一部一時的に封鎖されてしまっているようなのだ。
全くもって運がない。
俺は吐きそうになったため息をグッと頃えて、天を仰ぎ見る。正直、道を封鎖されているだけであれば、他のルートを探せば済む話だった。
しかし、残念ながら俺は追加の不運に見舞われたのである。
「悪いねぇ……私なんかをおぶってもらって……」
「いやいや、困ってる時はお互い様ですよ、おばーさん」
「本当に助かるよ。うちのばーちゃんは足が悪くてね。僕が担いであげられればいいんだけど……不甲斐ない。この大移動だと僕も体力的に厳しかったようだ」
俺は背中におばーさんを背負いながら、隣で優しい面持ちの男性が礼を言うのを、やんわりと受け止める。
思い出すのは、街道に出てある程度走った時のこと。いきなり目の前で地に倒れ伏す男と、その上に乗っているおばーさんという不思議な絵面を目撃してしまったのである。
流石にそんな光景を素通りできるわけもなく、俺は足を止めて話しかけてみれば、どうも彼らは主要城塞都市ユステメイトを目指して大移動しているのだとか。
俺は数時間前のことを思い出しながら、ふと周りを流し見る。いつの間にか、俺たちの周りには総勢100人ほどの群衆が出来上がり、街道を大移動していた。歩いている人間たちは老若男女問わず、誰も彼も疲れ切った顔をしており、荷物もそこそこに多かった。
別に王国でこういった光景が日常茶飯事なわけではない。帝国との戦争時であれば見かけることもあったが、ここ数年ではめっきり見ることがなくなった光景だろう。
一体全体、なんの騒ぎなのかと聞いてみれば、俺の胃を痛くするような回答を返されたのを覚えてる。
『何って、あんた知らないのかい? 先日起きたフリーディ山脈爆発の影響で、皆んな避難してるのさ』
ああ、知っているとも。この場にいる誰よりも思い当たる事柄が俺にはある。
イドヒによって暴走させられた火竜の破壊は、どうやら思いのほか、深刻な影響を出してしまっているようだった。生態系より前に、まさか人間の生活圏に影響が出るとは。バーモット村が普段通りだったせいで、完全に油断していたな。
「それにしても、あんたたちは周りの人と比べても、かなりの距離歩いてるだろ? もっと近い都市があったんじゃないか?」
「んー、その通りなんだけどね。私たちは避難に出遅れてしまった人間なんだ。自然と近隣の受け入れ先は満杯になる」
そう言って男は困ったように頬を掻いた。
俺に背負われているお婆さんが、「すまないねぇ」と小さく謝罪の言葉を流す。
きっと、このおばーさんを連れて大移動できるか、最後まで踏ん切りがつけられずにいたのだろう。そう思うと、俺は男の判断の遅さが悪いこととは思えなかった。逆に謝るべきなのは、不躾に踏み込んだ俺の方であろう。
「すまん、余計なことを聞いた」
「いやいや、そんなことはないよ。別に気にしいてないさ。ばーちゃんも私のせいだなんて思わないでくれ。僕の判断が遅かっただけなんだから。それにほら、もう着きそうだ」
男がそう言って指を指すと、確かに難民を受け入れるために設けられた関所が、もう目と鼻の先にあった。
他の者たちもようやくゴールに辿り着けたという安堵からか、口々に声を出し始めている。さっきまで、会話することすら億劫なように見えた人たちが、元気を取り戻してきたようだった。
俺たちの存在に気がついたのか、関所から何人かの男たちが出てくる。
装束をみたところ、やはりこの関所に駐屯しているのはコークシーン騎士団の騎士らしい。
はぁ、やっぱりこうなるよな。
難民の受け入れも、その都市に駐屯している騎士の仕事の一つだ。だからさっきから気が重くてしかたなかったのだが、されど今更おばーさんをおいていけるはずもない。
しょーがない、ここまで来たら逆に堂々としてやろう。
今の俺は騎士服も身にまとっていないんだ。どうせバレないだろ、の精神で突っ切ることにする。
「そこの者たち、止まれ! 1人ひとり照会していく! 呼ばれた者から順次、奥の部屋に入れ!」
騎士らしい高圧的な態度で男はそういうと、俺たちをぐるりと見渡した。
誰から通すのか吟味しているようだ。
できれば、体力がギリギリの者から案内してやってほしい。早く都市内にある避難所で休憩させてやってくれ。
俺が内心でそう願っていると、しかし予想に反して、なぜか騎士は俺と目が合った。
「よし、貴様からだ」
「え、俺?」
「そうだ。早く入れ」
筆頭の騎士がそういうと、他の下等騎士たちが俺を取り囲むようにする。
あからさまに周りにいた人たちも落胆の声を漏らした。
「……ちょと、待ってください。俺はまだ元気がある方だ。それより、背中にいるお婆さんや、他の疲れている人たちを先に――」
「つべこべ言わずに入らんか! 貴様のその愚図さが、もっとも他の者たちの負担になると分からのか、馬鹿め!」
「…………はいはい」
ここは諦めて言う通りにするべきだろう。騎士というのは我儘で、自意識が強く、高慢ちきな者が多い。下手に逆らって後続の人たちの不利益になる方が、俺としては不本意だ。
俺はお婆さんと男に「すまん、先に行かせてもらうよ」と言って、下ろす。
お婆さんと男は「別にいいさ」「君も疲れているだろう。先に中に入って休むといい」と心優しい言葉を投げかけてくれた。
本当に申し訳ない。
「さぁ、こい!」
「(さて、適当に嘘ついて追い出されるわけにもいかなくなったな)」
俺が一発目になってしまったせいで、後続の彼らに迷惑をかけられなくなった。
一番最後だったら、「流れに乗じて入ろうとした浮浪者」という位置付けもできたのだが、流石に一発目でそれをやれば他の人たちが同じ懸念を持たれかねない。本当に難民なのに、変に疑われて受け入れ拒否されるのは避けるべきことだ。
奥の部屋に連れられる中で、俺は頭の中で色々と答弁の内容を考える。
どうすれば難民のふりができるか。
ここはあえてバーモット村からの難民を演じてみるのはどうか。
どれもこれもうまくいきそうで、うまくいかなさそうである。
一体どうしたものか……。
そう思っていると、どうやら奥の部屋に着いてしまったらしい。
俺を連れていた騎士が「入れ」と一言もらすと、扉を開け放たれた。
「おやおや、これはお久しぶりですねぇ」
その部屋には、胡散臭い雰囲気を纏った、糸目の騎士が待ち構えていた。
【お前、令嬢とヤっただろ】←は? 冤罪追放された元平民の騎士、世界で2人目の魔女に懐かれます アララキアラキ @harukasa-666
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