音楽 Side:H
「あーあ、全然できなかった。才能ないな、こりゃ」
でも大丈夫、分かったから。
音楽ってこういうものだったんだ。
音を理解する。
私ひとりだったら絶対にしなかった。
左手の指先が感じたことのない感覚を伝えてくる。
痛み。
むず痒くて、心地いいそれは次第に嬉しさに変わった。
「くっそー、これじゃ朱音に顔向けできん」
右手をパーで空に向けて伸ばす。
あれ? 変だ。
朱音の右手ってこんなふうになってなかった。
余分な力が入ってないから? それとも、何度も弾いてるからここまで指先が傷まないのかな? それとも……。
今はちょっと、ほんのちょびっとだけれど、楽器というものが分かった。
一生懸命、自分なりにやったことで近くなれたと思う。
良いことだとも思う。でも、多分、やっぱりそこには。
「あー! 私らしくない! 分からないんだったら聴けばいいじゃん!」
急いでバッグからスマホを取り出す。
「……」
少し黙ってからバッグにしまう。
「でも、家知らないじゃん」
もう一度取り出す。
「……」
今朝のことを思い出してまたしまう。
「いやいや、聞かないことにはわかんないし」
また同じようにして取り出す。
「何やってんだ……?」
言って気づいてアホらしくなった。
「でも、電話じゃ怖いからメールで」
小声な独り言で落ち着かせ、文章を絞り出すようにして打ち込む。指が少しだけ痛い。
「……と、これでよし」
歌は、曲と詞で構成される。当たり前なこと。
曲は音で構成されていて、音は楽器から生まれる。
「詞は……」
ピコン! と、スマホがメールの着信を知らせる。
「はやっ!」
急いで取り出したから余計に心臓の鼓動が速くなる。
『家来る気?』
私は朱音の返信を確認すると、すぐに自分の送ったメールの内容を確認した。
『このメールを見た瞬間から、あのノートは見ないで! すぐに取りに行くから!』
一番書きたかったことが書けてなかった。
「どうしよう、先制攻撃のつもりだったんだけど……」
答えようと文字を入力しようとしたところで指が止まる。
別に痛いからじゃない……。
「そうだよ」
画面を待ち受けに戻してから、リダイヤルの画面から番号を選んで発信を押す。
僅かの間が空いて、トゥルルルル、と呼び出し音が微かに聴こえる。
耳の位置までもっていくまでに出てしまわないように最短距離でスマホを運ぶ。
『あんた今どこ? まだ学校なの?』
その声はいつもの朱音だった。
「ううん、帰り」
『そう。んで、ノート取りに来るってなんで?』
「ええっと……それは」
『やることがあったから……だから見せてもらってからは一度も読んでない』
「なんだ、そっか。よかっ……」
続けて言おうとして気づく。朱音の言ったことの意味が。
朱音は気づいてる。私の詞の意味に。さらに奥にあるものに。
『住所はメールする』
「え? いいの? 行っていいの?」
『それ』
「え?」
『それ、やめて。晴歌らしくない』
どうして怒られてるんだろう?
『行く、じゃないな……行きたい! とか、行くから! そんな感じでしょ、普段のあんたなら』
ああ、そっか。
『あと、あの曲だけど』
「……うん」
『捨てていいから。というか、すぐ捨てろ! そして忘れろ! いや、記憶から消せ! 初めからなかったものにしろ! いいな!!」
朱音の言葉遣いが普段と違う。
聴いたことがない声。
でも、いい声。好きな声。
詞は、人だ。
だから、鳴らす音も人。自分が楽器だから。
いいじゃん! わかりやすくて、すごく私好み!!
「どーしよっかなぁー、今日、朱音勝手に帰っちゃったから、私ひとりで練習するハメになったし……」
『な!? 晴歌、あんたねぇ! じゃあ訊くけど、あの詞って誰に当てたラブレターなのよ!!』
「は、はあ!? 違うし! そんなじゃ全然ないし!!」
『ならいいのね? 別に返さなくても!』
「速攻で取り返しに行ってやる……待ってろ」
『上等よ! 私は逃げも隠れもしないからね。待ってるからね』
私たちは同時に電話を切った。
気持ちが軽い。
いい気持ち。
こんな時、あの詞を歌にして口ずさめたら。
「やるわよーーー!」
あの雷よりも……もっと。
そう意識ながら私は、この言葉を空に思いっきり鳴らした!
ON・楽! 西之園上実 @tibiya_0724
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