53.ラスティという名前の意味




「ラスティ、湯加減はどうだー! 熱くないかー!」


 鍛冶場にいる俺は、隣の湯殿に向かって声を張り上げた。

 しかし、壁が思ったよりも分厚いせいか返事がない。しばらく待って「ラスティー!」と再び声を大きくして呼びかけてみるも、やはり反応はなかった。


「こりゃ、聞こえてないな……」


 俺は諦めて、お湯を作る作業へともどる。

 ガルシアからなぜ上裸なのか問い詰められ終わった俺は、絶賛、ラスティの湯浴みのため、お湯を作っていたのだ。


 まさか湯殿の横に、鍛冶場があるとはなー……ガルシア邸の湯殿はどこぞの公衆浴場顔負けの設備である。あまりの無駄のない作りこみに、思わず舌を巻くほかないぜ。


「ふぅ……ちょっと温度下げるか」


 現在、ラスティが湯殿に入ってから十分くらい経つ。流石にがんがん燃やしていては、あの娘ものぼせてしまうだろう。

 俺は火炉のほうに近寄ると、組んでいた石炭を散らして火力を弱めてやった。


「お。だいぶ様になってるじゃねぇーか、若造」

「ん?」


 熱気が充満している鍛冶場に、冷えた空気が入ってきた。俺が振り返ってみれば、相変わらず左手に葉巻を携えたガルシアが、扉を開けて入ってきたのが見える。

 ガルシアは俺の姿を上から下まで流し見ると、ゆっくりと紫煙を燻らせた。


「ほぅ、お前さん意外とお堅い服以外も似合うな」

「そうか……? 俺としては、いささか大きくて不恰好に思えるが」


 俺はそう言って、ガルシアがくれた自身の服装を見る。

 粗いリネンの白シャツに、厚手の革製エプロン。深緑のズボンは丈夫なウール製でできており、膝の部分には熱で溶かされないようにするためか補強が施されていた。

 サイズが合っていないせいで、ダボっとした着こなしになっているのが現状だ。ラスティは俺の姿を見て「いいね!」と笑顔で言ってくれたが、こちらとしては世辞にしか聞こえなかった。

 

 ガルシアはそんな俺を見てから葉巻をひと吸いすると、「いやいや」と吐き溢す。


「騎士服なんざより、よっぽど似合ってらぁ。そっちの方がよっぽど自然体に見えるね、俺ぁ」

「……そうか」


 俺はそう言って、ガルシアから火炉へと視線を戻した。

 ガルシアは気にした様子もなく、俺と一緒に火炉を覗く。


「いい火色だ。火力の調節が上手い」

「小さい頃からよく火を扱ってたから、そのせいかもしれん」

「ほう。やっぱりお前さん、鍛冶屋だったのかい?」

 

 かなり振ってだろ、というガルシアの問いかけに、俺は一瞬沈黙した。

 ……ラスティにも話したことがないんだがな、それ。


「なんで、俺が鍛冶屋だったって?」

「はん。こんな暑い鍛冶場で汗一つかいてねーなんて、相当暑さに慣れてる証拠だ。それに俺ぁ、其奴の手を見れば大体の力量ってのが分かる」

 

 ガルシアは俺の手を見つめてから、ニヤリと笑う。まるで「当たりだろ?」と子供のような無邪気さで、問いかけてくるようだ。

 

 俺からすれば、ガルシアの方がよほどすごい鍛治職人に思える。

 この鍛冶場に入った時から、ずっと思っていた。手入れされた道具たち。掃除の行き届いた環境。長年使い込まれたであろう手作りの火炉。見渡すだけで、ガルシアがこの鍛冶場をどれだけ大切にしているかが分かる。

 何故、そんな男が修繕師と名乗っているのか不思議なくらいだ。

 

 しかし他人の過去なんて、掘り下げて良いことは一つもない。だから俺はガルシアの過去を暴こうとも思わないし、自分から過去について話そうとも思えなかった。

 けれど、ガルシアは違うらしい。


「こう見えて、俺も昔は名の知れた鍛冶職人でなー……よぅし、これも何かの縁だ! 若造がどんなことしてたか、聞かしちゃくれねーか」


 もう逃さない。そんな言葉が聞こえてきそうだ。

 腹を割って話したいのだろう。俺としても、ここまでされたら隠す気力も湧いてこない。


「はぁ……大したことはしてないぞ? 昔は金に困って剣や鎧なんかを作って売ってたんだ。当時は釘もよく売れたから、生きるために必死だった」

「ほぅ、いい人生じゃねぇか。作りたい物を作って、それで日銭を稼ぐなんざー、できる奴は相当限られてる」


 作るのが楽しかったこと前提かよ。

 まったく……何もかも見透かされているような気持ちになる。


「あんたはどうなんだ?」


 ここまで聞かれっぱなしというのは性に合わない。

 苦杯を舐めさせられたのだ。俺は一矢報いたいような気持ちになりながら、ガルシアに問いかけてみた。


「俺も作りたい物を作ってただけさ。それがたまたまうまくいって、たまたま世に認められた。……だがまぁ、ヒトってのはいつかガタがくるもんだな。作りたかったものが、いつの間にか嫌になることもある」

「だから修繕師になったのか」

「理由なんざ、いちいち覚えてるわけあるめーよ。それに経緯いきさつなんざ、どうだっていいことさ。過去を振り返らないのが俺の信条だ」


 ガルシアは肩をすくめながら言う。淡々と答えていたが、その言葉の裏には、多くの努力と苦労が隠れているように思えた。

 それだけガルシアの声には人生の苦みが滲んでいる。

 俺を若造と言うだけのことはあるぜ、ほんと。人生経験で言えば、逆立ちしたって勝てそうにない。


 ガルシアは火炉から目を背けると、作業台の上に置いてあった蹄鉄を手に取った。


「なぁ、若造。俺ぁ今の暮らしに満足してんだ……ガキどもに囲まれて、おかっねーが優しい嫁にも尻敷かれて、小さい村でのんびり過ごす。時には魔物なんかと戦うこともあるが、それでも大方の幸せってやつを享受できてるつもりだ」

「ああ。見てたら分かるよ。あんたら家族は本当に幸せそうだ」

「そうだろそうだろ。だからこそ、俺はあの子にも幸せの中で生きてほしいと思ってるのさ」


 蹄鉄を光に透かし見ていたガルシアが、いつの間にか真剣な表情で俺を見つめていた。俺も黙ってガルシアの言葉を受け止めるため、体をそちらに向ける。


「……怪我、してるんだろ?」


 それが誰を指し示す問いかけであるかんて聞かなくても分かる。

 きっとガルシアは気づいていたのだ。家に帰ってきた時からずっと。ラスティが治さなかった脇腹の傷に。


 俺がその可能性に気がついたのは、ラスティが湯船に入れるハーブを決めている時だった。一緒に探してと言われ、俺もついていったが、その時彼女が見つけてきたのは、俺でも知っているような火傷を治すための薬草だった。


 先に湯浴みをするように勧めたのはガルシアである。しかも、ハーブを使っていいと遠回しに、そうするように仕向けていた。

 娘の異常にいち早く気がついたガルシアは、彼女のためを思い、あえて気づかないふりをしてあげたのだろう。


 ラスティが怪我をしているか尋ねられた時、何も言わなかった俺は、ガルシアに恨まれているのかもしれない。


「……」

「あー、別に警戒する必要はねぇよ? 別に怒っちゃいねぇ。俺は基本的に放任主義だ。あの子が望むことなら何でもさせてやりたいし、ある程度は見届ける覚悟だってできいる」


 だがな、とガルシアは言う。


「それも、あの子の命の危険がないことが前提だ」


 そうして葉巻の根元を噛みちぎると、彼は俺を射殺すように見た。


「初めてあの子と会った時、なんで生きてるのかも分からないほどボロボロだった。家に連れ帰って治療したが、回復も遅く、歩けるようになるまでに3ヶ月も掛かった」


 ガルシアは過去を語りながら、新しい葉巻を取り出すと吸い口を切り落とす。そして口に咥え、ゆっくりと回しながら着火道具で火をつけ始めた。


「だが、やっとこさ歩けて喋れるようになっても、あの子はぴくりとも笑いやしねー。よっぽど酷いことがあったんだろう。死んだような暗い顔をして、空を眺めることが日常茶飯事だった」

「……」

「でも、そんなガキがようやく笑うようになったきっかけがあった。今でも覚えてる。街からの土産で冒険譚をあげた時だ。それを読むようになってから、あいつは徐々に明るくなった。よほど好きなんだろう。今でも寝る前に愛読してるのを、偶に見る」


 葉巻の先端から白い煙が上がり、天井のあたり止まってはやがて見えなくなる。ガルシアは口の中で葉巻を転がしながら、そんな泡沫のように消えゆく紫煙を、懐かしむような目で眺めていた。


「お前さんと帰ってきた時、その時のことを思い出したよ。笑うようになったあいつだが、あんたといるときは、もっと嬉しそうに笑いやがる。……くくく、よほど楽しいのかもしれねーな、お前さんと冒険するのが。正直すこし妬けたんだぜ? 俺にはできなかったことだからよ」

「そんなことないだろ。あの娘はあんたの話をしている時も嬉しそうだった」


 しかし、ガルシアは首を横に振った。


「それはお前さんの前だからさ。……もう感づいてると思うが、あの子と俺たちは血の繋がりがねぇ。あの子は俺をオヤジとは呼んでも、父親とは呼ばない」

「それは――」


 俺はそこで言葉を詰まらせた。

 確かにラスティは、自分から彼らを家族だと紹介したことはなかったからだ。ラックの時もガルシアの時も。家族関係を自ら明言化していたわけではない。


「あの子は優しい子だ。俺たちがどれだけ家族と思っても、一線を引こうとしてしまう。だから、お前さんとの距離感がちょうどいいのかも知れねーな。家族でもなく、村の者でもない。ただただ対等に付き合えるお前さんが」

「……」

「おいおい、そんな顔すんじゃねーよ。別に悲観してるわけじゃねーんんだ、こっちは。それにネズミの姿をした俺たちだが、あの子は俺の子どもであり、村の一員であり、皆が愛してることに変わりはねぇ」


 ガルシアはそう言って一服を頬が窪むほど吸ってから、ゆっくりと紫煙を口端から漏らす。そのまま俺の方に歩み寄ってから、手に持っていた蹄鉄を渡してきた。


「ラスティって名は俺がつけたんだぜ? 鍛冶師まがいのことしてたんなら、意味は分かるだろ」


 俺はガルシアが渡してきた蹄鉄を受け取り、それを見る。

 意味は知っていた。

 その蹄鉄につくものと同じ意味ということを。


「……錆、って意味だろ」


 ガルシアは俺の答えに満足がいったのか、ニヤリと笑った。


「ああ。錆ってのは、物寂しくて嫌われ者のように見られるが、俺はそうは思ってねぇ。錆ってのは愛情の証だ。捨てられず、長い年月をかけて使い続けられた証拠だ」


 俺はガルシアの言葉に耳を傾ける。


「ボロボロのあの子を見た時、そうなってほしいと心から願ったよ。どれだけ風化しようと、どれだけ朽ちようと、どれだけ傷つこうとも、これからは誰かに愛されて、捨てられず、長く長く……人々の心の片隅に置かれるような、そんな子になってほしいと」


 それは誰にも否定できない、素敵な願いだろう。

 ラスティがどんな苦難を乗り越えてきたのかは、俺もガルシアも知らない。けれど、彼女が歩んできた道のりを考えれば、そう願わずにはいられなかった。


 世界で2人目の魔女。


 きっと、彼女の苦難には、その肩書きも関係している。

 これまでどんな人生を歩んできて、そしてこれからどのような人生を歩むつもりでいるのか。凡俗な俺には到底及びもつかないところであろうが、それでも、俺はガルシアと同じく、彼女が誰かの心の片隅に置かれるような、そんな子になって欲しいと思った。


「なぁ、若造。今から年寄りの我儘を聞いちゃくれねーか」

「……ああ、問題ない。なんでも言ってくれ」


 俺の言葉に、ガルシアは一瞬驚いたような顔をするが、すぐに笑いをこぼす。そして真剣な面持ちに変わって、蹄鉄を握った俺の手に両掌を重ねた。


 

「ラスティ嬢を……もう危険に巻き込まないでくれ」



 その言葉を最後に、俺の脳裏にある光景が焼き回しされた。

 サラマンダーとの戦いで気を失った時。ある魔狼に見せられた凄惨な光景。



 

 血の海に沈む、ラスティの姿を――――。

 


 

 そこから俺は、何も聞こえていなかった。いつの間にかガルシアは鍛冶場を去ったらしく、俺も気がつけばぼーと火炉を眺めていた。

 ガルシアになんて答えたのかも覚えていない。

 去り際、どのような会話をしたのかすら、今の俺には記憶がない。

 ただ、さっきよりも随分と弱くなった火を眺めながら、俺はボソリと呟いた。


「分かってるよ、親父さん。俺も、ラスティには笑っていてほしいさ」


 あの凄惨な光景は、間違いなく王城内での光景だった。何年間も足を運んだ場所だ。見間違えるはずもない。


 王城内にある謁見の間――――。

 そこでラスティは、命を落とす可能性がある。

 

 あの魔狼が見せた光景が本当なのだというのなら。

 俺はラスティを、巻き込むわけにはいかない。

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